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合言葉を失った

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「子どもを迎えたいと思っている」
その言葉を、誰かに向けて口にすることを考えると、いつも少し手前で止まってしまう。

特別養子縁組という言葉自体、まだそれほど広く知られているわけではない。

話したとしても、「それって何?」と聞かれることから始まる気がする。

説明しようとすると、制度の話になってしまい、肝心の自分の気持ちは、その説明の中で薄れていってしまうのではないか。

そんな不安が、いつも先に立った。

それに、どんな反応が返ってくるのか、想像すると怖さもあった。

「血のつながりがない子を、本当に育てられるの」と聞かれたら、何と答えればいいのだろう。

「すごいね」と言われたら、それは励ましなのか、それとも少し距離を置かれたということなのか。

考えれば考えるほど、話すこと自体が、ひとつの大きな出来事のように感じられた。

夫とは、すでに何度も話していた。

ふたりだけの会話の中では、自然に言葉が出てきた。

でも、その外側にいる人たちに向けて、同じ言葉を口にすることは、まったく別の重さを持っていた。

それでも、いつまでも誰にも話さないままでいることはできない。

準備を進めていくのであれば、いずれは家族にも、友人にも、伝える必要が出てくる。

その「いずれ」が、思っていたより早くやってくることになった。

最初に話したのは、夫だった。

ある夜、洗い物をしながら、何の前置きもなく口にした。

「特別養子縁組について、調べてみようと思ってるんだけど」。

手は止めずに、できるだけ普段の話のように聞こえるよう、声の調子を意識した。

夫は少し黙った。

テレビの音だけが、リビングに流れていた。

「どうして、急にそんな話を」
責めるような口調ではなかった。

でも、突然のことに戸惑っているのは、声からも伝わってきた。

私は、先週友人の家で子どもに絵本を読んだときのことを話した。

その後、ずっとその感覚が頭から離れなくて、夜中に検索していたことも。

話しながら、自分でも、こんなにはっきりと言葉にできるとは思っていなかった。

夫は、洗い終わった食器を拭きながら、しばらく黙って聞いていた。

「正直、すぐにはピンと来ないけど」
夫はそう言った。

「でも、あなたがそこまで考えているなら、一緒に調べてみてもいいかもしれない」
その答えは、賛成でも反対でもなかった。

でも、「一緒に」という言葉が、私にとっては十分だった。

一人で抱えていた気持ちを、ようやく誰かと共有できた。

それだけで、肩の力が少し抜けた。

その夜から、私たちは少しずつ、特別養子縁組について調べるようになった。

最初は、夫の反応のひとつひとつに、私は敏感になっていた。

「これ、どう思う」と聞くたびに、夫の表情を確認していた。

でも、調べる時間が増えるにつれて、夫の言葉も少しずつ変わっていった。

「これ、知ってた?」と、夫の方から話してくれることも増えていった。

ふたりの間でこの話ができるようになったことは、思っていたより大きな一歩だった。

でも、その先には、まだ伝えていない人たちがいた。

それぞれの両親に、どう伝えるか。

その話を、私たちはまだ、していなかった。

私の両親に話したのは、夏の終わりのことだった。

実家に帰省したとき、夕食の後、母と二人になる時間があった。

「ちょっと話したいことがあるんだけど」。

そう切り出すと、母は手を止めて、こちらを見た。

特別養子縁組という言葉を、私は丁寧に説明した。

家庭での養育が難しい子どもに、法的な親子関係を結んで、新しい家庭を提供する制度であること。

今、その制度について、夫と一緒に調べていること。

母は、最後まで黒って聞いていた。

話し終えると、少し間があった。

「血のつながりがない子を、本当に自分の子として愛せるの」
母の最初の言葉は、それだった。

その問いは、私自身、調べ始めた頃に何度も自分に向けていたものだった。

だから、母の反応に驚きはなかった。

むしろ、母が正直に言葉にしてくれたことが、ありがたかった。

私は、自分が調べてきたことを話した。

法的に親子になるということ。

育ての中で育まれる関係は、血のつながりとは別のところにあるということ。

支援団体のサイトで読んだ、実際に縁組を経験した家族の話も伝えた。

母は、すぐには納得した様子ではなかった。

「お母さんの時代には、そういう考え方はあまりなかったから」と、ぽつりと言った。

それは、否定の言葉ではなく、戸惑いをそのまま口にした言葉のように聞こえた。

その日は、それ以上深い話にはならなかった。

でも、数週間後、母から電話があった。

「あの話、ちょっと調べてみたんだけど」と、母は言った。

テレビで見た特別養子縁組のドキュメンタリーのことを、母は話してくれた。

「お母さんには、まだよくわからないところもあるけど」
母は続けた。

「あなたが、そこまで考えているなら、それは本気なんだろうなと思って」
その言葉には、完全な理解とは言えない部分が、まだ残っていた。

でも、母が自分の時間を使って調べてくれたこと、そして、私の気持ちを「本気」として受け止めてくれたこと。

それだけで、十分だった。

夫の両親には、夫から話してくれた。

その反応は、私の両親とは少し違う形だった。

でも、それはまた別の話になる。

友人に話したのは、もう少し気持ちが落ち着いてからだった。

親に伝えるときのような緊張は、友人に対してはあまりなかった。

でも、別の種類の難しさがあることに、話してみてから気づいた。

大学時代からの友人、麻衣に話したのは、ランチをしているときだった。

「最近、特別養子縁組について調べてるんだ」と、できるだけさらりと伝えた。

麻衣は、驚いた様子で「えー、すごいね」と言った。

その「すごいね」には、悪意はまったくなかった。

むしろ、好意的な反応だった。

でも、その言葉を聞いた瞬間、私の中に、小さな違和感が生まれた。

「すごい」という言葉は、何か特別なことをしている人に向けられる言葉のように感じた。

私はただ、自分の気持ちに正直に、次の一歩を考えているだけのつもりだった。

でも麻衣の反応からは、それが「特別なこと」として受け取られているのが伝わってきた。

その後、麻衣は「立派だね」「私には、そんな勇気ないかも」と続けた。

言葉そのものは、すべて好意的だった。

でも、話しているうちに、私と麻衣の間に、薄い膜のようなものができていく感覚があった。

麻衣は決して悪気があったわけではない。

ただ、私の話を「自分とは違う世界の話」として受け止めているのが、なんとなくわかった。

その距離感に、最初は少し寂しさを感じた。

でも、よく考えてみると、それは当然のことかもしれないと思うようになった。

麻衣にとって、特別養子縁組は、それまで自分の生活の中に存在しなかった言葉だった。

それを、急に「自分にも関係があるかもしれない話」として受け止めることは、簡単ではない。

私自身も、数ヶ月前まで、同じように遠い話だと思っていた。

別の友人には、もう少し違う形で話してみた。

詳しい説明はせず、「ちょっと考えてることがあって」と、まずは漠然と伝えた。

すると、その友人は「何かあったら、いつでも話聞くよ」とだけ言った。

具体的な反応を求めない、その距離感が、そのときの私には心地よかった。

人によって、伝え方も、受け取られ方も、こんなに違うのだと、話してみて初めて気づいた。

夫に最初に話した夜のこと。

なぜ、子どもと暮らしたいのだろう。

この問いに、すぐに答えられる人は、それほど多くないかもしれません。

「子どもが好きだから」「家族が欲しいから」「誰かの役に立ちたいから」。

そういった言葉は浮かんでも、その奥にある本当の気持ちを言葉にしようとすると、案外うまくいかないものです。

特別養子縁組や里親について調べていると、制度の名前や条件、手続きの流れに目が向きがちです。

それは当然のことです。

実際に動こうとすれば、知っておかなければならないことがたくさんあります。

年齢の条件、必要な書類、研修の内容。

調べることは次から次へと出てきて、気づけば一日の多くの時間を、検索画面と向き合って過ごしている、ということもあるかもしれません。

でも、制度の話を一度脇に置いて、自分自身に問いかけてみてほしいことがあります。

なぜ、子どもと暮らしたいのか。

この問いには、正解がありません。

「子どものため」という答えだけが正しいわけでもありません。

自分の人生に何かを加えたいという気持ちも、社会とのつながりを持ちたいという気持ちも、過去に経験したことを誰かのために生かしたいという気持ちも、すべて、その人にとっての本当の動機でありえます。

むしろ、ひとつの言葉では言い表せない、いくつもの気持ちが重なり合っていることの方が多いのかもしれません。

これから、その問いに対して、それぞれ違う答えを持っていた三人の話が続きます。

ひとりは、家族をつくりたいという強い気持ちから。

ひとりは、誰かの居場所になりたいという思いから。

そしてもうひとりは、自分でもうまく説明できない、漠然とした気持ちから。

動機の形は、人によってまったく違います。

どれが正しいということはありません。

ただ、それぞれの動機が、その人をどこに導いていったのかを、順に見ていきたいと思います。

最後にもう一度、最初の問いに戻ってきます。

そのとき、自分の中に何が浮かぶか、少し意識しながら読み進めてもらえたらと思います。

自分が本当に欲しかったのは、妊娠という結果そのものではなく、その先にある暮らしだった

由美が「家族をつくりたい」という言葉を初めて口にしたのは、不妊治療をやめてから半年ほど経った頃だった。

治療をしていた七年間、その言葉を使うことは、どこか避けていたように思う。

「子どもが欲しい」とは思っていても、「家族をつくりたい」と言ってしまうと、今の自分と夫のふたりだけの暮らしが、何か足りないものであるかのように聞こえる気がしていた。

でも治療をやめて、少し時間が経ったとき、ふと気づいた。

自分が本当に欲しかったのは、妊娠という結果そのものではなく、その先にある暮らしだったのだと。

誰かと一緒に朝を迎えて、誰かの成長を近くで見守って、家族として歳を重ねていく。

その暮らしの形を、由美はずっと求めていた。

特別養子縁組という言葉に出会ったとき、由美はその制度の中に、自分が求めていたものをはっきりと見た。

法的に親子になるということ。

戸籍に名前が並ぶということ。

それは、由美にとって「家族になる」ということの、具体的な形だった。

血のつながりではなく、制度として、社会として、親子であると認められること。

その意味の重さが、由美の気持ちと強く結びついた。

夫と話し合い、特別養子縁組に向けて動き始めた。

審査や研修を経て、ひとりの女の子を迎えることになったとき、由美は「これでようやく、家族になれる」と思った。

実際に縁組が成立した日、由美は泣きながら、夫に「ありがとう」と何度も言った。

何に対しての「ありがとう」なのか、自分でもうまく説明できなかった。

でもその言葉以外、何も思いつかなかった。

由美にとって、子どもと暮らしたい理由は、最初から最後まで「家族をつくりたい」という一点にあった。

その動機は、特別養子縁組という制度と、まっすぐに重なっていた。

法的な親子関係を結ぶこと。

それは由美にとって、義務でも形式でもなく、自分が長く求めてきた「家族」という言葉の、具体的な実現だった。

子どもと暮らしたい理由は、「親になりたい」ということではなかった

正子が里親について考え始めたのは、五十六歳のときだった。

二人の子どもはすでに独立し、家には夫とふたりだけの時間が流れていた。

それ自体は穏やかな日々だった。

でも、子育てをしていた頃の、家の中が誰かの気配で満ちていた感覚を、正子はときどき思い出した。

きっかけは、近所に住む知人の言葉だった。

「うちの娘、今度から週末だけ、施設の子を預かるボランティアをするらしいの」。

何気ない会話だったが、正子の中に小さな引っかかりとして残った。

調べていくうちに、里親という制度に行き着いた。

正子が惹かれたのは、「親になる」という言葉の重さではなかった。

むしろ、「居場所を提供する」という言葉の方に、自分の気持ちが近いと感じた。

長年、家族のために食事をつくり、家を整え、誰かの帰りを待つ暮らしを続けてきた。

その経験そのものが、誰かにとっての安心できる場所をつくることに使えるのではないか。

正子はそう思った。

里親として迎えたのは、小学生の男の子だった。

最初の数ヶ月、男の子はあまり話さなかった。

正子は無理に距離を縮めようとはせず、ただ毎日同じように、ご飯をつくり、声をかけ続けた。

ある日の夕食後、男の子がぽつりと「今日のごはん、おいしかった」と言った。

それだけのことだったが、正子はその夜、台所で少し涙ぐんだ。

正子にとって、子どもと暮らしたい理由は、「親になりたい」ということではなかった。

誰かにとっての安心できる場所になりたい。

その気持ちが、正子を里親という選択に導いた。

法的な親子関係がなくても、その子が必要としている時間に寄り添えること。

それこそが、正子が求めていたものだった。

明確な「動機」というより、「あの時間を、今度は自分が誰かに渡せたら」という、静かな感覚だった

智也が児童相談所の説明会に申し込んだのは、特に強い理由があったわけではなかった。

四十代後半、独身。

仕事は安定していて、生活に大きな不満があるわけでもない。

ただ、ある日テレビで里親についての特集を見たとき、なんとなく画面から目が離せなかった。

それだけのことだった。

説明会に申し込んだ後も、智也は自分の動機がよくわからなかった。

「なぜ申し込んだんですか」と聞かれたら、なんと答えればいいのか、自分でも見当がつかなかった。

説明会の日、職員との個別の面談で、智也は正直にそのことを話した。

「特に理由がないんです。

なんとなく気になって、申し込んでしまっただけで」
職員は、それを聞いても表情を変えなかった。

「そういう方は、実は多いんですよ」と言った。

「最初からはっきりした理由を持っている方ばかりではありません。

むしろ、これから一緒に考えていけたらと思っています」
その言葉に、智也は少し肩の力が抜けるのを感じた。

立派な理由を用意しなければいけない、という思い込みが、自分の中にあったことに気づいた。

それから何度か、職員と話す時間を持った。

「子どもの頃、どんな大人が周りにいましたか」「今の生活の中で、大切にしていることは何ですか」。

そういった質問に答えていくうちに、智也は自分の中にあるものを、少しずつ言葉にできるようになっていった。

智也自身、子どもの頃に近所の大人に世話になった記憶があった。

両親が共働きで忙しく、夕方の時間、よく隣家の老夫婦の家で過ごしていた。

あの時間が、自分にとってどれほど大切だったか。

智也はそのことを、面談の中で初めて思い出した。

里親として登録を終えたとき、智也の中にあったのは、明確な「動機」というより、「あの時間を、今度は自分が誰かに渡せたら」という、静かな感覚だった。

最初から答えを持っていたわけではない。

話しながら、少しずつ、自分の中にあったものに気づいていった。

智也にとって、それで十分だった。

誰も、最初から完璧な答えを持っていたわけではない

由美にとって、子どもと暮らしたい理由は「家族をつくりたい」ということだった。

「相談に行く」という言葉には、不思議と重さがあります。

相談に行くということは、何かを決意した人がすることだ。

ある程度の覚悟を持って、整った状態で臨むべきことだ。

そういう感覚が、どこかにあるかもしれません。

でも現場の支援者たちに言わせれば、その感覚はずいぶん違います。

窓口を訪れる人の多くは、答えを持っていません。

「特別養子縁組か里親か、まだわからない」「本当に自分にできるのか、自信がない」「家族にまだ話していない」「ただ話を聞いてみたかっただけ」。

そういう状態で来る人の方が、むしろ普通です。

整っていなくていいのです。

決まっていなくていいのです。

「気になっている」というだけで、窓口を訪れる理由としては十分です。

最初の相談は、何かを決める場ではありません。

制度の説明を聞いて、自分の状況を話して、疑問があれば質問して、また考える。

ただそれだけのことです。

相談したからといって、登録しなければならないわけではありません。

話を聞いた上で、やっぱり今は違うと思えば、そう伝えればいい。

現場の支援者たちは、そういう判断も含めて、その人の選択を尊重します。

一歩踏み出すことと、すべてを決めることは、別のことです。

「家族の理解が得られていないから、まだ相談に行けない」という方がいます。

でも実際には、相談に行った経験が、家族との対話のきっかけになることがあります。

現場で聞いた話を持ち帰って、「こういう制度があって、こういう支援があって、自分はこんなふうに関わりたいと思っている」と具体的に伝えられるようになる。

漠然とした「子どもを迎えたい」という言葉より、具体的な情報を持った言葉の方が、家族の心に届くことがあります。

相談は、家族の理解を得てからするものではなく、理解を得るための材料を集めに行く場所でもあります。

「まだ調べ足りない気がして、もう少し情報を集めてから行こうと思っている」という方もいます。

でも、インターネットで集められる情報には限界があります。

制度の概要は調べられても、自分の状況に合った具体的な話は、実際に話してみないとわかりません。

「自分の年齢では難しいか」「独身でも可能か」「今の仕事のリズムで迎えられるか」。

そういった個別の疑問への答えは、窓口で話すことで初めて見えてきます。

調べ続けることと、話しに行くことは、どちらが先でも構いません。

ただ、話しに行くことで初めてわかることが、確かにあります。

この記事を通じて、特別養子縁組と里親制度を、現場の視点から眺めてきました。

制度の名前より先に現場がある。

現場は両方をセットで案内する。

登録の選択は出発点であって終着点ではない。

支援者はその人のペースで一緒に考える。

そのすべての話は、ひとつのことに集約されます。

あなたが今持っている気持ちを、一人で抱えていなくていいということです。

「子どもと関わりたい」という気持ちを持って、ここまで読んでくれた方がいるとしたら、その気持ちを話せる場所が、すでに存在しています。

答えが出ていなくても、覚悟が固まっていなくても、その場所の扉は開いています。

最初の一歩は、思っているより小さい。

ただ、扉を開けるだけでいいのです。

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児童相談所や里親支援団体の窓口を訪れると、最初に何が起きるのか。

書類を渡されて、条件を確認されて、手続きの説明を受ける。

そういう事務的な流れを想像している方もいるかもしれません。

でも実際には、最初の時間の多くは、話を聞くことに使われます。

支援者が聞くのは、制度の知識がどれくらいあるかではありません。

どんなきっかけでここに来たのか、子どもとどんなふうに関わりたいと思っているのか、今の生活の中でどんなことが気になっているのか。

そういった、その人自身の話です。

なぜ、そこから始めるのか。

制度の説明は、後からでもできます。

条件の確認も、手続きの案内も、必要になれば丁寧に伝えられます。

でも、その人がどんな気持ちでここに来たのかは、最初に聞かなければわからない。

そしてその気持ちを知らないまま制度の説明だけをしても、その人にとって本当に必要な情報は届かない。

だから現場は、まず聞くことから始めます。

動機の話は、特に丁寧に扱われます。

「子どものために」という言葉は、窓口を訪れる多くの方が口にします。

でも支援者たちは、その言葉の奥にあるものを一緒に探ろうとします。

子どもが独立して家が静かになった、自分の経験を誰かのために使いたい、社会とのつながりをもう一度持ちたい。

そういった、複雑に絡み合った動機の話を、否定せずに受け止めます。

自分のためでもあるという気持ちを、後ろめたそうに話す方がいます。

でも現場の支援者たちは、そういう複雑な動機を持って来た人を、歓迎します。

子どもとの関わりの中で、子どものためと自分のためが重なっていくことを、経験として知っているからです。

生活の話も、丁寧に聞かれます。

仕事のリズム、家族構成、住まいの環境、経済的な状況。

これらは審査のための確認ではなく、その人がどんな形で子どもを迎えられるかを一緒に考えるための材料です。

たとえば、フルタイムで働いている方が「それでも里親になれますか」と聞くことがあります。

現場の答えは、一律にイエスでもノーでもありません。

どんな働き方で、子どもが何歳で、どんなサポートが周りにあるか。

そういった具体的な状況を聞きながら、現実的に可能な形を一緒に探していきます。

不安の話も、大切に扱われます。

「うまくやっていけるか自信がない」「子どもに何かあったときに対応できるか不安」「家族が反対しているけれど、それでも進めていいのか」。

そういった不安を正直に話せる場所として、現場の窓口は機能しています。

不安を持って来た人に、「大丈夫です」と根拠なく励ます支援者はいません。

その不安がどこから来ているのかを一緒に考えて、解消できるものは解消し、解消できないものとはどう向き合うかを話し合う。

そういうやりとりの中で、漠然とした不安が少しずつ具体的な形になり、対処できるものとそうでないものが分かれていきます。

現場が大切にしていることを一言で言うなら、「その人のペースで考える」ということだと思います。

早く決めることを求めません。

答えを持って来ることを求めません。

ただ、今自分の中にある気持ちを正直に話してくれれば、そこから一緒に考えていける。

そういうスタンスが、現場には根付いています。

制度は冷たく見えることがあります。

条件があり、手続きがあり、審査がある。

でもその制度を動かしている現場には、子どもと大人の双方に向き合おうとする、人間的な温かさがあります。

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話を聞いて、研修を受けて、いよいよ登録という段階になったとき、ひとつの選択が求められます。

特別養子縁組か、里親か。

児童相談所への登録の際には、どちらの制度を希望するかを選択することになります。

両方を同時に案内されてきた経緯があるだけに、「ここで決めなければいけないのか」と感じる方もいるでしょう。

準備が整ったと思っていた気持ちが、この選択の前で少し揺らぐことがあります。

ただ、この選択は、思っているほど固定的なものではありません。

登録の時点でどちらを選んだとしても、その後の関わりの中で気持ちや状況が変化することはあります。

特別養子縁組として登録した方が、里親制度に切り替えるケースもあります。

最初の選択が、その先の全てを決めるわけではないのです。

現場の支援者たちも、そのことをよく知っています。

だから登録の場面でも、「この選択が絶対的なものではないこと」を丁寧に伝えながら、一緒に考えていくスタンスをとります。

では、登録のときに何を基準に選ぶのか。

ひとつの考え方は、「子どもとどんな関係を築きたいか」という問いに立ち返ることです。

法的な親子関係を結び、戸籍上も親子として生涯をともにしたいという気持ちが強ければ、特別養子縁組という選択が自然な形になります。

一方、法的な親子関係にこだわらず、子どもが必要としている時間に寄り添い、家庭という場所を提供したいという気持ちが強ければ、里親という選択が合っているかもしれません。

どちらが正しいということはありません。

どちらの気持ちも、子どもへの真剣な思いから来ています。

もうひとつの考え方は、自分の状況を正直に見ることです。

年齢、婚姻の状況、仕事や生活のリズム、家族の理解。

特別養子縁組には一定の条件があり、その条件を満たしているかどうかは、選択の現実的な根拠になります。

「気持ちはあるけれど条件が難しい」という場合に、里親という選択肢が自分の状況に合っているとわかることもあります。

これは妥協ではありません。

自分の状況と制度の性質が合っているかどうかを見極めることは、子どもと長く誠実に向き合うためにも、大切なことです。

登録後に気持ちが変化することについて、もう少し話しておきます。

特別養子縁組として登録した方が、実際に子どもと関わり始めるうちに、里親という形の方が自分に合っていると感じるようになることがあります。

その変化は、弱さでも失敗でもありません。

実際に経験を積む中で、自分と子どもにとって何が大切かが見えてくる。

それは関わりが深まっているからこそ起きることです。

現場の支援者たちは、そういう変化を否定しません。

むしろ、変化を正直に話してくれる人と一緒に、次の形を考えることを大切にしています。

登録という節目は、ひとつの選択を求めます。

でもその選択は、出発点であって、終着点ではありません。

子どもと向き合いながら、支援者と話しながら、自分の気持ちの形を少しずつ確かめていく。

その余白が、現場には用意されています。

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児童相談所や里親支援団体の窓口では、特別養子縁組と里親制度を、ほぼ必ずセットで説明します。

「特別養子縁組について聞きたい」と言って来た人にも、里親制度の話をします。

「里親に興味がある」と言って来た人にも、特別養子縁組の話をします。

どちらか一方だけを説明して終わり、ということはまずありません。

なぜそうするのか。

ひとつには、この二つの制度が、現場では切り離せないものとして存在しているからです。

子どもの側から見れば、特別養子縁組も里親も、「家庭で育つ」という選択肢の中にあります。

施設ではなく、家庭の中で、特定の大人との継続的な関係の中で育つこと。

その大切さは、どちらの制度も共通して大切にしていることです。

制度の名前が違っても、目指している方向は重なっている。

だから現場では、二つをまとめて「家庭養護」という言葉で呼ぶことがあります。

もうひとつの理由は、来てくれた人のためです。

「特別養子縁組を希望します」と言って窓口を訪れた人が、話を聞いていくうちに「里親の方が自分の状況に合っているかもしれない」と気づくことは、決して珍しくありません。

逆もあります。

最初は里親のつもりだったけれど、特別養子縁組についてきちんと知ったことで、改めてそちらを選ぶ人もいます。

最初に持ってきた答えが、話しながら変わっていく。

それは迷いではなく、自分に合った形を見つけていくプロセスです。

そのプロセスを支えるために、現場は最初から両方の話をします。

制度をセットで案内することには、もうひとつ大切な意味があります。

特別養子縁組には、年齢や婚姻など、一定の条件があります。

その条件の前で「自分には難しい」と感じた人が、里親制度の話を聞いて「こちらなら自分にもできるかもしれない」と思えることがあります。

子どもと関わりたいという気持ちを持って来てくれた人が、制度の条件だけを理由に帰ってしまうことは、現場にとっても、子どもにとっても、その人にとっても、残念なことです。

里親という扉があることを知ってもらうだけで、その気持ちを次につなげることができる。

だからこそ、両方を伝えることが現場の自然なスタンスになっています。

ここで少し立ち止まって考えてみてください。

特別養子縁組と里親制度を「どちらが自分に向いているか」という二択の問いとして捉えると、どちらかを選ぶことへのプレッシャーが生まれます。

でも現場の視点から見れば、この二つは競合するものではなく、子どもと家庭をつなぐための、性質の異なるふたつの仕組みです。

どちらを選ぶかより先に、自分がどんなふうに子どもと関わりたいかを考える。

その順番で考えることを、現場は大切にしています。

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「特別養子縁組」という言葉を調べていくと、たくさんの情報に行き当たります。

法律の条文、年齢の条件、手続きの流れ、必要な書類。

インターネット上には、制度の仕組みを丁寧に解説したページが数多くあります。

それらを読み込んでいくうちに、制度の全体像は少しずつ見えてくる。

でも同時に、どこか遠い話のように感じてくることもあります。

条文や図表の向こう側に、実際の子どもがいて、実際の大人がいて、実際の暮らしがある。

その温度感が、文字の上からはなかなか伝わってこない。

支援の現場は、制度とは少し違う場所にあります。

児童相談所や里親支援団体の窓口に来る人たちは、「特別養子縁組の申請をしたい」という明確な目的を持って来る人ばかりではありません。

「子どもと関わりたいけれど、何から始めればいいかわからない」「テレビで里親の特集を見て、気になってはいるけれど」「自分にできることが何かあるかどうか、聞いてみたくて」。

そういう、まだ輪郭のはっきりしない気持ちを持って扉を開ける人が、実際には多くいます。

現場の支援者たちは、そういう人たちと毎日向き合っています。

現場で最初に問われるのは、「特別養子縁組ですか、里親ですか」という制度の選択ではありません。

「どんなきっかけで来てくれましたか」「子どもとどんなふうに関わりたいと思っていますか」「今の生活の中で、どんなことが気になっていますか」。

そういう、その人自身の話から始まります。

制度の名前より先に、その人の気持ちがある。

子どもの置かれた状況がある。

現場は、そこから出発します。

この記事では、制度の外側からではなく、現場の内側からこの二つの制度を眺めてみたいと思います。

支援者たちがなぜ特別養子縁組と里親制度を常にセットで話すのか。

登録のとき何を選ぶことになるのか。

現場が申し込みに来た人と最初に何を話すのか。

そういった、制度の解説には載っていない話を、できるだけ現場の温度感とともにお伝えしていきます。

特別養子縁組という言葉から調べ始めた方が、里親という選択肢を自分事として考えるきっかけになれば、と思っています。

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恵子の家から帰った翌朝、目が覚めたのはいつもより早かった。

窓の外がまだ暗かった。

布団の中で天井を見ていた。

哲也の寝息が聞こえた。

昨夜も眠れない時間があって、でも昨夜とは少し違った。

もやもやしていたのではなく、何かを決めようとしていた。

六時になって、布団から出た。

台所に降りて、お湯を沸かした。

ガスの火が青く灯って、やかんが温まり始めた。

冷えた台所に、少しずつ暖かさが戻ってきた。

窓の外が白み始めていた。

鳥の声が一つ、遠くで鳴いた。

哲也が階段を降りてくる音がした。

「早いな」
哲也が台所の入口に立って言った。

頭が少し寝癖になっていた。

私はお湯が沸いたやかんを持ちながら、振り向いた。

「ねえ、子供の里親って知ってる?」
声に出してから、自分でも驚いた。

今朝言おうと決めていたわけではなかった。

やかんを持ったまま、口から出ていた。

哲也は少し目を細めた。

椅子を引いて、テーブルに座った。

「聞いたことはあるけど、詳しくは知らない」
「そう」
私はお茶を二つ淹れて、哲也の向かいに座った。

湯気が細く立ち上った。

窓の外が、だんだん明るくなっていた。

話し始めた。

京都の旅館で感じた「静かすぎる」という感覚のこと。

恵子が里親をしていると知ったこと。

健太という男の子がいること。

いびつな形のクッキーのこと。

健太の「ふうん」という声のこと。

この数週間、一人でこっそり調べていたこと。

哲也に言えなかった理由が自分でもよくわからなかったこと。

順序はめちゃくちゃだったと思う。

同じことを二度言った気もする。

でも哲也は途中で口を挟まなかった。

お茶を両手で持って、私の顔を見ていた。

話し終えて、お茶を一口飲んだ。

冷めていた。

しばらく、二人とも黙っていた。

外で車が一台通り過ぎた。

鳥の声が増えていた。

台所に朝の光が入り始めて、テーブルの上が白くなった。

「俺たちにもできるかな」
哲也が言った。

反対ではなかった。

賛成でもなかった。

ただ、一緒に考えようという言葉だった。

二十六年間隣にいた人の声で、私にはそれがわかった。

「わからない。でも、知りたいとは思ってる」
「じゃあ、まず知ろう」
哲也がそう言って、スマホを取り出した。

私も自分のスマホを出した。

「里親 説明会」と打ち込んだ。

来月、市の福祉センターで開催される説明会があった。

日時と場所が書いてあった。

参加費は無料で、事前申し込みが必要だった。

「ここ、行ってみるか」
哲也が画面を私に向けた。

私は覗き込んだ。

来月の第二土曜日だった。

「行ってみようか」
私は言った。

申し込むボタンを押したわけではなかった。

まだそこまでは決めていなかった。

でも二人で同じ画面を見ていた。

哲也の肩が、私の肩に触れていた。

窓の外が完全に明るくなっていた。

朝食の支度を始めた。

冷蔵庫から卵を出して、フライパンを火にかけた。

バターが溶けて、甘い匂いが台所に広がった。

恵子の家で食べたクッキーの匂いに、少し似ていた。

目玉焼きを皿に移して、テーブルに並べた。

二人分の食器が、テーブルの上に揃った。

「いただきます」
二人で手を合わせた。

静かだった。

でも今朝の静けさは、京都の旅館の夜とは違った。

何かが足りない静けさではなく、何かが始まる前の静けさだった。

私はまだ何も決めていない。

里親になると決めたわけでも、説明会に申し込んだわけでも、人生の針を動かすと決めたわけでもなかった。

ただ、子供の里親という言葉が、今朝初めて自分の声で口から出た。

それだけのことが、胸の中で思ったより大きく、温かかった。

哲也が卵を崩した。

黄身が広がった。

窓の外で、鳥がまた鳴いた。

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恵子から「うちに来ない?」とメッセージが届いたのは、木曜日の昼だった。

「健太もいるけど、気にしないで。お茶でも飲もう」
私は少し迷った。

里親として迎えた子どもがいる家に、突然お邪魔していいのかわからなかった。

でも恵子が誘うなら大丈夫だろうと思って、「行くよ」と返した。

駅からバスで二十分ほどの、静かな住宅街だった。

恵子の家は以前にも何度か来たことがあった。

門の前に立つと、中から子どもが走り回るような音がした。

それから急に静かになった。

インターホンを押すと、恵子が出てきた。

「来て来て、寒かったでしょ」
玄関に入ると、靴が三足並んでいた。

大人の靴が二つと、小さな運動靴が一つ。

泥が少しついた、くたびれた運動靴だった。

私はそれを見て、目を逸らした。

台所からバターの匂いがした。

「さっきクッキー焼いたんだよ。健太が手伝ってくれて」
恵子がそう言いながら、奥へ案内した。

リビングに入ると、子どもの姿はなかった。

廊下の奥に、ドアが一つ閉まっていた。

「健太、来てるよ。洋子おばさんだよ、昔からの友達」
恵子が廊下に向かって声をかけた。

返事はなかった。

私たちはテーブルに向かい合って座った。

恵子がお茶を淹れて、クッキーを皿に並べた。

いびつな形のクッキーが、六枚あった。

端が少し焦げているものも混じっていた。

「健太が型を押したんだけど、力加減がわからなくて」
恵子が笑った。

私はクッキーを一枚手に取った。

ざくっとした食感で、バターの味がした。

おいしかった。

端の焦げた部分が、かえって香ばしかった。

しばらくして、廊下のドアが少し開いた。

隙間から、目だけが見えた。

黒くて、丸い目だった。

私はそちらを見ないようにしながら、恵子と話し続けた。

気づいていないふりをした。

しばらくして、ドアが少し広く開いた。

小さな男の子が、ドアの縁に手をかけて立っていた。

Tシャツにズボン、靴下が片方だけ脱げかかっていた。

髪が少し寝癖のままだった。

恵子が「おいで」と言った。

健太はゆっくりリビングへ入ってきて、恵子の隣に座った。

私から一番遠い椅子だった。

「こんにちは」
私は言った。

健太は小さく頷いた。

声は出なかった。

恵子がクッキーの皿を健太の前に寄せた。

健太は一枚取って、黙って食べた。

私も自分のお茶を飲んだ。

三人で、しばらく黙っていた。

沈黙が、思ったより重くなかった。

「おばさん、子どもいるの?」
突然、健太が言った。

テーブルの端を見たまま、私に向かって言っていた。

「いるよ。二人。もう大人だけど」
「ふうん」
健太はまたクッキーに手を伸ばした。

それだけだった。

それだけだったのに、帰り道ずっと、その「ふうん」が頭から離れなかった。

バスの窓に額を当てた。

外の景色が流れていった。

田んぼ、住宅、コンビニ、また田んぼ。

健太の黒くて丸い目を思い出した。

ドアの隙間から、こちらを見ていた目。

警戒しているようで、でも気になっている目。

もう大人だけど、と私は答えた。

その言葉が、今になって引っかかった。

二人いるよ、もう大人だけど。

まるで終わった話をするように言った。

子育ては終わった、だから今は何もない。

そういう意味に聞こえた気がした。

でも健太の「ふうん」は、そこで終わらない何かを持っていた。

バスが停留所に着いた。

私は立ち上がって、ドアから降りた。

夕方の風が顔に当たった。

冷たくて、頬が一瞬強張った。

恵子の台所に並んでいた、いびつなクッキーのことを考えた。

端が焦げていて、形がばらばらで、でも全部皿の上にあった。

一枚も捨てられていなかった。

私は歩き出した。

自分の子育ての経験が、誰かの役に立てるかもしれないという感覚が、初めてぼんやりと形を持った午後だった。

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恵子と会ってから、三日間、誰にも話さなかった。

哲也は毎日同じ時間に起きて、朝食を食べて、散歩に出かけた。

退職してからの習慣だった。

私は朝食の片付けをして、洗濯をして、昼前には座るものがなくなった。

その空いた時間に、スマホを取り出した。

「里親制度」と打ち込んだ。

最初に出てきたのは行政のページだった。

図表が多く、文字が小さく、読み進めるうちに目が滑った。

次に開いたNPOのサイトは、写真が柔らかくて読みやすかった。

里親にはいくつかの種類があること、養子縁組とは異なること、子どもが元の家庭や別の家庭へ移ることを前提にしているケースが多いこと。

知らないことばかりだった。

施設で暮らす子どもが今もこの国に約四万人いると書いてあった。

私はその数字を読んで、一度スマホを置いた。

台所の窓から外を見た。

近所の公園に、幼稚園くらいの子どもが一人、母親と手をつないで歩いていた。

四万という数字が、うまく体に入ってこなかった。

また画面を開いた。

体験談のブログを見つけた。

四十代の夫婦が里親として子どもを迎えた記録だった。

最初の夜、子どもが布団の中で声を殺して泣いていたこと。

どう声をかければいいかわからなくて、ただ隣に座っていたこと。

朝になって子どもが「おはよう」と言ったとき、それだけで一日が始まれた気がした、と書いてあった。

私はそのページを、二度読んだ。

昼になって、哲也が散歩から帰ってきた。

玄関で靴を脱ぐ音がした。

私はスマホの画面を閉じた。

閉じてから、なぜ閉じたのかを考えた。

夕食の支度をしながら、何度か口を開きかけた。

「里親って知ってる?」
言葉は頭の中にあった。

でも声にならなかった。

哲也が冷蔵庫を開けて麦茶を出すタイミングで言えなかった。

哲也がテレビをつけてニュースを見始めたタイミングでも言えなかった。

「そういえば、恵子に会ってきたよ」
結局、それだけ言った。

「どうだった?」
「元気だったよ」
哲也はそれ以上聞かなかった。

私もそれ以上話さなかった。

夜、布団に入ってから眠れなかった。

哲也の寝息が聞こえた。

規則正しい、穏やかな音だった。

私は天井を見たまま、なぜ話せなかったのかを考えた。

反対されるのが怖いのか。

笑われるのが怖いのか。

それとも、口に出すことで何かが動き出すのが怖いのか。

長い結婚生活の中で、自分の「やりたいこと」を先に言い出したことが、あまりなかったと気づいた。

哲也の転勤に合わせて引っ越して、子どもたちの学校に合わせて予定を組んで、誰かの都合を先に考えることが当たり前になっていた。

それが不満だったわけではない。

でも今夜、暗い天井を見ながら、自分の「やりたいこと」という言葉が、どこか遠くにある気がした。

やりたいのかどうかも、まだわからない。

ただ、知りたいとは思っている。

窓の外で風が鳴った。

カーテンが微かに揺れた。

哲也の寝息が続いていた。

私はそっと布団の中で向きを変えて、目を閉じた。

里親、という言葉が、暗闇の中でしばらく浮かんでいた。

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