再婚と里親の間1 体育教師を十五年やってきた。 生徒の気持ちを読むのは、得意なはずだった。

任務報告

六月の土曜日、奈緒さんが夕飯を持ってきた。

チキンのトマト煮込みだった。
鍋ごと持ってきた。
玄関で受け取ったとき、鍋が温かかった。
作りたてだった。
「遥ちゃんが食べられるか、わからなくて」と奈緒さんが言った。
「大丈夫です」と私は言った。

遥は自分の部屋にいた。

「遥、奈緒さん来たぞ」と廊下に向かって言った。
しばらくして、遥が出てきた。
「こんにちは」と言った。
奈緒さんが「こんにちは、遥ちゃん」と言った。
笑顔だった。
遥も笑った。
笑ったが、目が笑っていなかった。
私は気づいた。
気づいて、台所に向かった。

三人でテーブルに座った。

奈緒さんが持ってきたトマト煮込みと、私が作った味噌汁が並んだ。
奈緒さんが「いただきます」と言った。
三人で手を合わせた。

奈緒さんが遥に話しかけた。

「最近、学校どう?」
「普通です」と遥が言った。

「好きな授業ある?」
「国語です」と遥が言った。

「本が好きなんだね」
「はい」と遥が言った。

それだけだった。
遥は間違っていなかった。
質問に答えていた。
でも何かが続かなかった。
奈緒さんが話しかけるたびに、遥が短く答えて、止まった。
止まるたびに、奈緒さんが次の言葉を探した。
その繰り返しだった。

私は黙って食べた。

間に入れなかった。
入ろうとするたびに、何を言えばいいかわからなかった。
体育教師を十五年やってきた。
生徒の気持ちを読むのは、得意なはずだった。
でも今夜の遥と奈緒さんの間に、私は入れなかった。

食事が終わった。

遥が「ごちそうさまでした」と言って、自分の皿を台所に持っていった。
「部屋に戻ってていいか」と私に言った。
「ああ」と私は言った。
遥が廊下に消えた。

奈緒さんが片付けを手伝った。

「トマト煮込み、食べてくれてよかった」と奈緒さんが言った。
「ありがとう、うまかった」と私は言った。
奈緒さんが笑った。
でも少しだけ、疲れた笑顔だった。
気づかないふりをした。
気づいてしまったら、何か言わなければならない気がした。

奈緒さんが帰った。

玄関でドアが閉まった。
廊下が静かになった。
私は台所に戻って、残った皿を洗い始めた。

奈緒さんが持ってきた鍋を洗った。

丸い、赤い鍋だった。
奈緒さんの家の鍋だった。
スポンジで内側を洗った。
トマトの赤が、泡と混ざって流れた。
温かい水が、手に当たった。

うまくいかなかった、と思った。

誰が悪いわけではなかった。
奈緒さんは優しかった。
遥も失礼ではなかった。
料理も、会話も、全部正しかった。
でも温度がなかった。
三人のテーブルに、温度がなかった。

遥が奈緒さんを見るとき、何かを測るような目をしていた。

何を測っていたのか、私には読めなかった。
この人は信用できるか。
この人はここにいていい人か。
それとも別の何かを。
読めないまま、鍋を洗い続けた。

誰かが、この三人の中で場所を譲らなければならない。

その感覚が、温かい水の中で、静かに浮かんだ。
誰が譲るのか。
譲った人は、どこへ行くのか。
答えが出ないまま、鍋がきれいになった。
私は鍋を伏せて、水を止めた。

台所が静かになった。

遥の部屋から、物音がした。
本をめくる音か、椅子を引く音か、わからなかった。
ただ、遥がそこにいた。
今夜も、ここにいた。
それだけが、今夜の確かなことだった。

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