成人した今だから振り返って書ける里親家庭での日々の記録。当時は言えなかった気持ち、今だからわかること、里親への感謝や複雑な感情。「よかった」という結論でなくていい。「複雑な気持ちが今もある」という正直な記録が里親制度のリアルを最も深く伝える。
里親として康夫さんが私に残してくれたものが、この手の中にあるのかどうか、言葉ではわからない
幸子さんの家を訪ねたのは、浩二と飲んだ翌々週の日曜日だった。
特別な用事があったわけではない。
ただ、行きたくなった。
浩二に「康夫さんに似てきた」と言われてから、なぜかずっと幸子さんの顔が浮かんでいた。
電話でもよかったが、今回は直接会いたかった。
最寄り駅から歩いて七分。
道を、体が覚えていた。
角を曲がるタイミング、坂の手前にある小さな公園、吉田家の手前の電柱に巻きついた蔦。
子どものころと変わっていないものと、変わっているものが混在していた。
変わっていないものを見るたびに、六歳の自分がどこかから覗いている気がした。
七十歳の幸子さんは、インターフォンを押すより先に玄関を開けた。
「来ると思ってたわ」と言った。
「なんでですか」
「なんとなく」と笑った。
二年前に電話で言われた「なんとなく」と、同じ笑い方だった。
台所でお茶を飲んだ。
幸子さんが出してくれた煎餅を食べながら、特に意味のない話をした。
幸子さんの近所付き合いのこと、私の仕事のこと、先月降った雪のこと。
里親家庭で育った十二年間も、康夫さんが亡くなった三年前も、今日は誰も持ち出さなかった。
それでよかった。
しばらくして、幸子さんが「康夫さんの道具、使ってくれてる?」と聞いた。
「毎週末使ってます」
「そう」と幸子さんは言った。
「よかった。あの人、道具だけは大事にしてたから」
康夫さんの道具を使うたびに、私は康夫さんのことを考える。
考えようとしているわけではない。
ただ、手が動くと自然に思い出す。
鉋の重さとか、木くずのにおいとか、縁側の陽当たりとか。
体に染みついた記憶というのが、あるのだと思う。
帰り際、玄関で靴を履きながら、私は言った。
「六歳のとき、康夫さんにもらった木片、まだ持ってます」
幸子さんが動きを止めた。
「あの木片、覚えてたの?」
「ずっと持ってました。引っ越しのたびに」
幸子さんはしばらく黙っていた。
泣くかと思ったが、泣かなかった。
ただ、少し目を細めて、静かに笑った。
康夫さんが縁側で木を削っているとき、私が隣に座るといつもしてくれた笑い方に、少し似ていた。
「康夫さんに言ってあげたかったわね」と幸子さんは言った。
私は何も言えなかった。
言葉が出なかった。
ただ「また来ます」とだけ言って、玄関を出た。
帰り道を、ゆっくり歩いた。
空は曇っていたが、雨にはならなかった。
公園の前を通ると、小さな子どもが遊んでいた。
父親らしき男性が隣でしゃがんで、何かを教えていた。
私はその横を通り過ぎながら、少しだけ見た。
見て、また前を向いた。
自分の手を見た。
細くて、傷のない、三十五歳の私の手だった。
血がつながっていない人から受け継いだ鉋の角度を持つ、私の手だった。
似ているかどうかは、もうどちらでもいい気がした。
里親として康夫さんが私に残してくれたものが、この手の中にあるのかどうか、言葉ではわからない。
でも確かに何かがある。
六歳の縁側から始まって、三十五歳の今も続いている何かが。
名前がなくても、それは本物だったと思う。
名前をつけなくても、なくなるものではないと、今日初めて思えた気がした。
アパートに帰って、棚から木片を取り出した。
小さくて、古びて、康夫さんのにおいはもうしない。
でも手のひらに乗せると、あたたかかった。
気のせいかもしれない。
でも、あたたかかった。
それだけで、十分だった。
里親だった清子さんが、あの夜私のために作ってくれたものを、三十四年越しに自分で作っていた
あれから一週間が経った。
段ボール箱はリビングの隅に置いたままだった。
開けることも、片付けることもできなかった。
ただ、そこにあることが、今の私にはちょうどよかった。
ある夜、もう一度アルバムを開いた。
四冊を全部、最初から最後まで。
遠足の写真から始まって、中学の合唱コンクール、高校の文化祭、卒業式。
里親として清子さんが記録してくれた十年間が、几帳面に並んでいた。
写真の中の私は、ページを追うごとに少しずつ大人になっていった。
清子さんも、少しずつ年を取っていった。
最後のページに、一枚だけ、私の知らない写真があった。
高校の卒業式の翌日だと思う。
村上家の居間で、私が窓の外を見ている後ろ姿だった。
私は気づいていなかった。
清子さんがそっと撮ったのだろう。
後ろ姿の私は、何を見ていたのか覚えていない。
でも、その写真を撮った清子さんが何を思っていたのかは、少しだけわかる気がした。
引き止めなかった。
でも、見ていた。
私はその一枚を、額に入れることにした。
翌日、近所の雑貨店で小さな木製の額を買ってきて、寝室の棚に飾った。
健一は何も聞かなかった。
ただ、「いい写真だね」と言った。
後ろ姿しか映っていない写真を見て、そう言った。
私は「そうでしょ」と答えた。
なぜかそのとき、少しだけ笑えた。
その夜、夕食を作りながら、私は肉じゃがを作ることにした。
特に理由はなかった。
ただ、作りたかった。
里親だった清子さんが、あの夜私のために作ってくれたものを、三十四年越しに自分で作っていた。
レシピは清子さんから習ったわけではない。
けれど不思議と、手が迷わなかった。
じゃがいもを切りながら、あの夜のことを思った。
知らない家の、知らない食卓。
震える手で箸を持てなかった八歳の私。
「冷めたら温め直すね」と言った清子さんの横顔。
あの言葉の意味が、今ならわかる。
責めないということだった。
待つということだった。
あなたのペースでいい、ということだった。
八歳の私には重すぎた言葉が、四十二歳の私にはようやく、胃の腑に落ちた。
鍋の中で、じゃがいもがゆっくり煮えていった。
「ありがとう」は、結局言えなかった。
これからも言えない。
清子さんはもういないから。
でも、言えなかったことを、私はもう責めないことにした。
言えなかったのには理由があった。
感謝と、重さと、距離と、名前のつかない感情が全部ひとまとまりで、それが私の清子さんへの気持ちだったのだから。
泣けないままでいい、と思う。
泣けないことも、私の正直さだと思うから。
できあがった肉じゃがを、器に盛った。
健一を呼んで、二人で食卓についた。
一口食べて、おいしいと思った。
清子さんの味かどうかは、わからない。
比べる記憶が、私にはない。
でも、温かかった。
それだけは確かだった。
温かいものを、温かいうちに食べた。
それで十分だと、私は思った。