里子として育ったという事実を、自分でも整理できていないまま、誰かに話していた
さおりが「最近、何かあった?」と聞いてきたのは、夕食を食べ終えたあとだった。
宮本さおりは二十四歳で、大学一年のときに同じ講義で知り合った友人だ。
卒業後も一緒に住もうと言い出したのはさおりのほうで、私は迷いながら頷いた。
明るくて行動力があって、思ったことをすぐ口に出す。
私とは正反対の性格だったが、一緒にいると楽だった。
「何かあったって、どういう意味?」と私は聞いた。
「なんとなく、ぼーっとしてる気がして」とさおりは言った。
「ご飯食べてるときも、どこか遠いところにいる感じ」
さおりは気がつく人だった。
私が何も言わなくても、変化を察した。
それが助かるときと、少し怖いときがあった。
今日は、少し怖かった。
「ちょっと昔のことを考えてた」と私は言った。
「昔のこと?」
「うん」
それ以上、言葉が出なかった。
検索したことを、話せなかった。
話せばさおりはきっと否定しない。
でも口にすることで、何かが変わる気がした。
変わることへの躊躇があった。
さおりが少し間を置いてから、直接聞いてきた。
「実親のこと?」
私は驚いて、さおりを見た。
「なんで」と私は言った。
「前に少し話してくれたことがあったから」とさおりは言った。
「大学三年のとき、飲み会の帰り道に」
記憶がなかった。
大学三年の飲み会の帰り道。
その状況自体は思い出せる。
でも実親の話をした記憶がなかった。
里親家庭で育ったことを、さおりに話した記憶が、なかった。
「私、そんな話をしたの?」と私は聞いた。
「したよ」とさおりは言った。
「里親さんのところで育ったって。あんまり覚えてないけど、確かに言ってた。私はちゃんと覚えてる」
自分が話したことを、自分が覚えていない。
その事実が、少し怖かった。
それほど無意識に話せていたのか。
それとも、意識の外に追いやっていたのか。
里子として育ったという事実を、自分でも整理できていないまま、誰かに話していた。
「覚えてなかった」と私は正直に言った。
「そうか」とさおりは言った。
責める顔ではなかった。
ただ、受け取った顔だった。
しばらく二人で黙っていた。
さおりがお茶を淹れてきて、私の前に置いた。
何も言わなかった。
ただ、置いた。
その動作が、今夜は助かった。
「実親を検索した」と私は言った。
声に出してしまってから、少し驚いた。
話すつもりがなかった。
でも出てきた。
さおりのお茶が、何かを緩めたのかもしれなかった。
「どうだった?」とさおりが聞いた。
「同姓同名のアカウントが三つ出てきた。
でも本人かどうかわからない」
「フォローした?」
「できなかった」
さおりは黙って聞いていた。
うんうん、と相槌を打ちながら、お茶を飲んでいた。
余計なことを言わなかった。
「会いたいの?」とも聞かなかった。
ただ、聞いていた。
「里親さんに話せる?」とさおりが聞いた。
「照子さんに?」
「うん。話したら、少し楽になるんじゃないかなと思って」
照子さんに話すことを、ここ数日考えていた。
でも話せなかった理由がある、と私は言った。
「どういう理由?」
「照子さんが、傷つくかもしれないと思って」
言葉にしてみると、それが一番近かった。
里親として私を育ててくれた照子さんに、実母を検索したと言うことへの、名前のつかない後ろめたさ。
裏切りではないとわかっていた。
でも言えなかった。
「照子さん、そんな人じゃないんじゃないの?」とさおりが言った。
「そうかもしれない」と私は言った。
「でも言えない」
さおりは少し考えてから「じゃあ、今は言わなくていいんじゃない」と言った。
「言えるときに言えばいい」
その言葉が、少し楽にした。
今すぐ話さなくていい。
整理がついてから話せばいい。
さおりの言葉は単純だったが、単純だからこそ受け取れた。
「さおり、覚えてくれてたんだね」と私は言った。
「里親家庭で育ったこと」
「当たり前じゃん」とさおりは笑った。
「友達のことは覚えてるよ」
その笑い方が、いつものさおりだった。
特別なことのように扱わない、いつもの笑い方だった。
里子として育った自分の過去が、さおりの中でずっと普通に存在していた。
私が覚えていないあの夜から、ずっと。
それが今夜、少し温かかった。
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