任務報告

照子さんの家を訪ねたのは、めぐみさんと話した翌週の土曜日だった。

電話ではなく、直接会いに行くことにした。

電話だと、また話せない気がした。

顔を見ながら話せば、少し違うかもしれないと思った。

前日の夜に「明日行ってもいいですか」と連絡すると、照子さんから「もちろん、待ってるわ」と返信が来た。

電車で二時間かけて、照子さんの住む町に向かった。

窓の外の景色が、都内の密集した建物から、少しずつ緑の多い景色に変わっていった。

この景色の変化を、里子だった子どものころから知っていた。

照子さんの家に向かうとき、いつもこの景色を見ていた。

最寄り駅を降りると、少し空気が違った。

広かった。

照子さんの家まで、歩いて十分だった。

道を歩きながら、今日何を話すかを考えた。

全部話す、と決めてきた。

検索したこと、一時間画面を見ていたこと、フォローできなかったこと。

全部話すと、朝に決めてきた。

でも玄関のチャイムを押す前に、少し立ち止まった。

本当に話せるか、という問いが、最後に来た。

でも今日話さなければ、また電話で「少しだけ」になる。

それを繰り返したくなかった。

チャイムを押した。

照子さんがすぐに出てきた。

「来てくれてよかった」と言って、笑った。

六十一歳の照子さんは、少し髪が白くなっていたが、目尻の笑い方は変わっていなかった。

里子だった子どものころから、ずっと同じ笑い方だった。

居間に通された。

武志さんは庭にいた。

「ことはが来たよ」と照子さんが声をかけると、武志さんが窓から手を上げた。

六十四歳の武志さんは、今日も庭にいた。

いつも庭にいる人だった。

お茶を飲みながら、最初は近況を話した。

仕事のこと、さおりとの生活のこと。

照子さんは聞き上手で、話しやすかった。

しばらくして、照子さんが「今日は、何か話したいことがあって来たんでしょ」と言った。

さすがだった。

観察力が鋭い人だった。

里子だったころも、私が何かを抱えているとき、照子さんはいつも気づいていた。

「はい」と私は言った。

「ゆっくり話して」と照子さんは言った。

急かさなかった。

私は話し始めた。

藤原さんに「お母さんに似てるね」と言われた日のこと。

その夜、検索窓に「山下恵」と打ち込んだこと。

三つのアカウントが出てきたこと。

そのうちの一つが実母かもしれないこと。

一時間、フォローボタンを前に動けなかったこと。

話しながら、照子さんの顔を見た。

照子さんは黙って聞いていた。

表情が変わらなかった。

驚く顔でも、困る顔でもなかった。

ただ、聞いていた。

全部話し終えた。

居間が静かになった。

庭で武志さんが土を掘る音が、かすかに聞こえた。

照子さがお茶を一口飲んだ。

それから、言った。

「怖かったのね」
責める言葉ではなかった。

慰める言葉でもなかった。

ただ、怖かったのね、と言った。

その瞬間、泣いた。

泣くつもりはなかった。

でも照子さんの言葉が、何かを溶かした。

怖かった、という言葉が、私が一週間抱えてきたものの正体を言い当てた気がした。

会いたいのかどうかわからないまま、フォローできないまま、画面を閉じることもできないまま、一時間動けなかったあの夜。

怖かっただけだった。

それだけのことだったのかもしれなかった。

それだけのことが、一週間言葉にならなかった。

「すみません」と私は言った。

涙を拭きながら言った。

「謝らなくていいわよ」と照子さんは言った。

「泣いていいから」
しばらく、泣いた。

声を上げずに、ただ涙が出た。

照子さんは何も言わなかった。

隣に座って、黙っていた。

里子だったころも、照子さんはこういう人だった。

泣いているとき、余計なことを言わなかった。

ただ、隣にいた。

落ち着いてから、照子さんが聞いた。

「検索したこと、私に話すのが怖かった?」
「はい」と私は正直に言った。

「照子さんが傷つくかもしれないと思って」
照子さんは少し間を置いてから言った。

「傷つかないわよ」
「でも」と私は言いかけた。

「あなたが実親のことを知りたいと思うのは、自然なことだから」と照子さんは続けた。

「私が里親としてあなたを育てたことと、あなたが実親のことを知りたいと思うことは、別のことよ。どちらかを選ばなくていい」
どちらかを選ばなくていい、という言葉が、胸に刺さった。

里子として照子さんに育ててもらった。

でも実親のことを知りたいと思う。

その二つが矛盾すると、どこかで思っていた。

照子さんへの感謝と、実親への問いを、同時に持っていいのかどうか、わからなかった。

でも照子さんは「どちらかを選ばなくていい」と言った。

「照子さんは、最初から知ってたんですか」と私は聞いた。

「私がいつか実親のことを考えるって」
「知ってたわよ」と照子さんは言った。

あっさりした口調だった。

「当然だと思ってたから。ただ、あなたが話してくれるまで待ってた」
待っていた、という言葉が、重かった。

先週の電話で「当然よ」と言ったのは、そういう意味だったのかもしれない。

待っていたから、当然よ、と言えた。

「ずっと待ってたんですか」と私は聞いた。

「そうね」と照子さんは笑った。

「でも長くなかったわよ。あなたのペースがあるから」
庭で、武志さんが立ち上がった。

窓から見えた。

土のついた手を、作業着で拭いていた。

いつもと変わらない武志さんの後ろ姿だった。

「武志さんも、知ってたんですか」と私は聞いた。

「もちろん」と照子さんは言った。

「あの人は何も言わないけど、わかってるわよ」
武志さんらしかった。

何も言わない人だった。

でもわかっている人だった。

お茶を飲み干した。

照子さんが新しいお茶を淹れてくれた。

湯気が立った。

「フォローするかどうか、まだ決めなくていいのよ」と照子さんが言った。

「決めたくなったときに、決めればいい」
「そうします」と私は言った。

今日、全部話せた。

話せたことで、答えが出たわけではなかった。

実親のアカウントをフォローするかどうかも、会いたいのかどうかも、まだわからなかった。

でも今日、里親の照子さんに全部話せた。

それだけで、今日は十分だと思った。

帰り際、玄関で照子さんが「また来てね」と言った。

「来ます」と私は言った。

今度は近いうちに来ようと思った。

用事がなくても。

整理がついていなくても。

武志さんが庭から「気をつけて」と言った。

短い言葉だった。

でも十分だった。

駅に向かう道を歩きながら、私は少し深く息をした。

曇っていた空が、少し明るくなっていた。

雨にはならなかった。

任務報告

休日の午後、一人でカフェに行った。

さおりは友人と出かけていた。

私は特に行く場所もなかったが、アパートにいると検索してしまう気がした。

場所を変えることで、何かが変わるかもしれないと思った。

駅の近くの、小さなカフェだった。

窓際の席に座って、コーヒーを注文した。

鞄からノートを取り出した。

仕事で使う校正用のノートではなく、普段から持ち歩いている、何でも書く用のノートだった。

今日は、実母について知っていることを書いてみようと思った。

昨夜、一時間画面を見ながら考えたことの続きだった。

知らないことが多すぎる、と気づいた夜の続きだった。

知っていることと、知らないことを、整理したかった。

ペンを持って、最初の一行を書いた。

「山下恵、という名前」
それだけ書いて、止まった。

次に何を書けるか、考えた。

生年月日は知らない。

出身地は知らない。

どんな顔をしているか、知らない。

身長も、声も、何も知らない。

「育児放棄があったこと」と書いた。

それも止まった。

育児放棄があった、という事実しか知らなかった。

なぜそうなったのか、どういう状況だったのか、知らなかった。

「私が0歳のとき、親権を失ったこと」と書いた。

三行書いて、止まった。

それ以上、出てこなかった。

コーヒーを一口飲んだ。

ノートに書いた三行を見た。

山下恵という名前、育児放棄があったこと、0歳のとき親権を失ったこと。

これが、二十四年間で私が実母について知っていることの全部だった。

里子として二十四年間生きてきて、実母について知っていることが三行しかなかった。

少し、呆然とした。

呆然とした、というのは正確ではないかもしれない。

予想していなかった、という感じだった。

もう少し何かを知っているつもりだった。

でも書き出してみると、三行だった。

ページをめくって、今度は別のことを書いた。

「長谷川照子さんについて知っていること」
里親の照子さんについては、たくさん書けた。

元保健師だったこと、穏やかで観察力が鋭いこと、家の台所が明るかったこと、お茶を淹れるのが上手だったこと、「あなたはあなただから」と言ってくれたこと、私が熱を出したとき額に手を当ててくれたこと、好きな本を聞いてくれたこと。

書きながら、止まらなかった。

一ページでは足りなくて、ページをまたいで書いた。

武志さんについても書いた。

無口だったこと、庭で土を掘っていたこと、里子だった私に一度も余計なことを言わなかったこと、庭で収穫した野菜を黙って食卓に並べたこと。

二人について書いたことが、実母について書いたことの十倍以上になった。

その差を、しばらく見ていた。

知っている量の差は、一緒にいた時間の差だった。

当たり前のことだった。

でも書き出して並べてみると、当たり前のことが、初めて実感として来た。

実母については、何も知らない。

里親については、たくさん知っている。

その差が、今の自分だった。

この差の中に、二十四年間が入っていた。

窓の外で、人が歩いていた。

親子連れが通った。

子どもが何かを言って、親が笑った。

その一瞬を見ながら、私は自分の0歳から7歳を想像しようとした。

できなかった。

0歳の記憶は誰にもない。

でも私には、それ以前の話として、実母との時間が存在していなかった。

里親家庭に来た瞬間から、私の記憶は始まっていた。

里子としての私の最初の記憶は、照子さんの台所だった。

明るくて、温かくて、何かの匂いがした。

何の匂いだったか、思い出せない。

でも温かかったことだけは、体の中に残っていた。

ノートに、もう一行書いた。

「実母について知らないことを、知りたいのかどうか、まだわからない」
書いてから、少し考えた。

知りたい、という気持ちはある。

でも知ってどうするのか、わからない。

SNSのアカウントを見つけて、フォローして、投稿を見たとして、そこに何があるのか。

実母の日常を知ることと、なぜ育てられなかったのかを知ることは、別のことだった。

知りたいのは、日常ではなかった。

理由が知りたかった。

なぜ育てられなかったのかという理由が。

でもその理由は、SNSには書いていない。

書いていたとしても、私に届く形では書いていない。

コーヒーが冷めていた。

ノートを閉じた。

知っていることと、知らないことを整理しようとして、知らないことのほうが圧倒的に多いとわかった。

整理にならなかった。

でも書いてみたことは、無駄ではなかった気がした。

整理できなくても、書くことで、少し輪郭が見えた。

知らないことの輪郭が、見えた。

里子として育った私には、実母についての空白がある。

その空白の大きさを、今日初めて目で確認した。

空白は怖かった。

でも空白があることは、わかった。

わかったことで、少し違う気がした。

カフェを出て、駅に向かって歩いた。

今夜は検索しないでいられるかもしれない、と思った。

できるかどうかは、夜になってみないとわからなかった。

でも今日は、そう思えた。

任務報告

その夜、また画面を開いた。

やめようと思っていた。

照子さんに電話して、少し気持ちが落ち着いた部分があった。

今夜は開かなくていいと思っていた。

でも寝る前に、気がついたら開いていた。

SNSの検索履歴に、「山下恵」という文字がまだあった。

消していなかった。

消せなかったというより、消すことを考えていなかった。

あの文字が残っていることを、毎日確認していた気がした。

三つのアカウントを、もう一度見た。

今日は、プロフィール写真のない鍵アカウントだけに絞って見た。

「yuki_m_1980」。

フォロワー数は表示されていなかった。

フォロー数も見えなかった。

鍵アカウントは、外からわかることが何もなかった。

名前と、数字だけがあった。

フォローボタンを、今日も見た。

昨日と同じボタンだった。

昨日押せなかったボタンだった。

今日も押せる気がしなかった。

でも今日は、なぜ押せないのかを、少し考えた。

押せば、何かが変わる。

変わることへの恐怖は、昨日も感じていた。

でも今日、もう少し具体的に考えた。

変わるとは、どういうことか。

もしこのアカウントが実母だったとして、フォローリクエストを送ったとする。

実母がリクエストを承認すれば、投稿が見える。

見えた先に、何があるのか。

実母の日常が見える。

実母が何を食べているか、どこに住んでいるか、誰と話しているか。

そういうものが見える。

見たいのか。

今夜、その問いを正面から考えた。

見たい、という気持ちはあった。

でも見たいのは、日常ではなかった。

私が知りたいのは、なぜ育てられなかったのか、ということだった。

でもSNSの投稿に、その答えがあるとは思えなかった。

もしこのアカウントが実母ではなかったとして、フォローリクエストを送ったとする。

知らない人にリクエストが届く。

怪訝に思われて、拒否される。

それで終わる。

その場合、何かが終わる気がした。

可能性が、終わる。

このアカウントが実母かもしれないという可能性が、拒否された瞬間に消える。

消えることへの恐怖が、押せない理由の一つだった。

里子として育った私には、実母に関する可能性が、ほとんどなかった。

顔も、声も、においも、知らない。

記憶もない。

0歳から里親家庭にいたので、実母との時間が存在しなかった。

でも名前だけは知っていた。

その名前でSNSを検索して、三つのアカウントを見つけた。

そのうちの一つが、実母かもしれない。

その「かもしれない」が、今の私には大事だった。

確認して、違った場合、「かもしれない」が消える。

消えたあと、また検索する気になれるかどうか、わからなかった。

一時間、画面を見ていた。

時計が十二時を過ぎた。

さおりはもう寝ていた。

アパートは静かだった。

結局、今夜もフォローボタンを押せなかった。

画面を閉じた。

閉じながら、里親として照子さんが私を育ててくれた理由を、今日初めて考えた。

照子さんは元保健師で、子どもたちの健康を支える仕事をしていた。

里親になったのは、そういう仕事の延長だったのか。

それとも、別の理由があったのか。

聞いたことがなかった。

実母がなぜ育てられなかったのかも、照子さんがなぜ育ててくれたのかも、私は知らなかった。

知らないことが、二つ並んだ。

実母は里親でも里子でもない人で、私の人生の外にいる。

照子さんは里親として私の人生の中にいる。

その二人のことを、今夜同時に考えた。

矛盾しない、と思った。

実母のことを知りたいと思うことと、照子さんへの感謝は、矛盾しない。

頭ではわかっていた。

でも今夜、考えながら、少し体でもわかった気がした。

天井を見た。

暗い天井だった。

フォローボタンを押せなかったことを、後悔はしていなかった。

今夜の私には、押せなかった。

それだけのことだった。

明日も押せないかもしれない。

来週も押せないかもしれない。

でも今夜、一時間画面を見ていたことは、昨夜と同じようで、少し違った。

昨夜は、引きずられていた。

今夜は、考えていた。

その違いが、小さいようで、自分には大きかった。

スマートフォンを枕元に置いた。

画面は暗くなっていた。

「yuki_m_1980」という文字は、もう見えなかった。

でも頭の中にはまだあった。

あのアカウントの向こうに、誰がいるのか。

わからないまま、目を閉じた。

任務報告

照子さんに電話したのは、土曜日の朝だった。

さおりはまだ寝ていた。

私は台所でコーヒーを淹れて、窓際に座った。

外は曇っていた。

雨になるかもしれない空だった。

電話をかけようと思ったのは、昨夜ではなかった。

昨夜は、さおりと話してから布団に入ったが、やはりなかなか眠れなかった。

スマートフォンを手に取っては置いて、取っては置いてを繰り返した。

検索はしなかった。

でも眠れなかった。

朝になって、コーヒーを飲みながら、今日かけようと思った。

今日かけなければ、また先延ばしにする気がした。

さおりに「言えるときに言えばいい」と言われたが、言えるときはいつまで待っても来ないかもしれない。

来ないまま、検索だけを続けるのは、もう嫌だった。

スマートフォンを取り出して、照子さんの番号を開いた。

発信ボタンを押す前に、少し考えた。

何を話すか。

全部話すか。

全部話せるか。

答えが出ないまま、押した。

三回コールして、照子さんが出た。

「ことは、珍しい。土曜日の朝に」
照子さんの声は、いつも通りだった。

穏やかで、少しゆっくりした話し方。

六十一歳になった今も、変わっていなかった。

その声を聞いた瞬間、少し息ができた気がした。

「おはようございます」と私は言った。

「急に電話してすみません」
「いいのよ、嬉しいわ。どうかした?」
どうかした、という問いに、すぐに答えられなかった。

「特に用事があるわけじゃないんですけど」と私は言った。

「声が聞きたくて」
「そう」と照子さんは言った。

嬉しそうな声だった。

しばらく、近況を話した。

仕事のこと、さおりとの共同生活のこと、最近読んだ本のこと。

照子さんは聞き上手で、相槌が自然だった。

話しやすかった。

話しながら、今日は全部話せるかもしれないと思った。

でも、話せなかった。

「実母を検索した」という言葉が、出てこなかった。

代わりに、少しだけ近い言葉を言った。

「最近、実親のことを考えることがあって」
照子さんが、少し間を置いた。

電話口の沈黙だった。

数秒だったと思う。

でも私には長く感じた。

「そうね」と照子さんは言った。

「考えることがあって当然よ」
当然よ、という言葉が、やさしかった。

責める言葉ではなかった。

否定する言葉でもなかった。

ただ、当然だと言った。

でも「当然」という言葉が、少し重く響いた。

当然のことを、二十四年間保留にしてきた。

里子として生きてきた二十四年間、実親のことを考えないようにしてきた。

当然考えていいことを、考えないようにしていた。

それを「当然よ」と言われると、なぜ今まで保留にしてきたのかという問いが、逆に来た。

「照子さんは、嫌じゃないですか」と私は言った。

「何が?」
「私が実親のことを考えることが」
照子さんがまた、少し間を置いた。

「嫌じゃないわよ」と照子さんは言った。

「あなたが実親のことを考えるのは、自然なことだから」
自然なこと、という言葉も、やさしかった。

でも私は、「検索した」とは言えなかった。

自然なことと、実際に検索して画面を一時間見ていたこととの間に、距離があった。

考えることと、行動することは、違う。

照子さんに「自然なこと」と言われたのは、考えることについてだった。

検索したことについてではなかった。

その違いが、今日は話せなかった理由だった。

しばらくして、照子さんが「武志さんが庭にいるから、呼んでくる?」と言った。

「大丈夫です」と私は言った。

「また電話します」
「いつでもかけてきてね」と照子さんは言った。

「嬉しいから」
電話を切った。

コーヒーが冷めていた。

一口飲んだ。

冷たかった。

里親として照子さんが育ててくれた七年間、私は安全だった。

その安全の上に、今の私が立っている。

それはわかっていた。

でも今日、検索したことを話せなかった。

話せなかったことへの後悔は、あった。

でも話せなかったことへの安心も、少しあった。

その二つが同時にあることが、自分でもよくわからなかった。

照子さんの「当然よ」という言葉は、本物のやさしさだった。

でもそのやさしさを、今日の私は全部受け取れなかった。

受け取れる日が来るかどうか、わからなかった。

窓の外が、少し明るくなっていた。

雨にはならなかったらしかった。

曇ったままだったが、光が差し始めていた。

さおりが起きてきた。

「おはよう」と言いながら、目をこすった。

「おはよう」と私は言った。

「電話してた?」
「照子さんに」
「話せた?」とさおりが聞いた。

「少しだけ」と私は答えた。

それが今日の正直な答えだった。

任務報告

さおりが「最近、何かあった?」と聞いてきたのは、夕食を食べ終えたあとだった。

宮本さおりは二十四歳で、大学一年のときに同じ講義で知り合った友人だ。

卒業後も一緒に住もうと言い出したのはさおりのほうで、私は迷いながら頷いた。

明るくて行動力があって、思ったことをすぐ口に出す。

私とは正反対の性格だったが、一緒にいると楽だった。

「何かあったって、どういう意味?」と私は聞いた。

「なんとなく、ぼーっとしてる気がして」とさおりは言った。

「ご飯食べてるときも、どこか遠いところにいる感じ」
さおりは気がつく人だった。

私が何も言わなくても、変化を察した。

それが助かるときと、少し怖いときがあった。

今日は、少し怖かった。

「ちょっと昔のことを考えてた」と私は言った。

「昔のこと?」
「うん」
それ以上、言葉が出なかった。

検索したことを、話せなかった。

話せばさおりはきっと否定しない。

でも口にすることで、何かが変わる気がした。

変わることへの躊躇があった。

さおりが少し間を置いてから、直接聞いてきた。

「実親のこと?」
私は驚いて、さおりを見た。

「なんで」と私は言った。

「前に少し話してくれたことがあったから」とさおりは言った。

「大学三年のとき、飲み会の帰り道に」
記憶がなかった。

大学三年の飲み会の帰り道。

その状況自体は思い出せる。

でも実親の話をした記憶がなかった。

里親家庭で育ったことを、さおりに話した記憶が、なかった。

「私、そんな話をしたの?」と私は聞いた。

「したよ」とさおりは言った。

「里親さんのところで育ったって。あんまり覚えてないけど、確かに言ってた。私はちゃんと覚えてる」
自分が話したことを、自分が覚えていない。

その事実が、少し怖かった。

それほど無意識に話せていたのか。

それとも、意識の外に追いやっていたのか。

里子として育ったという事実を、自分でも整理できていないまま、誰かに話していた。

「覚えてなかった」と私は正直に言った。

「そうか」とさおりは言った。

責める顔ではなかった。

ただ、受け取った顔だった。

しばらく二人で黙っていた。

さおりがお茶を淹れてきて、私の前に置いた。

何も言わなかった。

ただ、置いた。

その動作が、今夜は助かった。

「実親を検索した」と私は言った。

声に出してしまってから、少し驚いた。

話すつもりがなかった。

でも出てきた。

さおりのお茶が、何かを緩めたのかもしれなかった。

「どうだった?」とさおりが聞いた。

「同姓同名のアカウントが三つ出てきた。

でも本人かどうかわからない」
「フォローした?」
「できなかった」
さおりは黙って聞いていた。

うんうん、と相槌を打ちながら、お茶を飲んでいた。

余計なことを言わなかった。

「会いたいの?」とも聞かなかった。

ただ、聞いていた。

「里親さんに話せる?」とさおりが聞いた。

「照子さんに?」
「うん。話したら、少し楽になるんじゃないかなと思って」
照子さんに話すことを、ここ数日考えていた。

でも話せなかった理由がある、と私は言った。

「どういう理由?」
「照子さんが、傷つくかもしれないと思って」
言葉にしてみると、それが一番近かった。

里親として私を育ててくれた照子さんに、実母を検索したと言うことへの、名前のつかない後ろめたさ。

裏切りではないとわかっていた。

でも言えなかった。

「照子さん、そんな人じゃないんじゃないの?」とさおりが言った。

「そうかもしれない」と私は言った。

「でも言えない」
さおりは少し考えてから「じゃあ、今は言わなくていいんじゃない」と言った。

「言えるときに言えばいい」
その言葉が、少し楽にした。

今すぐ話さなくていい。

整理がついてから話せばいい。

さおりの言葉は単純だったが、単純だからこそ受け取れた。

「さおり、覚えてくれてたんだね」と私は言った。

「里親家庭で育ったこと」
「当たり前じゃん」とさおりは笑った。

「友達のことは覚えてるよ」
その笑い方が、いつものさおりだった。

特別なことのように扱わない、いつもの笑い方だった。

里子として育った自分の過去が、さおりの中でずっと普通に存在していた。

私が覚えていないあの夜から、ずっと。

それが今夜、少し温かかった。

任務報告

電車に乗って、スマートフォンを開いた。

帰宅ラッシュの車内は混んでいた。

吊り革につかまりながら、SNSのアプリを立ち上げた。

昨夜の検索履歴が残っていた。

「山下恵」という文字が、そのままそこにあった。

もう一度、検索した。

三つのアカウントが、昨夜と同じ順番で並んだ。

変わっていなかった。

当たり前だった。

一日経ったからといって、何かが変わるわけではなかった。

プロフィール写真のない鍵アカウント、「yuki_m_1980」に、目が止まった。

昨夜と同じだった。

でも今日は、少し違う見方をしていた。

「yuki」という名前と、「m」というイニシャルと、「1980」という数字。

それだけが手がかりだった。

実母の名前は「山下恵」で、「恵」は「yuki」とも読める。

苗字の頭文字は「y」で、「m」は何のイニシャルかわからない。

でも、1980年生まれとすれば、今年で四十五歳か四十六歳になる。

実母が何年生まれかを、私は知らなかった。

知らないことが、これほど多いとは思っていなかった。

名前しか知らない人を、名前で検索して、それ以上何もわからない。

里子として育てられた私には、実母に関する情報がほとんどなかった。

児童相談所の記録には何かがあるかもしれないが、調べようとしたことはなかった。

フォローボタンを見た。

押せば、フォローリクエストが届く。

相手が承認すれば、鍵の中が見える。

承認しなければ、何も変わらない。

ただ、リクエストを送ったという事実だけが残る。

指が、ボタンの上で止まった。

押せなかった。

車内のアナウンスが聞こえた。

次の駅の名前だった。

乗り換えの駅ではなかった。

私はスマートフォンをポケットにしまって、窓の外を見た。

夜の景色が流れていった。

最寄り駅で降りて、アパートまでの道を歩いた。

歩きながら、長谷川照子さんのことを思い出した。

照子さんは現在六十一歳で、元保健師だ。

私が0歳から7歳まで、里親として育ててくれた。

今は電車で二時間ほどの町に住んでいて、年に数回会う。

最後に会ったのは、一年前の春だった。

里子だった七年間の記憶は、断片的だった。

0歳からの記憶は当然ない。

物心がついてからの記憶もまだらで、照子さんの台所の明るさとか、武志さんが庭で土を掘っている後ろ姿とか、そういうものだけが残っていた。

でも、安心していたことだけは覚えていた。

あの家が安全な場所だということを、子どもながらに知っていた。

照子さんのことを思い出したのは、なぜだろう。

実母のアカウントかもしれないものを見ながら、照子さんの顔が浮かんだ。

それが何を意味するのか、うまく考えられなかった。

里親への後ろめたさ、という言葉が頭に浮かんだ。

実母を検索することが、照子さんへの裏切りではないとわかっていた。

照子さんが「探してはいけない」と言ったことは一度もない。

実母について、肯定も否定も、照子さんはしなかった。

ただ、一度だけ「あなたはあなただから」と言ったことがある。

小学校に上がる前の、夕食のときだった。

なぜその話になったのか、覚えていない。

ただ、その言葉だけが残っていた。

あなたはあなただから。

その言葉が、今夜も頭に来た。

実母を検索した私は、あなたはあなただから、という言葉の内側にいるのか、外側にいるのか。

考えてもわからなかった。

アパートの前に着いた。

郵便受けを開けると、通販の封筒が入っていた。

さおりが注文したものだろう。

それを取り出しながら、私は今夜も検索するかもしれないと思った。

検索することをやめられないでいる、という感覚が、少し怖かった。

やめようと思えばやめられる。

でも今夜もスマートフォンを開く気がした。

それが意志なのか、衝動なのか、自分でも判断できなかった。

玄関のドアを開けると、さおりが「おかえり」と言った。

「ただいま」と私は言って、封筒を渡した。

「ありがとう」とさおりは言って、封筒を開け始めた。

私は部屋着に着替えながら、今夜照子さんに電話しようかと思った。

でも何を話すのか、まだ整理がついていなかった。

整理がつかないまま電話して、何かが変わるとも思えなかった。

今夜はもう少し、自分の中で抱えておこうと思った。

その判断が正しいのかどうかも、わからなかった。

任務報告

出社したのは、いつもより少し早かった。

眠れなかったわけではない。

でも朝、目が覚めた瞬間から昨夜のことが頭にあって、布団の中にいられなかった。

支度をして、いつもより一本早い電車に乗った。

車内は空いていた。

窓の外の景色を見ながら、昨夜の三つのアカウントを思い出していた。

校正部に着くと、藤原めぐみさんがすでに来ていた。

デスクに鞄を置いたとき、藤原さんが顔を上げた。

三十一歳の藤原さんは、いつも私より早く来ている。

今日は私の顔を見て、少し表情が変わった。

「ことはちゃん、昨日変なこと言ってごめんね」
「え」と私は言った。

「お母さんに似てるって言ったけど、会ったこともないのに失礼だったな、と思って。昨日の帰り道に気になって」
藤原さんは、昨日の言葉を気にしていたらしかった。

自分の言葉が誰かを傷つけたかもしれないと、一晩考えていたのだろう。

それが藤原さんらしかった。

「気にしていないです」と私は言った。

「そう?ならよかった」と藤原さんは言って、またパソコンに向き直った。

気にしていないです、は嘘だった。

一晩中、気にしていた。

でも藤原さんに「気にしています」とは言えなかった。

言えば、なぜ気にしているのかを説明しなければならない。

説明するためには、里親家庭で育ったこと、血のつながった母親の顔を知らないことを話さなければならない。

今日の朝、その準備がなかった。

午前中、原稿を読みながら、「似ている」という言葉について考えた。

似ている、とはどういうことか。

血がつながっていれば、顔が似る。

目の形、鼻の高さ、口元の癖。

そういうものが受け継がれる。

でも私は、血のつながった人の顔を知らない。

里親として育ててくれた長谷川照子さんと私は、血がつながっていない。

照子さんに似ているかどうかを、考えたことがなかった。

似ていない、とも思ったことがなかった。

ただ、似ているという前提が最初からなかった。

里子として長谷川家で育った七年間、「似ている」という言葉を受け取った記憶がなかった。

親戚がいなかったからかもしれない。

照子さんと武志さんの家に、私以外の子どもはいなかった。

「誰かに似ているね」と言われる機会が、そもそもなかった。

藤原さんの言葉が、なぜ一日中頭から離れなかったのか。

昼休みに一人でお弁当を食べながら、考えた。

似ている、という言葉は、どこかからつながっているという意味だった。

誰かから何かを受け継いでいるという意味だった。

その言葉を、私は受け取る準備ができていなかった。

自分の顔がどこから来たのか。

二十四年間、考えないようにしてきた問いが、昨日の一言で動き始めた。

昨夜、検索窓に実母の名前を打ち込んだのは、そのためだったのかもしれない。

似ているという言葉が、空白を照らした。

空白を照らされると、埋めたくなった。

埋める方法が、検索することしか思いつかなかった。

里親として照子さんが育ててくれた七年間は、温かかった。

それは本当だった。

でも温かかったことと、実母のことを考えないでいたこととは、別のことだった。

照子さんへの感謝と、実母への問いは、矛盾しない。

矛盾しないとわかっていても、実母を検索した夜のことを、照子さんに話せる気がしなかった。

午後の業務が始まって、原稿に向き直った。

校正の仕事は、言葉を正確に読む仕事だった。

誤字脱字を見つけて、文脈のずれを見つけて、正しい形に整える。

言葉に敏感でなければできない仕事だと思っていた。

でも今日は、「似ている」という言葉一つを、正確に読めていなかった。

藤原さんが言った意味と、私が受け取った意味は、違った。

藤原さんは軽い褒め言葉として言った。

私は自分の空白を照らす言葉として受け取った。

同じ言葉が、こんなに違う意味を持つことを、校正の仕事をしながら、今日初めて実感した。

退勤時刻になって、鞄を持った。

藤原さんが「お疲れ様」と言った。

私も「お疲れ様です」と言った。

エレベーターを待ちながら、スマートフォンを取り出した。

昨夜見た三つのアカウントが、まだそこにあるかどうか確認したかった。

でも会社の中では開けなかった。

電車に乗ってから、開こうと思った。

任務報告

深夜の十二時を過ぎていた。

部屋の電気を消して、スマートフォンの画面だけが光っていた。

同居人の宮本さおりはもう寝ていて、アパートは静かだった。

私はベッドの上で、SNSの検索窓を開いたまま、動けずにいた。

私は山下ことは、二十四歳。

都内の小さな出版社で校正の仕事をしている。

検索窓に、文字を打ち込んだ。

山下恵。

実母の名前だった。

検索するつもりは、なかった。

指が動いていた。

一日中、頭から離れなかった言葉があって、気がついたら打ち込んでいた。

きっかけは些細なことだった。

今日の午後、校正部の先輩である藤原めぐみさんが、私の隣に来て原稿を確認しながら、何気なく言った。

藤原さんは三十一歳で、私が入社したときから面倒を見てくれている先輩だ。

「ことはちゃんって、お母さんに似てるよね」
それだけだった。

悪意がないことは、わかった。

藤原さんは私の実母を知らない。

里親家庭で育ったことも、話したことがなかった。

ただ、誰かと似ているということを、軽い口調で言っただけだった。

でもその言葉が、一日中、頭から離れなかった。

私は0歳から7歳まで、里親の長谷川照子さんの家で育った。

照子さんは現在六十一歳で、元保健師だ。

夫の長谷川武志さんは六十四歳で、会社員を定年退職して今は家庭菜園をしている。

今も連絡を取り合っている、大切な人たちだ。

実母の山下恵は、私が0歳のとき、育児放棄によって親権を失った。

今どこにいるのか。

生きているのか。

私は何も知らなかった。

顔も、声も、においも、何も知らなかった。

血がつながっているはずの人の、何も知らなかった。

検索結果が出た。

同姓同名のアカウントが、三つ表示された。

一つ目は、プロフィール写真のない鍵アカウントだった。

アカウント名は「yuki_m_1980」。

投稿は非公開で、何も見えなかった。

二つ目は、中年女性らしき写真のアカウントだった。

プロフィールには「横浜在住、料理が好き」と書いてあった。

投稿には、食事の写真が並んでいた。

三つ目は、明らかに二十代の若い女性のアカウントだった。

別人だと、すぐにわかった。

どれが実母かどうか、わからなかった。

わからないまま、三つのアカウントを交互に見た。

プロフィール写真のない鍵アカウントに、目が止まった。

「yuki_m_1980」という名前が、気になった。

1980年生まれとすれば、今年で四十五歳前後になる。

実母が1980年生まれかどうかも、私は知らなかった。

何も知らないから、何もわからなかった。

でも画面を閉じられなかった。

自分が何を求めているのか、わからなかった。

会いたいのか。

確認したいだけなのか。

存在を知りたいのか。

それとも、存在しないことを確認したいのか。

答えは出なかった。

出ないまま、時間が経った。

気がついたら、一時を過ぎていた。

スマートフォンを、ベッドの上に置いた。

天井を見た。

暗い天井だった。

藤原さんは「お母さんに似てるよね」と言った。

私は血のつながった母親の顔を知らない。

どこが似ているのか、確かめる方法がない。

似ているかどうかより先に、似ている相手がどこにいるのかも知らない。

二十四年間、保留にしてきた問いが、今夜に限って動き始めていた。

なぜ今夜なのかは、わからなかった。

ただ、検索窓に名前を打ち込んだことは、取り消せなかった。

打ち込んだという事実だけが、暗い部屋の中に残っていた。

任務報告

幸子さんの家を訪ねたのは、浩二と飲んだ翌々週の日曜日だった。

特別な用事があったわけではない。

ただ、行きたくなった。

浩二に「康夫さんに似てきた」と言われてから、なぜかずっと幸子さんの顔が浮かんでいた。

電話でもよかったが、今回は直接会いたかった。

最寄り駅から歩いて七分。

道を、体が覚えていた。

角を曲がるタイミング、坂の手前にある小さな公園、吉田家の手前の電柱に巻きついた蔦。

子どものころと変わっていないものと、変わっているものが混在していた。

変わっていないものを見るたびに、六歳の自分がどこかから覗いている気がした。

七十歳の幸子さんは、インターフォンを押すより先に玄関を開けた。

「来ると思ってたわ」と言った。

「なんでですか」
「なんとなく」と笑った。

二年前に電話で言われた「なんとなく」と、同じ笑い方だった。

台所でお茶を飲んだ。

幸子さんが出してくれた煎餅を食べながら、特に意味のない話をした。

幸子さんの近所付き合いのこと、私の仕事のこと、先月降った雪のこと。

里親家庭で育った十二年間も、康夫さんが亡くなった三年前も、今日は誰も持ち出さなかった。

それでよかった。

しばらくして、幸子さんが「康夫さんの道具、使ってくれてる?」と聞いた。

「毎週末使ってます」
「そう」と幸子さんは言った。

「よかった。あの人、道具だけは大事にしてたから」
康夫さんの道具を使うたびに、私は康夫さんのことを考える。

考えようとしているわけではない。

ただ、手が動くと自然に思い出す。

鉋の重さとか、木くずのにおいとか、縁側の陽当たりとか。

体に染みついた記憶というのが、あるのだと思う。

帰り際、玄関で靴を履きながら、私は言った。

「六歳のとき、康夫さんにもらった木片、まだ持ってます」
幸子さんが動きを止めた。

「あの木片、覚えてたの?」
「ずっと持ってました。引っ越しのたびに」
幸子さんはしばらく黙っていた。

泣くかと思ったが、泣かなかった。

ただ、少し目を細めて、静かに笑った。

康夫さんが縁側で木を削っているとき、私が隣に座るといつもしてくれた笑い方に、少し似ていた。

「康夫さんに言ってあげたかったわね」と幸子さんは言った。

私は何も言えなかった。

言葉が出なかった。

ただ「また来ます」とだけ言って、玄関を出た。

帰り道を、ゆっくり歩いた。

空は曇っていたが、雨にはならなかった。

公園の前を通ると、小さな子どもが遊んでいた。

父親らしき男性が隣でしゃがんで、何かを教えていた。

私はその横を通り過ぎながら、少しだけ見た。

見て、また前を向いた。

自分の手を見た。

細くて、傷のない、三十五歳の私の手だった。

血がつながっていない人から受け継いだ鉋の角度を持つ、私の手だった。

似ているかどうかは、もうどちらでもいい気がした。

里親として康夫さんが私に残してくれたものが、この手の中にあるのかどうか、言葉ではわからない。

でも確かに何かがある。

六歳の縁側から始まって、三十五歳の今も続いている何かが。

名前がなくても、それは本物だったと思う。

名前をつけなくても、なくなるものではないと、今日初めて思えた気がした。

アパートに帰って、棚から木片を取り出した。

小さくて、古びて、康夫さんのにおいはもうしない。

でも手のひらに乗せると、あたたかかった。

気のせいかもしれない。

でも、あたたかかった。

それだけで、十分だった。

任務報告

浩二と飲んだのは、木工をした翌週の金曜日だった。

中川浩二は三十五歳で、私と同い年だ。

吉田家の近所で育った幼馴染で、子どものころから私が里親家庭にいることを知っていた。

特別な話題にしたことはなかった。

ただ、知っている。

それだけで、私には十分だった。

待ち合わせた居酒屋は、会社から二駅の、こぢんまりした店だった。

浩二は先に来て、すでにビールを飲んでいた。

「遅い」と言いながら、笑っていた。

こういうやつだった。

最初は他愛のない話をした。

浩二の仕事のこと、共通の知人の近況、特に意味のない話。

二杯目が空いたころ、私は先週の松田の話をした。

「職場の同僚に、お母さんに似てるねって言われた」
「へえ」と浩二は言った。

「誰が来たの」
「わからない。受付に来て、すぐ帰ったらしい。幸子さんじゃなかった」

浩二は少し考えてから「実母かもな」と言った。

遠慮のない言い方だった。

でも浩二らしかった。

変に気を使われるより、こういう言い方のほうが楽だった。

「かもな」と私も言った。

「会いたいと思う?」
「わからない」
正直な答えだった。

会いたいとも、会いたくないとも、はっきり言えなかった。

三十五年間、その問いを保留にしてきた。

今日もまだ、保留のままだった。

浩二は「そっか」と言って、串焼きを一本取った。

それ以上聞いてこなかった。

三杯目に差し掛かったころ、私は松田の言葉がまだ引っかかっていることを話した。

似ているとはどういうことか。

血がつながっていない人に似ていくとはどういうことか。

うまくまとまらないまま話したが、浩二は黙って聞いていた。

「でもお前、康夫さんに雰囲気似てきたよな」
浩二が言った。

否定しようとした。

口を開いて、でも言葉が出なかった。

「鉋の角度の話じゃなくて」と浩二は続けた。

「なんか、静かな感じとか、あんまり余計なこと言わない感じとか。昔のお前はもっとうるさかったし」
「うるさかったは余計だろ」
「事実だろ」と浩二は笑った。

笑い返しながら、私は少し考えた。

康夫さんに似てきた、という言葉を、素直に受け取れなかった。

嬉しいのか、怖いのか、判断できなかった。

血がつながっていない人に似ていくことを、どう受け取ればいいのか。

里親家庭で育った人間が、育ててくれた人に似ていくことは、自然なことなのか。

誰かに教わったことがなかった。

「それって悪いことじゃないだろ」と浩二が言った。

「そうかもな」
「そうだよ」と浩二はあっさり言った。

「康夫さん、いい人だったじゃないか」
いい人だった、という言葉が、思いのほか胸に刺さった。

刺さった、というより、じんわりと染みた。

浩二は特別なことを言ったつもりはないだろう。

ただ事実を言っただけだ。

でも私には、その言葉が必要だった気がした。

康夫さんはいい人だった。

それは本当のことだった。

四杯目を頼みながら、私は窓の外の夜の街を見た。

里親として康夫さんが私にしてくれたことは、言葉より先に手で示すことだった。

木片を渡すこと、道具の使い方を隣で見せること、縁側で黙って座っていること。

そういう人だった。

その人に似てきたと言われることが、なぜ怖いのか。

怖い、という感情の正体を、その夜はまだうまく掴めなかった。

でも、怖いと感じていることだけは、初めて自分で認めた気がした。

店を出たのは、十一時過ぎだった。

浩二と駅で別れて、私は一人で帰り道を歩いた。

少し酔っていた。

夜風が冷たかった。

歩きながら、自分の手を見た。

街灯の下で、細くて傷のない、私の手だった。

この手が、康夫さんに似ているのかどうか、私にはわからない。

でも浩二には、何か見えているのかもしれない。

任務報告

週末は、木工をして過ごすことが多い。

道具は康夫さんのものを幸子さんからもらった。

康夫さんが三年前に亡くなったあと、幸子さんが「誠司が使ってくれるなら一番いい」と言って、工具箱ごと譲ってくれた。

鑿も鉋も、長年使い込まれて手に馴染んだ道具だった。

私の手には少し大きかったが、今はもう慣れた。

その日の午後、私は六畳の部屋の隅に作業スペースを作って、木を削り始めた。

作るものは決まっていなかった。

ただ、手を動かしたかった。

こういうときがある。

何かを考えたくないわけではないのに、頭より先に手を動かしたい夜が。

昨日の松田の言葉が、まだどこかに引っかかっていた。

鉋を握ると、康夫さんの手を思い出す。

大きくて、節くれだって、傷だらけの手だった。

長年大工をしていた手で、指の関節が太く、爪の際にいつも木くずが残っていた。

私の手とは全然違う。

私の手は細くて、営業職らしく荒れてもいない。

並べたら、誰も同じ人間から受け継いだとは思わないだろう。

実際、受け継いでいない。

血はつながっていない。

でも、鉋の角度だけは同じになっていた。

いつからそうなったのか、わからない。

気がついたら、康夫さんと同じ角度で鉋を持っていた。

教わった記憶はない。

ただ、隣で見ていた。

見ているうちに、体が覚えた。

二年ほど前、幸子さんに電話したとき「誠司、康夫さんに似てきたね」と言われたことがある。

「どこがですか」と聞いたら、「なんとなく」と笑われた。

なんとなく、という答えが、妙に腑に落ちた。

似ているというのは、そういうものなのかもしれない。

説明できるものではなく、なんとなく、という感覚の中にあるものなのかもしれない。

康夫さんは、私を一度も「息子」と呼ばなかった。

私も「お父さん」と呼んだことはなかった。

康夫さん、と呼んでいた。

それが自然だった。

距離があったわけではない。

ただ、私たちの間にはずっと、言葉より先に物があった。

木片、道具、削りかす。

言葉の代わりに、何かを手渡し合っていた。

里親として康夫さんが私にしてくれたことを、言葉で数えようとすると、うまくいかない。

食事をくれた、学校に行かせてくれた、そういうことは確かだ。

でも私が覚えているのは、縁側での沈黙とか、工具箱を開けるときの音とか、木のにおいとか、そういうことばかりだった。

康夫さんへの気持ちを、私は一度も「親への感情」と整理したことがなかった。

感謝はある。

尊敬もある。

康夫さんが亡くなったとき、私は葬儀で泣いた。

自分でも驚くくらい、泣いた。

でも「父親を亡くした」という感覚だったかといえば、わからない。

もっと別の何かを失った感覚だった。

言葉にならない何かを。

なぜ「父親だった」と言い切ることを避けてきたのか、自分でもよくわからない。

血がつながっていないからか。

制度の上では里親と里子だからか。

それとも、康夫さん自身が「父親」という役割を前に出さない人だったからか。

たぶんそのどれもが少しずつ、正しい気がする。

鉋を止めて、削りかすを払った。

手のひらを見た。

細くて、傷のない、私の手だった。

でも鉋の持ち方だけは、康夫さんと同じだった。

それがおかしくて、少し笑った。

声には出なかったが、笑った。

似ているとはどういうことか。

血ではなく、時間が作るものが、確かにある気がした。

そう思うことが正しいのかどうか、わからなかった。

でも少なくとも、その日の午後の私には、そう思えた。

任務報告

アパートに帰ったのは、夜の八時過ぎだった。

冷蔵庫から缶ビールを出して、ソファに座った。

テレビをつけたが、何も頭に入らなかった。

結局消して、暗い部屋で缶を傾けた。

こういう夜が、たまにある。

何かがあったわけではないのに、うまく切り替えられない夜が。

実母の顔を、私はほとんど覚えていない。

六歳のとき、実母が蒸発した。

朝起きたら、家に誰もいなかった。

近所の人が気づいて、児童相談所に連絡した。

施設に入って、しばらくして里親制度で吉田家に引き取られた。

その一連のことを、私は記憶の断片としてしか持っていない。

施設の廊下の蛍光灯の白さ。

担当者の女性が履いていた黒いパンプス。

それくらいだ。

実母の顔は、出てこない。

覚えていないことを、ずっと普通のことだと思ってきた。

六歳の記憶など、誰だって曖昧なものだ。

特別なことではない。

そう自分に言い聞かせてきた。

でも今日、松田に「似てる」と言われた瞬間、私は無意識に何かを探した。

覚えていないはずの顔を、頭の中で探していた。

見つからなかった。

当然だった。

吉田家に連れていかれた夜のことは、少し覚えている。

里親の吉田康夫さんは当時五十歳で、元大工だった。

三年前に六十八歳で他界している。

初めて会ったとき、康夫さんは玄関に立って、私を見下ろした。

大きな人だった。

無口で、表情が読めなかった。

正直、怖かった。

幸子さんは当時四十五歳で、康夫さんとは対照的によく笑う人だった。

「ご飯食べようね」と言って、台所に連れていってくれた。

夕食は肉と野菜の炒め物だった。

おいしかった記憶はあるが、食べたのか食べていないのか、はっきりしない。

康夫さんと初めてちゃんと向き合ったのは、吉田家に来て一週間ほど経ったころだった。

縁側で康夫さんが木を削っていた。

私はすることがなくて、ただそこに座った。

康夫さんは何も言わなかった。

私も何も言わなかった。

しばらくそうしていると、康夫さんが小さな木片を私の手のひらに置いた。

何の説明もなかった。

ただ、渡された。

木片は、不思議とあたたかかった。

削りたての木の、やわらかいにおいがした。

それが吉田家での最初の安心だった、と今なら言える。

あのとき六歳の私には、安心という言葉はなかった。

ただ、もう少しここにいてもいい気がした。

それだけだった。

缶ビールを飲み干して、もう一本取りに行く気にもなれなかった。

三十五歳の私が今さら考えていることを、六歳の私は何も考えていなかった。

血がつながるとはどういうことか。

似ているとはどういうことか。

里親家庭で育つとはどういうことか。

そんな問いを持つ言葉を、六歳の私はまだ持っていなかった。

持っていなくてよかったと思う。

あのころ余計なことを考えなかったから、縁側で康夫さんの隣に座れた。

木片を受け取れた。

そういうことだったかもしれない。

でも三十五歳の私は、今日から少し、考え始めてしまった気がした。

部屋の棚に、あの木片がある。

六歳のとき康夫さんからもらって、三十五歳の今も捨てられずにいる。

引っ越しのたびに持ち歩いてきた。

なぜ捨てられないのか、自分でもよくわからない。

ただ、手放す気になれなかった。

暗い部屋で、私は棚の方向をしばらく見ていた。

任務報告

営業先から会社に戻ったのは、夕方の五時過ぎだった。

私は木村誠司、三十五歳。

中堅メーカーの営業職をもう十年続けている。

特別好きな仕事ではないが、不満もない。

毎日それなりにこなして、それなりに帰る。

そういう日々だった。

デスクに鞄を置いて、報告書を開いたとき、隣の席の松田恵子が振り返った。

三十三歳で、同じ営業部に勤めている。

悪い人ではないが、思ったことをすぐ口に出すタイプだ。

「木村さん、今日お母さん来てたよ」
「え」
「お昼ごろ、受付に。木村誠司の母です、って。でもすぐ帰っちゃったみたいで。木村さんに連絡しようとしたんだけど、外回り中だったし」
「人違いじゃないですか」
「そうかなあ。

背格好、似てると思ったんだけど」
愛想笑いを返して、話を流した。

受付に確認すると、来客記録には残っていなかった。

誰かが来たのは事実らしいが、名前も連絡先も不明だった。

私は自席に戻って、少し考えた。

里親として私を育ててくれた吉田幸子さんは、現在七十歳だ。

今も月に一度くらい連絡を取り合っている。

幸子さんが突然会社に来るとは考えにくいが、念のため電話をかけた。

「行ってないわよ。どうかしたの?」

「いえ、何でもないです」

電話を切った。

では誰だったのか。

考えたくない方向に、思考が動いた。

実母かもしれない、という考えだった。

私の実母は、私が六歳のとき蒸発した。

今どこにいるのか、生きているのかさえ知らない。

会いたいと思ったことは、ほとんどない。

少なくとも、そう思ってきた。

松田が「似てる」と言った。

血のつながらない幸子さんには、私は似ていない。

幸子さん本人も笑いながらそう言っていた。

では自分は誰に似ているのか。

鏡で自分の顔を見るとき、私はいつもその問いを素通りしてきた。

目の形、鼻の高さ、口元の癖。

どこから来たのか、わからない顔。

松田は悪意があって言ったわけではない。

ただの世間話だった。

でも「似てる」という言葉が、夕方の静かなオフィスの中で、じわりと引っかかったまま消えなかった。

帰り支度をしながら、私は窓の外を見た。

もし本当に実母だったとしたら、何のために来たのか。

会いたかったのか。

それとも、ただ顔を見たかっただけなのか。

そして私は、会いたかったのか。

わからなかった。

わからないまま、鞄を持って席を立った。

松田が「お疲れ様です」と言った。

私も「お疲れ様です」と返した。

いつもと同じ言葉だった。

でも駅に向かう道を歩きながら、私はずっと、自分の顔のことを考えていた。

誰かに似ているとはどういうことか。

三十五年間、ちゃんと考えたことがなかった問いが、今日に限って頭から離れなかった。

任務報告

あれから一週間が経った。

段ボール箱はリビングの隅に置いたままだった。

開けることも、片付けることもできなかった。

ただ、そこにあることが、今の私にはちょうどよかった。

ある夜、もう一度アルバムを開いた。

四冊を全部、最初から最後まで。

遠足の写真から始まって、中学の合唱コンクール、高校の文化祭、卒業式。

里親として清子さんが記録してくれた十年間が、几帳面に並んでいた。

写真の中の私は、ページを追うごとに少しずつ大人になっていった。

清子さんも、少しずつ年を取っていった。

最後のページに、一枚だけ、私の知らない写真があった。

高校の卒業式の翌日だと思う。

村上家の居間で、私が窓の外を見ている後ろ姿だった。

私は気づいていなかった。

清子さんがそっと撮ったのだろう。

後ろ姿の私は、何を見ていたのか覚えていない。

でも、その写真を撮った清子さんが何を思っていたのかは、少しだけわかる気がした。

引き止めなかった。

でも、見ていた。

私はその一枚を、額に入れることにした。

翌日、近所の雑貨店で小さな木製の額を買ってきて、寝室の棚に飾った。

健一は何も聞かなかった。

ただ、「いい写真だね」と言った。

後ろ姿しか映っていない写真を見て、そう言った。

私は「そうでしょ」と答えた。

なぜかそのとき、少しだけ笑えた。

その夜、夕食を作りながら、私は肉じゃがを作ることにした。

特に理由はなかった。

ただ、作りたかった。

里親だった清子さんが、あの夜私のために作ってくれたものを、三十四年越しに自分で作っていた。

レシピは清子さんから習ったわけではない。

けれど不思議と、手が迷わなかった。

じゃがいもを切りながら、あの夜のことを思った。

知らない家の、知らない食卓。

震える手で箸を持てなかった八歳の私。

「冷めたら温め直すね」と言った清子さんの横顔。

あの言葉の意味が、今ならわかる。

責めないということだった。

待つということだった。

あなたのペースでいい、ということだった。

八歳の私には重すぎた言葉が、四十二歳の私にはようやく、胃の腑に落ちた。

鍋の中で、じゃがいもがゆっくり煮えていった。

「ありがとう」は、結局言えなかった。

これからも言えない。

清子さんはもういないから。

でも、言えなかったことを、私はもう責めないことにした。

言えなかったのには理由があった。

感謝と、重さと、距離と、名前のつかない感情が全部ひとまとまりで、それが私の清子さんへの気持ちだったのだから。

泣けないままでいい、と思う。

泣けないことも、私の正直さだと思うから。

できあがった肉じゃがを、器に盛った。

健一を呼んで、二人で食卓についた。

一口食べて、おいしいと思った。

清子さんの味かどうかは、わからない。

比べる記憶が、私にはない。

でも、温かかった。

それだけは確かだった。

温かいものを、温かいうちに食べた。

それで十分だと、私は思った。

任務報告

遺品整理を終えて駅に向かう途中、あかねから電話がかかってきた。

四十歳で、同じ会社の総務部に勤めている岩本あかねは、私が里親家庭で育ったことを知っている唯一の友人だ。

話したのは三年前、会社の飲み会の帰り道だった。

酔っていたわけでもなかった。

ただ、そのとき急に、誰かに話したくなった。

あかねは驚いた顔をしたが、何も言わなかった。

「そうだったんだね」とだけ言って、それ以上聞かなかった。

それが、私には楽だった。

「どうだった?」とあかねは聞いた。

「うまく説明できない」と私は答えた。

「無理に説明しなくていいよ」
それだけだった。

電話は三分も続かなかった。

でも、切ったあとに少し、息ができた気がした。

家に帰ったのは夜の八時過ぎだった。

健一は夕食を作って待っていた。

テーブルに並んだ料理を見たとき、ふいに涙が出そうになった。

泣かなかった。

でも、出そうになった。

それが遺品整理を終えて、初めての感情らしい感情だった。

食事をしながら、私はしばらく黙っていた。

健一も何も聞かなかった。

食器を片付けたあと、私はソファに座って、持ち帰った段ボール箱をもう一度開いた。

アルバムを一冊取り出して、最初のページを開いた。

遠足の写真。

笑っている私と、隣に立つ清子さん。

「清子さんに、ありがとうって言えなかった」
気がついたら、声に出していた。

健一に向けた言葉ではなかった。

ただ、声に出さずにいられなかった。

健一は黙って、私の隣に座った。

何も言わなかった。

それでよかった。

言葉をもらっても、たぶん受け取れなかった。

ただ隣にいてくれることが、そのときの私にはちょうどよかった。

里親として清子さんが私にしてくれたことは、数えればきりがない。

食事を作ること、学校の行事に来ること、体調を崩したときに看ること。

でも私が今、思い出すのはそういうことではなかった。

廊下ですれ違ったときの気配とか、テレビを見ながら笑っていた横顔とか、雨の日に傘を二本持って校門の前に立っていた姿とか。

言葉にならない、小さなことばかりだった。

「ありがとう」は、相手に届けるためだけにある言葉じゃないのかもしれない、と私は思った。

届けられなかった「ありがとう」は、消えたわけではない。

私の中のどこかに、ずっとあったのだと思う。

うまく取り出せないまま、形にならないまま、でも確かにそこにあった。

清子さんはもういない。

でも、その「ありがとう」は今も私の中にある。

それは本物だと思う。

届かなくても、本物だったと思う。

アルバムをもう一度閉じた。

健一が「お茶、飲む?」と聞いた。

私は「うん」と答えた。

台所でお湯を沸かす音がした。

それを聞きながら、私は段ボール箱の中に「さやかのこと」という文字を見つけた日のことを思った。

あの文字を書いたとき、清子さんは何を思っていたのだろう。

わからない。

たぶん、これからもわからない。

でも、わからないままでいい、と初めて思えた気がした。

任務報告

高校を卒業した春、私は村上家を出た。

里親委託の期間は、原則として十八歳までだと、担当者から説明を受けたのは中学のころだった。

でも清子さんは一度も、その話を私にしなかった。

期限のことも、その後のことも。

だから私は、自分から「出る」と言った。

清子さんは引き止めなかった。

「そう」とだけ言って、少し間を置いてから「元気でね」と言った。

それが正しい判断だったのか、今でもわからない。

アパートを借りて、アルバイトを掛け持ちして、専門学校に通った。

忙しくしていれば、考えずに済んだ。

清子さんのことも、実母のことも、自分がどこから来た人間なのかということも。

忙しさは、便利な蓋だった。

清子さんへの連絡は、年に一度か二度だった。

年賀状と、気が向いたときの短いメッセージ。

会いに行ったのは、十年で三回だった。

少ない、と自分でも思う。

でも、その三回がやっとだった。

会うたびに、何か重いものを渡されるような気がした。

清子さんは責めなかった。

連絡が途絶えても、訪ねてこなくても、何も言わなかった。

それがかえって、私には苦しかった。

責められれば怒れた。

でも清子さんは怒らなかった。

ただ、会うたびに「元気そうでよかった」と言った。

その言葉の重さを、私はうまく受け取れなかった。

去年の秋、清子さんが入院したと礼子さんから連絡があった。

「大事ではないと思うけど、一応お知らせしようと思って」
私は「ありがとうございます、落ち着いたら伺います」と返信した。

伺わなかった。

伺うつもりがなかったわけではない。

でも日常の忙しさの中で、「落ち着いたら」はいつまでも「落ち着いたら」のままだった。

十二月に、清子さんは亡くなった。

訃報を受け取ったとき、私が最初に感じたのは悲しみではなかった。

それが何だったのか、今でもうまく言えない。

後悔とも違う。

ただ、何かが終わったという感覚と、何かを取り逃がしたという感覚が、同時にあった。

里親と里子の関係は、制度としては十八歳で終わる。

書類の上では、私と清子さんの関係はあの春に終わっていた。

でも実際には、終わっていなかった。

終わらせることも、続けることも、私にはうまくできないまま、二十四年が経っていた。

葬儀の帰り道、夫の健一が「清子さん、どんな人だった?」と聞いた。

私は少し考えて、「よくわからない」と答えた。

健一は何も言わなかった。

よくわからない、というのは本当のことだった。

十年一緒に暮らした人のことを、よくわからないと言うのはおかしいかもしれない。

でも私には、清子さんのことが最後までよくわからなかった。

何を考えていたのか、私のことをどう思っていたのか、あの「冷めたら温め直すね」の言葉の奥に、何があったのか。

聞けばよかった。

その後悔は、じわじわとしたもので、波のように来ては引いた。

鋭くないぶん、長く続いた。

任務報告

あの夜のことを、私はずっと思い出さないようにしていた。

八歳の春。

児童相談所の担当者に連れられて、初めて村上家を訪れた夜のことだ。

里親制度という言葉を、私はそのころまだ知らなかった。

ただ、「しばらくここで暮らす」と説明されて、よく意味がわからないまま玄関に立っていた。

実母に置いていかれたのは、その少し前だった。

ある朝、起きたら家に誰もいなかった。

それだけだった。

泣いた記憶もない。

ただ、お腹が空いていたことだけを覚えている。

児童相談所の待合室は、明るかった。

明るすぎて、居心地が悪かった。

担当者の女性は、私に何度も話しかけてくれたが、私はほとんど答えなかった。

答える言葉が見つからなかったというより、答えることで何かが決まってしまう気がして、黙っていた。

村上家に着いたのは、夕方だった。

玄関のドアを開けた清子さんは、私の顔を見て、しゃがんだ。

目線を合わせるためだったと思う。

今の私と同じ年齢だったのか、とアルバムを見ながら初めて気がついた。

あのころの清子さんは、私には大人としか見えなかった。

「さやかちゃんね。

私は清子。

よろしくね」
それだけ言った。

「よろしく」の意味が、八歳の私にはよくわからなかった。

夕食は肉じゃがだった。

里親である清子さんが、私のために作ってくれたのだと、担当者の人が教えてくれた。

でも私は、一口も食べられなかった。

食べたくないわけではなかった。

箸を持つと、手が少し震えた。

知らない家の、知らない食卓で、何かを食べるということが、うまくできなかった。

清子さんは、何も言わなかった。

怒るかと思った。

せっかく作ったのに、と責められるかと思った。

でも清子さんはただ、私の茶碗を見て、静かに言った。

「冷めたら温め直すね」
それだけだった。

その言葉の意味を、八歳の私は正確には理解できなかった。

でも、責められなかったということだけはわかった。

それが怖かった。

責められたほうが、楽だったかもしれない。

責められることには慣れていた。

責められないことに、私は慣れていなかった。

アルバムの中に、その夜の写真はなかった。

当然だと思う。

あの夜を写真に残そうとする人間は、普通はいない。

でも私の中には、あの夜の台所の蛍光灯の白さと、肉じゃがの湯気と、清子さんの横顔が、じわりと滲むように残っていた。

思い出すのに、三十四年かかった。

正確には、思い出さないようにしていたのだと思う。

あの夜を思い出すことは、あの夜に感じたものを引き受けることだった。

怖さと、安堵と、自分でも名前のつけられない何かを。

八歳の私には重すぎた。

四十二歳の私には、ようやく、少しだけ受け取れる気がした。

段ボール箱を膝の上に置いたまま、私はしばらく動けなかった。

任務報告

村上清子さんが亡くなって、三週間が経った。

享年七十四歳。

元小学校の教員で、定年後は地域の読み聞かせボランティアを続けていたと、葬儀のときに初めて知った。

私が里親として清子さんのもとに預けられたのは、私が八歳のときだった。

それから十年間、私は村上家で育った。

今の私は四十二歳になる。

四十四歳で、製造業の会社に勤めている夫の健一には「一人で行きたい」と伝えた。

理由はうまく説明できなかった。

ただ、誰かに見られながら整理できる気がしなかった。

最寄り駅から歩いて十二分。

その道を、体が覚えていた。

角を曲がるタイミング、坂の途中にある自動販売機、隣家の金木犀の木。

全部、変わっていなかった。

変わっていないことが、少し怖かった。

玄関の鍵は、清子さんの姪の、五十一歳で葬儀の際に挨拶を交わした佐藤礼子さんが持っていた。

礼子さんは「ゆっくりやってください」と言い残して、一時間後にまた来ると言った。

私は一人で、静かな家の中に立った。

においがした。

線香と、古い畳と、かすかに何か甘いものの混じった、村上家のにおいだった。

居間から始めて、台所、納戸と片付けていった。

処分するものと、残すものと、確認が必要なものに分けながら、機械的に手を動かした。

泣くかもしれないと思っていた。

でも、泣けなかった。

それが怖かった。

悲しくないのか、と自分に問いかけてみたが、答えが出なかった。

悲しくないわけではないと思う。

ただ、その感情がどこにあるのか、自分でも見つけられなかった。

押し入れの奥に、段ボール箱があった。

ガムテープで丁寧に封がされていて、側面にマジックで「さやかのこと」と書いてあった。

私の名前だった。

手が止まった。

開けるのに、少し時間がかかった。

中には、アルバムが四冊、几帳面に重ねて入っていた。

一冊目を開くと、私が委託されて最初の秋に行った遠足の写真があった。

私は写真の中で笑っていた。

その隣に、清子さんが立っていた。

次のページ。

誕生日ケーキの前で、私が目を閉じている写真。

次。

中学の入学式。

次。

高校の入学式。

自分でもほとんど覚えていない場面が、几帳面に並んでいた。

写真の中の私は、ほとんどの場面で笑っていた。

笑っていた理由を、私は何ひとつ思い出せなかった。

泣けない自分を、少し責めた。

清子さんは、私を一度も「娘」と呼ばなかった。

私も「お母さん」と呼んだことはなかった。

それが冷たい関係だったかといえば、そうじゃないと思う。

ただ、私たちの間にはずっと、名前のつかない距離があった。

悪い距離ではなかった。

でも、埋まることもなかった。

アルバムを静かに閉じた。

「さやかのこと」と書かれた文字を、もう一度見た。

清子さんの字だった。

几帳面で、少し右上がりの。

私は、その段ボール箱を持って帰ることにした。

なぜそうしたいのかは、自分でもわからなかった。

ただ、誰かに処分させたくなかった。

それだけはわかった。

任務報告

奈緒さんに連絡したのは、翌週の月曜日だった。

「話したいことがある」とメッセージを送った。
奈緒さんからすぐに返信が来た。
「いつでも」と書いてあった。
そのたった三文字が、重かった。
いつでも、という言葉の中に、待っていた時間があった。

水曜日の夜、また同じ居酒屋に行った。

カウンターに二人で座った。
ビールを頼んだ。
グラスが来た。
でも今夜は乾杯しなかった。
私がグラスを持たなかったから、奈緒さんも持たなかった。
先に話すべきだと思った。

「遥のことを、正直に話す」と私は言った。

奈緒さんが頷いた。

全部話した。

先月の夜、廊下で遥の泣き声を聞いたこと。
ノックできなかったこと。
翌朝、二人とも何も言わなかったこと。
先週、遥の部屋に入って話したこと。
「お父さんが好きならいいんじゃない」という言葉のこと。

話しながら、奈緒さんの顔を見た。

奈緒さんは黙って聞いていた。
グラスを両手で持ったまま、聞いていた。
表情が、途中で一度だけ動いた。
遥の言葉を話したとき。
「お父さんが好きならいいんじゃない」と私が言ったとき、奈緒さんの目が、少し揺れた。
でも何も言わなかった。
最後まで、聞いていた。

話し終えた。

カウンターが静かになった。
隣の席で、誰かが笑っていた。
居酒屋の音が、遠かった。

奈緒さんがグラスを置いた。

「遥ちゃん、そんなこと考えてたんだね」と言った。
責める声ではなかった。
ただ、言った。

「ああ」と私は言った。

「私が来るたびに、測ってたんだね。
この人は信用できるかって」
「そう見えた」
奈緒さんが少し黙った。
「私、遥ちゃんに好かれようとしてたかもしれない」と言った。
「好かれようとして、空回りしてたかもしれない」
私は何も言えなかった。
否定できなかった。
でも奈緒さんを責める気持ちもなかった。
好かれようとすることの、どこが悪いのか。
悪くなかった。
ただ、遥には届かなかった。
それだけのことだった。

「わかった」と奈緒さんが言った。

わかった、という言葉の意味を、私はすぐには聞けなかった。

別れを受け入れたのか。
待つということなのか。
距離を置くということなのか。
その言葉の中に何があるのか、聞かなければわからなかった。
でも聞けなかった。
聞いてしまえば、奈緒さんが答えを出さなければならなくなる。
今夜、それを求めるのは違う気がした。

「ありがとう」と奈緒さんが言った。
「話してくれて」
私は頷いた。

二人でビールを飲んだ。
冷えていた。
苦かった。
外が雨になっていた。
居酒屋の窓に、雨粒が当たった。
七月の雨だった。

その夜、帰ってから、私は遥の部屋をノックした。

「どうぞ」と遥が言った。

入ると、遥がベッドで本を読んでいた。
私は机の前の椅子に座った。
先週と同じ場所だった。

「話がある」と私は言った。

遥が本を閉じた。
膝の上に置いた。
私を見た。

「しばらく、別のおうちにいてほしい」と私は言った。
「里親、という制度がある。
遥のことをちゃんと迎えてくれる家が、ある」
遥が黙った。

私は続けた。
遥のためでも、奈緒さんのためでもなく、全部のためだと言おうとした。
でも言葉がうまく出なかった。
出てきたのは、別の言葉だった。

「俺が、まだ準備できていなかった。
遥と二人の生活を、ちゃんと守れていなかった。
それが先にある」
遥が下を向いた。
指がパジャマをつまんだ。
いつもの癖だった。

「お父さんは」と遥が言った。

「お父さんはここにいる」と私は言った。
「どこにも行かない」

遥が黙った。

長い沈黙だった。
外の雨が、窓を叩いていた。
七月の雨音だった。
本棚の本が、きれいに並んでいた。
遥の手が、パジャマをつまんだまま、止まっていた。

「わかった」と遥が言った。

先週の「わかった」より、重かった。
先週は場所を譲った「わかった」だった。
今夜は違った。
お父さんがここにいると言ったから、わかった。
その違いが、私にはわかった。

「遥」と私は言った。

「なに」
「お前に譲らせた。
すまなかった」
遥が顔を上げた。
私を見た。
目が、少し赤かった。
でも泣かなかった。
唇をきつく結んで、私を見た。

「べつに」と遥が言った。

二度目の「べつに」だった。
先週と同じ言葉だった。
でも今夜の「べつに」は、声が震えていなかった。
まっすぐ出てきた言葉だった。

部屋を出た。

廊下に出て、ドアを閉めた。
雨の音が続いていた。
私はしばらく廊下に立った。

誰かが場所を譲った。

大人が譲った。
奈緒さんが「わかった」と言った。
私が遥に正直に話した。
遥は譲らなくてよかった。
そのことだけが、今夜の私には十分だった。
十分かどうかは、本当はわからなかった。
奈緒さんの「わかった」の意味も、これからどうなるかも、まだ何もわからなかった。

でも今夜、遥が泣かなかった。

声を殺さずに、まっすぐ「べつに」と言えた。
それだけが、今夜の確かなことだった。

廊下を歩いた。

台所に行って、水を一杯飲んだ。
冷たかった。
喉を通って、腹に落ちた。
窓の外で、雨が続いていた。
七月の雨だった。
明日も降るかもしれなかった。
明日のことは、明日になればわかる。

今夜は、それだけでよかった。

任務報告

七月になった。

期末試験が終わって、学校が少し静かになった。
私の担当するクラスも、試験明けの緩んだ空気があった。
生徒たちがよく笑っていた。
私はそれを見ながら、遥はどうだろうと思った。
遥の試験が終わったかどうか、聞いていなかった。

帰り道、スーパーに寄った。

遥の好きなものを買おうとした。
何が好きだったか、考えた。
からあげ。
きゅうりの浅漬け。
プリン。
三つは出てきた。
四つ目が出てこなかった。
四年間、一緒に暮らしていて、四つ目が出てこなかった。
スーパーの蛍光灯の下で、かごを持ったまま、しばらく立っていた。

からあげの材料を買った。

夕飯を食べ終えてから、遥が部屋に戻ろうとした。

「遥」と私は言った。

遥が振り返った。
「なに」と言った。

「ちょっといいか」
遥が少し間を置いた。
「うん」と言った。

遥の部屋に入るのは、久しぶりだった。
本棚に本が並んでいた。
背表紙が、きれいに揃っていた。
几帳面に並べていた。
机の上に、教科書とノートがあった。
ベッドが、きちんと整えられていた。
十一歳の部屋だったが、私の部屋より整っていた。

遥がベッドに座った。
私は机の前の椅子に座った。
向かい合った。

「奈緒さんのこと、どう思う」と私は言った。

言ってしまってから、唐突だったと思った。
前置きがなかった。
でも前置きを探していたら、また言えなくなる気がした。
だから言った。

遥が黙った。

膝の上に手を置いて、下を見た。
私は遥を見た。
遥の手が、少し動いた。
指が、パジャマの生地をつまんだ。
離した。
またつまんだ。

沈黙が続いた。

私は待った。
急かさなかった。
体育の授業で、生徒が答えを探しているとき、待つことを覚えた。
待つことが、答えを引き出すことがある。
今夜も、待った。

「お父さんが好きならいいんじゃない」と遥が言った。

下を向いたまま言った。
私の顔を見なかった。

その言葉を、私はしばらく考えた。

お父さんが好きならいい。

好きでいてもいい、ではなかった。
拓海が好きなら、私は何も言わない。
拓海が決めることだから、私には関係ない。
そういう言葉だった。
十一歳が、場所を譲った言葉だった。

遥がいつ、その言葉を用意したのか。

夜泣きをしながら、用意したのかもしれなかった。
声を殺して泣きながら、父親に何か聞かれたときのために、用意した言葉かもしれなかった。
その想像が、胸に刺さった。
刺さったまま、抜けなかった。

「遥」と私は言った。

遥が顔を上げた。

「お前が、どう思うかを聞いてる」
遥がまた下を向いた。
指がパジャマをつまんだ。
「わからない」と言った。
今度は小さい声だった。

「そうか」と私は言った。

椅子から立とうとして、止まった。

立ったら、終わりになる気がした。
この部屋を出たら、また何も言えないまま戻る気がした。
だから座ったまま、もう少しいた。

「俺も、わからない」と私は言った。

遥が顔を上げた。
今度は私を見た。

「どうすれば正しいのか、わからない。
遥のこと、奈緒さんのこと、どっちも大事で、どっちが先かを決められない。
ずっとそのまま、動けなかった」
遥が黙っていた。

「だから今夜、聞いた。
お前に聞かないで、決めるのは、違う気がした」
部屋が静かだった。

本棚の本が、並んでいた。
外で、虫が鳴いていた。
七月の夜だった。
遥が膝の上の手を見た。
指が、パジャマをつまんでいた。

「お父さんは、奈緒さんのこと、好きなの」と遥が言った。

「好きだ」と私は言った。
「お前のことも、好きだ」
遥が「そっか」と言った。

それだけだった。
答えは出なかった。
でも今夜、遥と話した。
話せた。
それだけが、今夜の確かなことだった。

部屋を出る前に、私は遥に言った。

「夜泣いてるの、聞こえてた」
遥が固まった。

「ノックできなかった。
すまなかった」
遥はしばらく黙った。
それから「べつに」と言った。
でも声が、少し震えた。

私は部屋を出た。

廊下に出て、ドアを閉めた。
遥の部屋の前に、少しだけ立った。
中から音はしなかった。
泣いていなかった。
少なくとも今は、泣いていなかった。

それだけで、今夜は十分だった。