なぜ、子どもと暮らしたいのだろう。
この問いに、すぐに答えられる人は、それほど多くないかもしれません。
「子どもが好きだから」「家族が欲しいから」「誰かの役に立ちたいから」。
そういった言葉は浮かんでも、その奥にある本当の気持ちを言葉にしようとすると、案外うまくいかないものです。
特別養子縁組や里親について調べていると、制度の名前や条件、手続きの流れに目が向きがちです。
それは当然のことです。
実際に動こうとすれば、知っておかなければならないことがたくさんあります。
年齢の条件、必要な書類、研修の内容。
調べることは次から次へと出てきて、気づけば一日の多くの時間を、検索画面と向き合って過ごしている、ということもあるかもしれません。
でも、制度の話を一度脇に置いて、自分自身に問いかけてみてほしいことがあります。
なぜ、子どもと暮らしたいのか。
この問いには、正解がありません。
「子どものため」という答えだけが正しいわけでもありません。
自分の人生に何かを加えたいという気持ちも、社会とのつながりを持ちたいという気持ちも、過去に経験したことを誰かのために生かしたいという気持ちも、すべて、その人にとっての本当の動機でありえます。
むしろ、ひとつの言葉では言い表せない、いくつもの気持ちが重なり合っていることの方が多いのかもしれません。
これから、その問いに対して、それぞれ違う答えを持っていた三人の話が続きます。
ひとりは、家族をつくりたいという強い気持ちから。
ひとりは、誰かの居場所になりたいという思いから。
そしてもうひとりは、自分でもうまく説明できない、漠然とした気持ちから。
動機の形は、人によってまったく違います。
どれが正しいということはありません。
ただ、それぞれの動機が、その人をどこに導いていったのかを、順に見ていきたいと思います。
最後にもう一度、最初の問いに戻ってきます。
そのとき、自分の中に何が浮かぶか、少し意識しながら読み進めてもらえたらと思います。
自分が本当に欲しかったのは、妊娠という結果そのものではなく、その先にある暮らしだった
由美が「家族をつくりたい」という言葉を初めて口にしたのは、不妊治療をやめてから半年ほど経った頃だった。
治療をしていた七年間、その言葉を使うことは、どこか避けていたように思う。
「子どもが欲しい」とは思っていても、「家族をつくりたい」と言ってしまうと、今の自分と夫のふたりだけの暮らしが、何か足りないものであるかのように聞こえる気がしていた。
でも治療をやめて、少し時間が経ったとき、ふと気づいた。
自分が本当に欲しかったのは、妊娠という結果そのものではなく、その先にある暮らしだったのだと。
誰かと一緒に朝を迎えて、誰かの成長を近くで見守って、家族として歳を重ねていく。
その暮らしの形を、由美はずっと求めていた。
特別養子縁組という言葉に出会ったとき、由美はその制度の中に、自分が求めていたものをはっきりと見た。
法的に親子になるということ。
戸籍に名前が並ぶということ。
それは、由美にとって「家族になる」ということの、具体的な形だった。
血のつながりではなく、制度として、社会として、親子であると認められること。
その意味の重さが、由美の気持ちと強く結びついた。
夫と話し合い、特別養子縁組に向けて動き始めた。
審査や研修を経て、ひとりの女の子を迎えることになったとき、由美は「これでようやく、家族になれる」と思った。
実際に縁組が成立した日、由美は泣きながら、夫に「ありがとう」と何度も言った。
何に対しての「ありがとう」なのか、自分でもうまく説明できなかった。
でもその言葉以外、何も思いつかなかった。
由美にとって、子どもと暮らしたい理由は、最初から最後まで「家族をつくりたい」という一点にあった。
その動機は、特別養子縁組という制度と、まっすぐに重なっていた。
法的な親子関係を結ぶこと。
それは由美にとって、義務でも形式でもなく、自分が長く求めてきた「家族」という言葉の、具体的な実現だった。
子どもと暮らしたい理由は、「親になりたい」ということではなかった
正子が里親について考え始めたのは、五十六歳のときだった。
二人の子どもはすでに独立し、家には夫とふたりだけの時間が流れていた。
それ自体は穏やかな日々だった。
でも、子育てをしていた頃の、家の中が誰かの気配で満ちていた感覚を、正子はときどき思い出した。
きっかけは、近所に住む知人の言葉だった。
「うちの娘、今度から週末だけ、施設の子を預かるボランティアをするらしいの」。
何気ない会話だったが、正子の中に小さな引っかかりとして残った。
調べていくうちに、里親という制度に行き着いた。
正子が惹かれたのは、「親になる」という言葉の重さではなかった。
むしろ、「居場所を提供する」という言葉の方に、自分の気持ちが近いと感じた。
長年、家族のために食事をつくり、家を整え、誰かの帰りを待つ暮らしを続けてきた。
その経験そのものが、誰かにとっての安心できる場所をつくることに使えるのではないか。
正子はそう思った。
里親として迎えたのは、小学生の男の子だった。
最初の数ヶ月、男の子はあまり話さなかった。
正子は無理に距離を縮めようとはせず、ただ毎日同じように、ご飯をつくり、声をかけ続けた。
ある日の夕食後、男の子がぽつりと「今日のごはん、おいしかった」と言った。
それだけのことだったが、正子はその夜、台所で少し涙ぐんだ。
正子にとって、子どもと暮らしたい理由は、「親になりたい」ということではなかった。
誰かにとっての安心できる場所になりたい。
その気持ちが、正子を里親という選択に導いた。
法的な親子関係がなくても、その子が必要としている時間に寄り添えること。
それこそが、正子が求めていたものだった。
明確な「動機」というより、「あの時間を、今度は自分が誰かに渡せたら」という、静かな感覚だった
智也が児童相談所の説明会に申し込んだのは、特に強い理由があったわけではなかった。
四十代後半、独身。
仕事は安定していて、生活に大きな不満があるわけでもない。
ただ、ある日テレビで里親についての特集を見たとき、なんとなく画面から目が離せなかった。
それだけのことだった。
説明会に申し込んだ後も、智也は自分の動機がよくわからなかった。
「なぜ申し込んだんですか」と聞かれたら、なんと答えればいいのか、自分でも見当がつかなかった。
説明会の日、職員との個別の面談で、智也は正直にそのことを話した。
「特に理由がないんです。
なんとなく気になって、申し込んでしまっただけで」
職員は、それを聞いても表情を変えなかった。
「そういう方は、実は多いんですよ」と言った。
「最初からはっきりした理由を持っている方ばかりではありません。
むしろ、これから一緒に考えていけたらと思っています」
その言葉に、智也は少し肩の力が抜けるのを感じた。
立派な理由を用意しなければいけない、という思い込みが、自分の中にあったことに気づいた。
それから何度か、職員と話す時間を持った。
「子どもの頃、どんな大人が周りにいましたか」「今の生活の中で、大切にしていることは何ですか」。
そういった質問に答えていくうちに、智也は自分の中にあるものを、少しずつ言葉にできるようになっていった。
智也自身、子どもの頃に近所の大人に世話になった記憶があった。
両親が共働きで忙しく、夕方の時間、よく隣家の老夫婦の家で過ごしていた。
あの時間が、自分にとってどれほど大切だったか。
智也はそのことを、面談の中で初めて思い出した。
里親として登録を終えたとき、智也の中にあったのは、明確な「動機」というより、「あの時間を、今度は自分が誰かに渡せたら」という、静かな感覚だった。
最初から答えを持っていたわけではない。
話しながら、少しずつ、自分の中にあったものに気づいていった。
智也にとって、それで十分だった。
誰も、最初から完璧な答えを持っていたわけではない
由美にとって、子どもと暮らしたい理由は「家族をつくりたい」ということだった。
正子にとっては「誰かの居場所になりたい」という思いだった。
そして智也は、最初は理由と呼べるものを持っていなかった。
話しながら、少しずつ、自分の中にあったものに気づいていった。
三人の動機は、まったく違う形をしています。
それぞれが選んだ道も、特別養子縁組と里親という、性質の異なる制度でした。
でも、三人に共通していることがひとつあります。
誰も、最初から完璧な答えを持っていたわけではないということです。
由美の「家族をつくりたい」という気持ちも、長い時間をかけて、少しずつ言葉になっていったものでした。
正子の「居場所になりたい」という思いも、ふとした会話がきっかけで、初めて意識されたものでした。
智也にいたっては、自分でも理由がわからないまま、説明会に申し込んでいました。
動機というのは、最初からそこにあって、それを見つけ出すものではないのかもしれません。
むしろ、調べたり、話したり、誰かと向き合ったりする中で、少しずつかたちづくられていくものなのだと思います。
最初に、ひとつの問いを置きました。
なぜ、子どもと暮らしたいのか。
この問いに、今、何か浮かんだでしょうか。
はっきりした言葉かもしれませんし、まだぼんやりとした感覚かもしれません。
どちらであっても、それは今のあなたの中にある、確かなものです。
藤の里には、子どもと暮らすことを選んだ人たちの、それぞれの時間が置かれています。
由美のように家族をつくりたいと思った人も、正子のように誰かの居場所になりたいと思った人も、智也のように理由がわからないまま一歩を踏み出した人も、ここにはいます。
里親について、もう少し知りたいと思った方へ。
その先に続く話が、ここにあります。
コメント
言の葉を届けるには入隊するか里に入る必要があります。