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合言葉を失った

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任務報告の型 : 芽の呼吸:根の型

施設に入るまでの背景と家庭環境の記録。どんな家庭で育ったか、何がきっかけで施設に入ることになったか。自分のルーツを言葉にすることで当事者が経験を整理する機会になる。読者にとっては里子が施設に来るまでの現実を知る記録になる。

任務報告

休日の午後、一人でカフェに行った。

さおりは友人と出かけていた。

私は特に行く場所もなかったが、アパートにいると検索してしまう気がした。

場所を変えることで、何かが変わるかもしれないと思った。

駅の近くの、小さなカフェだった。

窓際の席に座って、コーヒーを注文した。

鞄からノートを取り出した。

仕事で使う校正用のノートではなく、普段から持ち歩いている、何でも書く用のノートだった。

今日は、実母について知っていることを書いてみようと思った。

昨夜、一時間画面を見ながら考えたことの続きだった。

知らないことが多すぎる、と気づいた夜の続きだった。

知っていることと、知らないことを、整理したかった。

ペンを持って、最初の一行を書いた。

「山下恵、という名前」
それだけ書いて、止まった。

次に何を書けるか、考えた。

生年月日は知らない。

出身地は知らない。

どんな顔をしているか、知らない。

身長も、声も、何も知らない。

「育児放棄があったこと」と書いた。

それも止まった。

育児放棄があった、という事実しか知らなかった。

なぜそうなったのか、どういう状況だったのか、知らなかった。

「私が0歳のとき、親権を失ったこと」と書いた。

三行書いて、止まった。

それ以上、出てこなかった。

コーヒーを一口飲んだ。

ノートに書いた三行を見た。

山下恵という名前、育児放棄があったこと、0歳のとき親権を失ったこと。

これが、二十四年間で私が実母について知っていることの全部だった。

里子として二十四年間生きてきて、実母について知っていることが三行しかなかった。

少し、呆然とした。

呆然とした、というのは正確ではないかもしれない。

予想していなかった、という感じだった。

もう少し何かを知っているつもりだった。

でも書き出してみると、三行だった。

ページをめくって、今度は別のことを書いた。

「長谷川照子さんについて知っていること」
里親の照子さんについては、たくさん書けた。

元保健師だったこと、穏やかで観察力が鋭いこと、家の台所が明るかったこと、お茶を淹れるのが上手だったこと、「あなたはあなただから」と言ってくれたこと、私が熱を出したとき額に手を当ててくれたこと、好きな本を聞いてくれたこと。

書きながら、止まらなかった。

一ページでは足りなくて、ページをまたいで書いた。

武志さんについても書いた。

無口だったこと、庭で土を掘っていたこと、里子だった私に一度も余計なことを言わなかったこと、庭で収穫した野菜を黙って食卓に並べたこと。

二人について書いたことが、実母について書いたことの十倍以上になった。

その差を、しばらく見ていた。

知っている量の差は、一緒にいた時間の差だった。

当たり前のことだった。

でも書き出して並べてみると、当たり前のことが、初めて実感として来た。

実母については、何も知らない。

里親については、たくさん知っている。

その差が、今の自分だった。

この差の中に、二十四年間が入っていた。

窓の外で、人が歩いていた。

親子連れが通った。

子どもが何かを言って、親が笑った。

その一瞬を見ながら、私は自分の0歳から7歳を想像しようとした。

できなかった。

0歳の記憶は誰にもない。

でも私には、それ以前の話として、実母との時間が存在していなかった。

里親家庭に来た瞬間から、私の記憶は始まっていた。

里子としての私の最初の記憶は、照子さんの台所だった。

明るくて、温かくて、何かの匂いがした。

何の匂いだったか、思い出せない。

でも温かかったことだけは、体の中に残っていた。

ノートに、もう一行書いた。

「実母について知らないことを、知りたいのかどうか、まだわからない」
書いてから、少し考えた。

知りたい、という気持ちはある。

でも知ってどうするのか、わからない。

SNSのアカウントを見つけて、フォローして、投稿を見たとして、そこに何があるのか。

実母の日常を知ることと、なぜ育てられなかったのかを知ることは、別のことだった。

知りたいのは、日常ではなかった。

理由が知りたかった。

なぜ育てられなかったのかという理由が。

でもその理由は、SNSには書いていない。

書いていたとしても、私に届く形では書いていない。

コーヒーが冷めていた。

ノートを閉じた。

知っていることと、知らないことを整理しようとして、知らないことのほうが圧倒的に多いとわかった。

整理にならなかった。

でも書いてみたことは、無駄ではなかった気がした。

整理できなくても、書くことで、少し輪郭が見えた。

知らないことの輪郭が、見えた。

里子として育った私には、実母についての空白がある。

その空白の大きさを、今日初めて目で確認した。

空白は怖かった。

でも空白があることは、わかった。

わかったことで、少し違う気がした。

カフェを出て、駅に向かって歩いた。

今夜は検索しないでいられるかもしれない、と思った。

できるかどうかは、夜になってみないとわからなかった。

でも今日は、そう思えた。

任務報告

深夜の十二時を過ぎていた。

部屋の電気を消して、スマートフォンの画面だけが光っていた。

同居人の宮本さおりはもう寝ていて、アパートは静かだった。

私はベッドの上で、SNSの検索窓を開いたまま、動けずにいた。

私は山下ことは、二十四歳。

都内の小さな出版社で校正の仕事をしている。

検索窓に、文字を打ち込んだ。

山下恵。

実母の名前だった。

検索するつもりは、なかった。

指が動いていた。

一日中、頭から離れなかった言葉があって、気がついたら打ち込んでいた。

きっかけは些細なことだった。

今日の午後、校正部の先輩である藤原めぐみさんが、私の隣に来て原稿を確認しながら、何気なく言った。

藤原さんは三十一歳で、私が入社したときから面倒を見てくれている先輩だ。

「ことはちゃんって、お母さんに似てるよね」
それだけだった。

悪意がないことは、わかった。

藤原さんは私の実母を知らない。

里親家庭で育ったことも、話したことがなかった。

ただ、誰かと似ているということを、軽い口調で言っただけだった。

でもその言葉が、一日中、頭から離れなかった。

私は0歳から7歳まで、里親の長谷川照子さんの家で育った。

照子さんは現在六十一歳で、元保健師だ。

夫の長谷川武志さんは六十四歳で、会社員を定年退職して今は家庭菜園をしている。

今も連絡を取り合っている、大切な人たちだ。

実母の山下恵は、私が0歳のとき、育児放棄によって親権を失った。

今どこにいるのか。

生きているのか。

私は何も知らなかった。

顔も、声も、においも、何も知らなかった。

血がつながっているはずの人の、何も知らなかった。

検索結果が出た。

同姓同名のアカウントが、三つ表示された。

一つ目は、プロフィール写真のない鍵アカウントだった。

アカウント名は「yuki_m_1980」。

投稿は非公開で、何も見えなかった。

二つ目は、中年女性らしき写真のアカウントだった。

プロフィールには「横浜在住、料理が好き」と書いてあった。

投稿には、食事の写真が並んでいた。

三つ目は、明らかに二十代の若い女性のアカウントだった。

別人だと、すぐにわかった。

どれが実母かどうか、わからなかった。

わからないまま、三つのアカウントを交互に見た。

プロフィール写真のない鍵アカウントに、目が止まった。

「yuki_m_1980」という名前が、気になった。

1980年生まれとすれば、今年で四十五歳前後になる。

実母が1980年生まれかどうかも、私は知らなかった。

何も知らないから、何もわからなかった。

でも画面を閉じられなかった。

自分が何を求めているのか、わからなかった。

会いたいのか。

確認したいだけなのか。

存在を知りたいのか。

それとも、存在しないことを確認したいのか。

答えは出なかった。

出ないまま、時間が経った。

気がついたら、一時を過ぎていた。

スマートフォンを、ベッドの上に置いた。

天井を見た。

暗い天井だった。

藤原さんは「お母さんに似てるよね」と言った。

私は血のつながった母親の顔を知らない。

どこが似ているのか、確かめる方法がない。

似ているかどうかより先に、似ている相手がどこにいるのかも知らない。

二十四年間、保留にしてきた問いが、今夜に限って動き始めていた。

なぜ今夜なのかは、わからなかった。

ただ、検索窓に名前を打ち込んだことは、取り消せなかった。

打ち込んだという事実だけが、暗い部屋の中に残っていた。

任務報告

営業先から会社に戻ったのは、夕方の五時過ぎだった。

私は木村誠司、三十五歳。

中堅メーカーの営業職をもう十年続けている。

特別好きな仕事ではないが、不満もない。

毎日それなりにこなして、それなりに帰る。

そういう日々だった。

デスクに鞄を置いて、報告書を開いたとき、隣の席の松田恵子が振り返った。

三十三歳で、同じ営業部に勤めている。

悪い人ではないが、思ったことをすぐ口に出すタイプだ。

「木村さん、今日お母さん来てたよ」
「え」
「お昼ごろ、受付に。木村誠司の母です、って。でもすぐ帰っちゃったみたいで。木村さんに連絡しようとしたんだけど、外回り中だったし」
「人違いじゃないですか」
「そうかなあ。

背格好、似てると思ったんだけど」
愛想笑いを返して、話を流した。

受付に確認すると、来客記録には残っていなかった。

誰かが来たのは事実らしいが、名前も連絡先も不明だった。

私は自席に戻って、少し考えた。

里親として私を育ててくれた吉田幸子さんは、現在七十歳だ。

今も月に一度くらい連絡を取り合っている。

幸子さんが突然会社に来るとは考えにくいが、念のため電話をかけた。

「行ってないわよ。どうかしたの?」

「いえ、何でもないです」

電話を切った。

では誰だったのか。

考えたくない方向に、思考が動いた。

実母かもしれない、という考えだった。

私の実母は、私が六歳のとき蒸発した。

今どこにいるのか、生きているのかさえ知らない。

会いたいと思ったことは、ほとんどない。

少なくとも、そう思ってきた。

松田が「似てる」と言った。

血のつながらない幸子さんには、私は似ていない。

幸子さん本人も笑いながらそう言っていた。

では自分は誰に似ているのか。

鏡で自分の顔を見るとき、私はいつもその問いを素通りしてきた。

目の形、鼻の高さ、口元の癖。

どこから来たのか、わからない顔。

松田は悪意があって言ったわけではない。

ただの世間話だった。

でも「似てる」という言葉が、夕方の静かなオフィスの中で、じわりと引っかかったまま消えなかった。

帰り支度をしながら、私は窓の外を見た。

もし本当に実母だったとしたら、何のために来たのか。

会いたかったのか。

それとも、ただ顔を見たかっただけなのか。

そして私は、会いたかったのか。

わからなかった。

わからないまま、鞄を持って席を立った。

松田が「お疲れ様です」と言った。

私も「お疲れ様です」と返した。

いつもと同じ言葉だった。

でも駅に向かう道を歩きながら、私はずっと、自分の顔のことを考えていた。

誰かに似ているとはどういうことか。

三十五年間、ちゃんと考えたことがなかった問いが、今日に限って頭から離れなかった。