里親だった清子さんが、あの夜私のために作ってくれたものを、三十四年越しに自分で作っていた
あれから一週間が経った。
段ボール箱はリビングの隅に置いたままだった。
開けることも、片付けることもできなかった。
ただ、そこにあることが、今の私にはちょうどよかった。
ある夜、もう一度アルバムを開いた。
四冊を全部、最初から最後まで。
遠足の写真から始まって、中学の合唱コンクール、高校の文化祭、卒業式。
里親として清子さんが記録してくれた十年間が、几帳面に並んでいた。
写真の中の私は、ページを追うごとに少しずつ大人になっていった。
清子さんも、少しずつ年を取っていった。
最後のページに、一枚だけ、私の知らない写真があった。
高校の卒業式の翌日だと思う。
村上家の居間で、私が窓の外を見ている後ろ姿だった。
私は気づいていなかった。
清子さんがそっと撮ったのだろう。
後ろ姿の私は、何を見ていたのか覚えていない。
でも、その写真を撮った清子さんが何を思っていたのかは、少しだけわかる気がした。
引き止めなかった。
でも、見ていた。
私はその一枚を、額に入れることにした。
翌日、近所の雑貨店で小さな木製の額を買ってきて、寝室の棚に飾った。
健一は何も聞かなかった。
ただ、「いい写真だね」と言った。
後ろ姿しか映っていない写真を見て、そう言った。
私は「そうでしょ」と答えた。
なぜかそのとき、少しだけ笑えた。
その夜、夕食を作りながら、私は肉じゃがを作ることにした。
特に理由はなかった。
ただ、作りたかった。
里親だった清子さんが、あの夜私のために作ってくれたものを、三十四年越しに自分で作っていた。
レシピは清子さんから習ったわけではない。
けれど不思議と、手が迷わなかった。
じゃがいもを切りながら、あの夜のことを思った。
知らない家の、知らない食卓。
震える手で箸を持てなかった八歳の私。
「冷めたら温め直すね」と言った清子さんの横顔。
あの言葉の意味が、今ならわかる。
責めないということだった。
待つということだった。
あなたのペースでいい、ということだった。
八歳の私には重すぎた言葉が、四十二歳の私にはようやく、胃の腑に落ちた。
鍋の中で、じゃがいもがゆっくり煮えていった。
「ありがとう」は、結局言えなかった。
これからも言えない。
清子さんはもういないから。
でも、言えなかったことを、私はもう責めないことにした。
言えなかったのには理由があった。
感謝と、重さと、距離と、名前のつかない感情が全部ひとまとまりで、それが私の清子さんへの気持ちだったのだから。
泣けないままでいい、と思う。
泣けないことも、私の正直さだと思うから。
できあがった肉じゃがを、器に盛った。
健一を呼んで、二人で食卓についた。
一口食べて、おいしいと思った。
清子さんの味かどうかは、わからない。
比べる記憶が、私にはない。
でも、温かかった。
それだけは確かだった。
温かいものを、温かいうちに食べた。
それで十分だと、私は思った。
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