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合言葉を失った

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血のつながりがない子を、本当に自分の子として愛せるの

「子どもを迎えたいと思っている」
その言葉を、誰かに向けて口にすることを考えると、いつも少し手前で止まってしまう。

特別養子縁組という言葉自体、まだそれほど広く知られているわけではない。

話したとしても、「それって何?」と聞かれることから始まる気がする。

説明しようとすると、制度の話になってしまい、肝心の自分の気持ちは、その説明の中で薄れていってしまうのではないか。

そんな不安が、いつも先に立った。

それに、どんな反応が返ってくるのか、想像すると怖さもあった。

「血のつながりがない子を、本当に育てられるの」と聞かれたら、何と答えればいいのだろう。

「すごいね」と言われたら、それは励ましなのか、それとも少し距離を置かれたということなのか。

考えれば考えるほど、話すこと自体が、ひとつの大きな出来事のように感じられた。

夫とは、すでに何度も話していた。

ふたりだけの会話の中では、自然に言葉が出てきた。

でも、その外側にいる人たちに向けて、同じ言葉を口にすることは、まったく別の重さを持っていた。

それでも、いつまでも誰にも話さないままでいることはできない。

準備を進めていくのであれば、いずれは家族にも、友人にも、伝える必要が出てくる。

その「いずれ」が、思っていたより早くやってくることになった。

最初に話したのは、夫だった。

ある夜、洗い物をしながら、何の前置きもなく口にした。

「特別養子縁組について、調べてみようと思ってるんだけど」。

手は止めずに、できるだけ普段の話のように聞こえるよう、声の調子を意識した。

夫は少し黙った。

テレビの音だけが、リビングに流れていた。

「どうして、急にそんな話を」
責めるような口調ではなかった。

でも、突然のことに戸惑っているのは、声からも伝わってきた。

私は、先週友人の家で子どもに絵本を読んだときのことを話した。

その後、ずっとその感覚が頭から離れなくて、夜中に検索していたことも。

話しながら、自分でも、こんなにはっきりと言葉にできるとは思っていなかった。

夫は、洗い終わった食器を拭きながら、しばらく黙って聞いていた。

「正直、すぐにはピンと来ないけど」
夫はそう言った。

「でも、あなたがそこまで考えているなら、一緒に調べてみてもいいかもしれない」
その答えは、賛成でも反対でもなかった。

でも、「一緒に」という言葉が、私にとっては十分だった。

一人で抱えていた気持ちを、ようやく誰かと共有できた。

それだけで、肩の力が少し抜けた。

その夜から、私たちは少しずつ、特別養子縁組について調べるようになった。

最初は、夫の反応のひとつひとつに、私は敏感になっていた。

「これ、どう思う」と聞くたびに、夫の表情を確認していた。

でも、調べる時間が増えるにつれて、夫の言葉も少しずつ変わっていった。

「これ、知ってた?」と、夫の方から話してくれることも増えていった。

ふたりの間でこの話ができるようになったことは、思っていたより大きな一歩だった。

でも、その先には、まだ伝えていない人たちがいた。

それぞれの両親に、どう伝えるか。

その話を、私たちはまだ、していなかった。

私の両親に話したのは、夏の終わりのことだった。

実家に帰省したとき、夕食の後、母と二人になる時間があった。

「ちょっと話したいことがあるんだけど」。

そう切り出すと、母は手を止めて、こちらを見た。

特別養子縁組という言葉を、私は丁寧に説明した。

家庭での養育が難しい子どもに、法的な親子関係を結んで、新しい家庭を提供する制度であること。

今、その制度について、夫と一緒に調べていること。

母は、最後まで黒って聞いていた。

話し終えると、少し間があった。

「血のつながりがない子を、本当に自分の子として愛せるの」
母の最初の言葉は、それだった。

その問いは、私自身、調べ始めた頃に何度も自分に向けていたものだった。

だから、母の反応に驚きはなかった。

むしろ、母が正直に言葉にしてくれたことが、ありがたかった。

私は、自分が調べてきたことを話した。

法的に親子になるということ。

育ての中で育まれる関係は、血のつながりとは別のところにあるということ。

支援団体のサイトで読んだ、実際に縁組を経験した家族の話も伝えた。

母は、すぐには納得した様子ではなかった。

「お母さんの時代には、そういう考え方はあまりなかったから」と、ぽつりと言った。

それは、否定の言葉ではなく、戸惑いをそのまま口にした言葉のように聞こえた。

その日は、それ以上深い話にはならなかった。

でも、数週間後、母から電話があった。

「あの話、ちょっと調べてみたんだけど」と、母は言った。

テレビで見た特別養子縁組のドキュメンタリーのことを、母は話してくれた。

「お母さんには、まだよくわからないところもあるけど」
母は続けた。

「あなたが、そこまで考えているなら、それは本気なんだろうなと思って」
その言葉には、完全な理解とは言えない部分が、まだ残っていた。

でも、母が自分の時間を使って調べてくれたこと、そして、私の気持ちを「本気」として受け止めてくれたこと。

それだけで、十分だった。

夫の両親には、夫から話してくれた。

その反応は、私の両親とは少し違う形だった。

でも、それはまた別の話になる。

友人に話したのは、もう少し気持ちが落ち着いてからだった。

親に伝えるときのような緊張は、友人に対してはあまりなかった。

でも、別の種類の難しさがあることに、話してみてから気づいた。

大学時代からの友人、麻衣に話したのは、ランチをしているときだった。

「最近、特別養子縁組について調べてるんだ」と、できるだけさらりと伝えた。

麻衣は、驚いた様子で「えー、すごいね」と言った。

その「すごいね」には、悪意はまったくなかった。

むしろ、好意的な反応だった。

でも、その言葉を聞いた瞬間、私の中に、小さな違和感が生まれた。

「すごい」という言葉は、何か特別なことをしている人に向けられる言葉のように感じた。

私はただ、自分の気持ちに正直に、次の一歩を考えているだけのつもりだった。

でも麻衣の反応からは、それが「特別なこと」として受け取られているのが伝わってきた。

その後、麻衣は「立派だね」「私には、そんな勇気ないかも」と続けた。

言葉そのものは、すべて好意的だった。

でも、話しているうちに、私と麻衣の間に、薄い膜のようなものができていく感覚があった。

麻衣は決して悪気があったわけではない。

ただ、私の話を「自分とは違う世界の話」として受け止めているのが、なんとなくわかった。

その距離感に、最初は少し寂しさを感じた。

でも、よく考えてみると、それは当然のことかもしれないと思うようになった。

麻衣にとって、特別養子縁組は、それまで自分の生活の中に存在しなかった言葉だった。

それを、急に「自分にも関係があるかもしれない話」として受け止めることは、簡単ではない。

私自身も、数ヶ月前まで、同じように遠い話だと思っていた。

別の友人には、もう少し違う形で話してみた。

詳しい説明はせず、「ちょっと考えてることがあって」と、まずは漠然と伝えた。

すると、その友人は「何かあったら、いつでも話聞くよ」とだけ言った。

具体的な反応を求めない、その距離感が、そのときの私には心地よかった。

人によって、伝え方も、受け取られ方も、こんなに違うのだと、話してみて初めて気づいた。

夫に最初に話した夜のこと。

母に伝えたときの戸惑い。

麻衣との間にできた、薄い膜のような距離感。

振り返ってみると、それぞれの対話は、まったく違う反応を返してきた。

賛成でも反対でもない夫の言葉。

完全には納得していなかった母の戸惑い。

好意的だけれど、少し遠いところからの麻衣の言葉。

どの対話も、私が望んでいた「理解してもらえた」という感覚を、はっきりと与えてくれたわけではなかった。

でも、今になって思うのは、それでよかったということだ。

話す前は、誰かに理解してもらうことで、自分の気持ちが確かなものになると思っていた。

賛成してもらえれば安心できる、納得してもらえれば前に進める、そんな気がしていた。

実際には、そうではなかった。

夫と話したことで、自分の気持ちを初めて言葉にできた。

母と話したことで、自分が調べてきたことを、もう一度整理することができた。

麻衣との距離感を感じたことで、自分にとってこの選択がどれほど個人的なものなのかを、改めて意識した。

理解されることと、対話することは、別のことなのだと思う。

完全に理解されなくても、対話そのものが、自分の気持ちを少しずつ確かなものにしていく。

話すたびに、自分の中にあったものの輪郭が、少しはっきりしていく。

もし今、誰かに話すことを迷っている人がいたら。

理解してもらうことを、最初の目的にしなくていい。

ただ、自分の言葉で、自分の気持ちを誰かに伝えてみること。

その対話の積み重ねが、いつか、自分自身にとっての答えに近づいていく道になるのかもしれない。


隊士 お館様管理者

藤の里における鬼倒隊を統率している者。私が初めて鬼の存在を知ったのは、ボランティアの場でした。 里親制度への無知と誤解という鬼が、日本中に蔓延していること。そのせいで、家庭で暮らせずにいる子どもたちがいること。里親になりたくても、なれずにいる人たちがいること。 その現実が、忘れられませんでした。 それからも何度もボランティアを重ねるたびに、鬼の大きさを思い知らされました。 私自身は里親経験者ではありません。 剣を持って戦える立場にはない。 だからこそ、実際に戦ってきた方々の記録を集め、次の誰かへ届ける場所を作ることが、私にできる戦いだと思いました。 藤の里は、その使命のために生まれました。 あなたの戦いの記録を、ここに刻んでください。 その呼吸を、次の世代へつないでいきましょう。

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