任務報告
- 里子として育った私には、実母についての空白がある。その空白は、今日も埋まっていない
- あなたが実親のことを知りたいと思うのは、自然なことだから
- 育児放棄があった、という事実しか知らなかった。なぜそうなったのか、どういう状況だったのか、知らなかった
- 0歳から里親家庭にいたので、実母との時間が存在しなかった。でも名前だけは知っていた
- 里子として生きてきた二十四年間、実親のことを考えないようにしてきた
- 里子として育ったという事実を、自分でも整理できていないまま、誰かに話していた
- 里子として育てられた私には、実母に関する情報がほとんどなかった
- 里親家庭で育ったこと、血のつながった母親の顔を知らないことを話さなければならない
- 血がつながっているはずの人の、何も知らなかった
- 里親として康夫さんが私に残してくれたものが、この手の中にあるのかどうか、言葉ではわからない
- 里親家庭で育った人間が、育ててくれた人に似ていくことは、自然なことなのか
- 里親として康夫さんが私にしてくれたことを、言葉で数えようとすると、うまくいかない。
- 施設に入って、しばらくして里親制度で吉田家に引き取られた。
- 里親として私を育ててくれた吉田幸子さんは、現在七十歳だ。
- 里親だった清子さんが、あの夜私のために作ってくれたものを、三十四年越しに自分で作っていた
- 「清子さんに、ありがとうって言えなかった」 気がついたら、声に出していた
- 会いに行ったのは、十年で三回だった。 少ない、と自分でも思う。 でも、その三回がやっとだった
- 知らない家の、知らない食卓で、何かを食べるということが、うまくできなかった
- 私が里親として清子さんのもとに預けられたのは、私が八歳のときだった
- 再婚と里親の間5 「しばらく、別のおうちにいてほしい」と私は言った。
- 再婚と里親の間4 その言葉を、私はしばらく考えた。 お父さんが好きならいい。 好きでいてもいい、ではなかった。
- うつ病の母親から里親委託へ5 笑っていなかった。 でも怒っていなかった。 ただ、真剣な顔だった。 八歳の、真剣な顔だった
- 再婚と里親の間3 どちらが先かを決めると、どちらかを後回しにすることになる。 後回しにできる話ではなかった。
- うつ病の母親から里親委託へ4 治る、という言葉を、自分に使ったことが、あまりなかった。 治るかどうか、わからなかった
- 再婚と里親の間2 泣いていた。 声を殺して、泣いていた。 声を殺していたから、余計に聞こえた。
- うつ病の母親から里親委託へ3 里親、という言葉を、聞いたことはあった。 でも自分に関係のある言葉だとは、思っていなかった
- うつ病の母親から里親委託へ2 笑う前に、私の顔を見る。 確認する。 お母さんは今日、いい日か。 笑っても大丈夫か
- #5 終 里親の夫婦が、玄関の前に立っていた。 六十代くらいの、背の低い夫と、白髪の妻だった。
- #4 私の悲しみを、この子の夜に置いていく気がした。
- うつ病の母親から里親委託へ1 起きられないなら起きなくていい、という気遣いが、その距離にあった。 八歳の気遣いだった。
- 再婚と里親の間1 体育教師を十五年やってきた。 生徒の気持ちを読むのは、得意なはずだった。
- #3 同じ天井なのに、光がなければ何もわからなかった。 里親委託、という言葉が浮かんだ。
- #2 DVを受けた人間が、DVをしない親になれるか。 その問いを、誰にも言ったことがなかった。
- #1 ここに来て三週間、毎朝同じ天井を見ている。 見慣れてきた、とは少し違う。
- LGBTの同性愛カップルとして里親になった日から、六年が経っていた。
- 二十七歳の女が、六歳の子どもの「おいしかった」という一言で、言葉を失った。
- LGBTのカップルがこの子の家族になれるのか、という問いも、きれいに消えたわけじゃない。
- LGBTの同性愛カップルである私たちが里親としてこの子にできることと、できないことの境界線
- ユイの前の家庭で、毎朝作られていた卵焼き。 その味を作った手を、私たちは知らない
- 同性愛カップルとしてLGBTの里親になることを決めたのは、二年前だった。
- 五十四歳の男が、十八年間誰かのために作ることのなかった朝食を、この子のために八年間作り続けた。
- LGBTの里親として、この場所に座っていることへの迷いは、あの瞬間どこかへ消えていた。
- 名前を呼ばれることの意味を、五十四歳になって、八歳の子どもに教わっている。
- 運動会の帰り道に、五十四歳の男が八歳の子どもにかける言葉を、私は持っていなかった。
- LGBTの里親二人が保護者席に並ぶことで、何か傷つくことが起きると、八歳がすでに計算しているのか
- この七歳の男の子の「あの」に、三ヶ月かかった。
- 朝のこと、夕食のこと、ドラマのこと。でも全部、どうでもよかった
- 七年間、ユキと二人で暮らしてきた。里親になることを最初に言い出したのはユキだった
- 四十一歳の女が毎朝あの速さで支度を終えることを、七年間見てきてもまだ少し驚く
- 寝室に戻ってから、日記を開いた。ペンを持ったまま、しばらく何も書けなかった
- この子が「ただいま」と言える場所に、自分たちはなれているかもしれない
- ねえ。 うちってふつうの家族じゃないの?
- 自分たちが男どうしで暮らしていること、それが世間の言う「ふつう」とは違うこと
- ランドセルを下ろす音がいつもより重く、廊下を歩く足音が短かった
- 男どうしで十年、このソファに座ってきた。今夜はその間に、九歳の子どもの気配がまだ残っていた。
- 不妊治療の6年間が、思わぬ形で役に立った。 来たのは6歳の女の子だった。
- 委託が終わってから、あの子は今どこで何をしているだろうという問いが、定期的に浮かんだ。
- 短期委託の難しさは、「終わりがある」という前提で関係を始めることだ。
- 自分は「サポートしている」つもりでいたが、妻の目には「いるだけ」に映っていたのかもしれない。
- 同性愛者である私たちのもとに来てくれたこの子が、暗闇の中で私の腕を選んでくれた、と思った。
- 最初に気になったのは、単純な疑問だった。シングルでも里親になれるのか。
- LGBTのカップルが里親になるとき、支援員さんに「役割を決めすぎないように」と言われた言葉を、今さら思い出した。
- 里親をしていると、子どもが少しずつ変わっていく姿を目にする。それは劇的な変化ではない。
- 20代で里親になることへの迷いは、実際にやってみると杞憂だった部分も多かった。
- 食事のときも、日常の声かけをするときも、子どもはどこか遠慮しているようだった。
- 里親は特別な人だけができるものではないということだ。
- 一番しんどかったのは、感情を読み取れないまま「何をしていけばいいのか」が分からなくなったときだった。
- 叱るべきなのか、見守るべきなのか、その判断ができないまま、毎日が緊張の連続だった。
- 学校関係や自治会など関わりが出る場面では「里親として子どもを預かっています」とだけ伝えた
- 子どもなんて残す。 わかってる。 でも正直に書く。 傷ついた。
- 男性として見るのか、本人の自然な様子を女性的なものとして受け入れるのか
- 母親は施設への入所に同意したが、面会には一度も来なかった。
- 里親として子どもに向き合いながら、同時に自分自身のメンタルが揺らいでいく。
- 大切なものを壊し、泣き叫んで暴れたあの数ヶ月。追い詰められて夫婦で泣いた夜もあった。
- 学校や遊びでの出来事を楽しそうに話してくれるようになり、一緒に笑える瞬間が少しずつ増えてきた
- ただ、愛することと、育てることは、必ずしも同じではない。
- 一時保護所から児童養護施設へ。みなとはそこで約一年を過ごした。
- 外国にルーツを持つ子どもの里親養育については、文化的背景、言語、アイデンティティの形成など
- 最もきつかったのは、子どもの「試し行動」が始まった時期だった。
- 別に、感謝してほしいわけじゃない。 そう思おうとした。 でも手の中のスポンジが、なんとなく重かった
- 子どもを愛そうと気負わなくていい。ただの同居人から始めてもいいんだよ
- 里親制度を知ってからも、すぐに動き出せたわけではない。
- こちらは「家族として迎えた」という気持ちでいても、子どもにとっては知らない大人の家に来ただけだ