任務報告

奈緒さんに連絡したのは、翌週の月曜日だった。

「話したいことがある」とメッセージを送った。
奈緒さんからすぐに返信が来た。
「いつでも」と書いてあった。
そのたった三文字が、重かった。
いつでも、という言葉の中に、待っていた時間があった。

水曜日の夜、また同じ居酒屋に行った。

カウンターに二人で座った。
ビールを頼んだ。
グラスが来た。
でも今夜は乾杯しなかった。
私がグラスを持たなかったから、奈緒さんも持たなかった。
先に話すべきだと思った。

「遥のことを、正直に話す」と私は言った。

奈緒さんが頷いた。

全部話した。

先月の夜、廊下で遥の泣き声を聞いたこと。
ノックできなかったこと。
翌朝、二人とも何も言わなかったこと。
先週、遥の部屋に入って話したこと。
「お父さんが好きならいいんじゃない」という言葉のこと。

話しながら、奈緒さんの顔を見た。

奈緒さんは黙って聞いていた。
グラスを両手で持ったまま、聞いていた。
表情が、途中で一度だけ動いた。
遥の言葉を話したとき。
「お父さんが好きならいいんじゃない」と私が言ったとき、奈緒さんの目が、少し揺れた。
でも何も言わなかった。
最後まで、聞いていた。

話し終えた。

カウンターが静かになった。
隣の席で、誰かが笑っていた。
居酒屋の音が、遠かった。

奈緒さんがグラスを置いた。

「遥ちゃん、そんなこと考えてたんだね」と言った。
責める声ではなかった。
ただ、言った。

「ああ」と私は言った。

「私が来るたびに、測ってたんだね。
この人は信用できるかって」
「そう見えた」
奈緒さんが少し黙った。
「私、遥ちゃんに好かれようとしてたかもしれない」と言った。
「好かれようとして、空回りしてたかもしれない」
私は何も言えなかった。
否定できなかった。
でも奈緒さんを責める気持ちもなかった。
好かれようとすることの、どこが悪いのか。
悪くなかった。
ただ、遥には届かなかった。
それだけのことだった。

「わかった」と奈緒さんが言った。

わかった、という言葉の意味を、私はすぐには聞けなかった。

別れを受け入れたのか。
待つということなのか。
距離を置くということなのか。
その言葉の中に何があるのか、聞かなければわからなかった。
でも聞けなかった。
聞いてしまえば、奈緒さんが答えを出さなければならなくなる。
今夜、それを求めるのは違う気がした。

「ありがとう」と奈緒さんが言った。
「話してくれて」
私は頷いた。

二人でビールを飲んだ。
冷えていた。
苦かった。
外が雨になっていた。
居酒屋の窓に、雨粒が当たった。
七月の雨だった。

その夜、帰ってから、私は遥の部屋をノックした。

「どうぞ」と遥が言った。

入ると、遥がベッドで本を読んでいた。
私は机の前の椅子に座った。
先週と同じ場所だった。

「話がある」と私は言った。

遥が本を閉じた。
膝の上に置いた。
私を見た。

「しばらく、別のおうちにいてほしい」と私は言った。
「里親、という制度がある。
遥のことをちゃんと迎えてくれる家が、ある」
遥が黙った。

私は続けた。
遥のためでも、奈緒さんのためでもなく、全部のためだと言おうとした。
でも言葉がうまく出なかった。
出てきたのは、別の言葉だった。

「俺が、まだ準備できていなかった。
遥と二人の生活を、ちゃんと守れていなかった。
それが先にある」
遥が下を向いた。
指がパジャマをつまんだ。
いつもの癖だった。

「お父さんは」と遥が言った。

「お父さんはここにいる」と私は言った。
「どこにも行かない」

遥が黙った。

長い沈黙だった。
外の雨が、窓を叩いていた。
七月の雨音だった。
本棚の本が、きれいに並んでいた。
遥の手が、パジャマをつまんだまま、止まっていた。

「わかった」と遥が言った。

先週の「わかった」より、重かった。
先週は場所を譲った「わかった」だった。
今夜は違った。
お父さんがここにいると言ったから、わかった。
その違いが、私にはわかった。

「遥」と私は言った。

「なに」
「お前に譲らせた。
すまなかった」
遥が顔を上げた。
私を見た。
目が、少し赤かった。
でも泣かなかった。
唇をきつく結んで、私を見た。

「べつに」と遥が言った。

二度目の「べつに」だった。
先週と同じ言葉だった。
でも今夜の「べつに」は、声が震えていなかった。
まっすぐ出てきた言葉だった。

部屋を出た。

廊下に出て、ドアを閉めた。
雨の音が続いていた。
私はしばらく廊下に立った。

誰かが場所を譲った。

大人が譲った。
奈緒さんが「わかった」と言った。
私が遥に正直に話した。
遥は譲らなくてよかった。
そのことだけが、今夜の私には十分だった。
十分かどうかは、本当はわからなかった。
奈緒さんの「わかった」の意味も、これからどうなるかも、まだ何もわからなかった。

でも今夜、遥が泣かなかった。

声を殺さずに、まっすぐ「べつに」と言えた。
それだけが、今夜の確かなことだった。

廊下を歩いた。

台所に行って、水を一杯飲んだ。
冷たかった。
喉を通って、腹に落ちた。
窓の外で、雨が続いていた。
七月の雨だった。
明日も降るかもしれなかった。
明日のことは、明日になればわかる。

今夜は、それだけでよかった。

任務報告

九月になると、また運動会のプリントが届いた。

去年と同じ書式で、同じゴシック体で「保護者席:お二人まで」と書いてあった。

私はそれをテーブルに置いた。

去年はこの一行を二度読んだ。

今年は一度だけ読んで、ペンを取った。

ショウが自分から言ったのは、その翌朝の朝食の席だった。

トーストを食べながら、ショウが私の方を見た。

ノブではなく、私を。

「タカシさん、来てほしい」
それだけだった。

九歳の男の子が、こちらを見たまま、ひと言だけ言った。

私は「わかった」と言って、プリントに名前を書いた。

タカシ。

ノブ。

去年と同じ二つの名前。

でも今年は、ペンを持つ手が震えなかった。

当日の朝は曇りだった。

運動場の砂が、去年より湿って暗く見えた。

保護者席に向かいながら、ノブが「去年と同じ場所に座るか」と言った。

私は「どこでもいい」と言った。

本当にどこでもよかった。

去年は席を探しながら周囲の視線を数えていた。

今年はそれをしていない自分に、歩きながら気づいた。

五十四歳と五十二歳の男が並んで保護者席に座った。

同性愛者である私たちを、じろじろ見る人もいた。

見ないふりをする人もいた。

去年と変わらない景色だった。

でも去年と違ったのは、私がそれをほとんど気にしていなかったことだ。

プログラムを膝に置いて、校庭を見ていた。

徒競走が始まった。

スタートラインにショウが並んだ。

白い帽子、去年と同じ。

でも背が少し伸びていた。

ピストルが鳴る前、ショウが保護者席を見た。

私たちを探していた。

目が合うと、ショウは小さくうなずいた。

私もうなずいた。

ピストルが鳴った。

ショウはまた速かった。

最初の数歩で前に出て、そのまま誰にも抜かせなかった。

ゴールテープを切った瞬間、ショウが振り返った。

去年は一瞬だけ保護者席を見てすぐに視線を外した。

今年は違った。

真っ直ぐこちらを見て、小さく手を振った。

私は手を振り返した。

五十四歳の男が、大勢の保護者の前で、九歳の男の子に向かって手を振った。

LGBTの里親として、この場所に座っていることへの迷いは、あの瞬間どこかへ消えていた。

ノブが隣で「よし」と短く言った。

それだけだった。

それで十分だった。

帰り道、三人で並んで歩いた。

去年は言葉が見つからなくて黙って歩いた。

今年は何を話せばいいか、少しだけわかった。

「速かったな」と私は言った。

ショウは「うん」と言った。

それから少し間をおいて「来年も来て」と言った。

私は「来るよ」と言った。

ノブが「俺も来るぞ、当然」と割り込んだ。

ショウが笑った。

口を開けて、声を出して笑った。

九歳の顔が、秋の曇り空の下で明るかった。

私はその笑顔を、正面から見た。

去年の運動会から一年かけて、ようやく正面から見られた気がした。

家に帰ってから、日記を開いた。

去年の同じ日のページを探した。

「来てよかったのかどうか、まだわからなかった」と書いてあった。

五十四歳の自分の字が、今夜は少し遠く見えた。

今年は短く書いた。

手を振り返した。

それだけで、今年は十分だ。

任務報告

三月の朝は、光が薄かった。

ショウの部屋から荷物が出ていくのを、私は一週間かけて少しずつ見ていた。

段ボールが一箱、二箱と廊下に並んで、部屋の中が白くなっていった。

八年間この家で暮らした男の子が、四月から県外の大学に進む。

十八歳になったショウは、私の肩を少し超えた。

いつの間にか、という言葉の意味を、今週は何度も思った。

出発の朝、私は六時に起きた。

台所に立って、卵焼きを焼いた。

ショウが小学校の低学年のころから好きだった味付けで、少し甘めにした。

味噌汁は豆腐と油揚げ。

白いご飯を三人分よそって、テーブルに並べた。

五十四歳の男が、十八年間誰かのために作ることのなかった朝食を、この子のために八年間作り続けた。

今朝が最後だと思うと、卵を溶く手が少しだけ遅くなった。

ノブが起きてきたのは六時半だった。

五十二歳の男は台所を覗いて「卵焼きか」と言った。

私は「ショウの好きなやつ」と言った。

ノブは「そうだな」と言って、冷蔵庫から牛乳を出した。

それだけだった。

それだけで、今朝の台所は十分だった。

ショウが起きてきたのは七時前だった。

寝癖がついたまま椅子に座って、味噌汁を両手で持った。

湯気が顔にかかって、ショウが少し目を細めた。

ノブがすぐに話しかけた。

大学の近くにいい定食屋があるらしいとか、引っ越し先の最寄り駅に銭湯があるとか、会いに行くときは連絡しろとか。

五十二歳の男は今朝もよくしゃべった。

ショウはよく笑った。

私は黙って卵焼きを食べた。

朝食が終わって、三人で片付けた。

ショウが自分の皿を洗った。

家に来た最初の夜、誰に言われるでもなく皿を台所に運んできた八歳を思い出した。

あの子がこんなに大きくなった。

その事実が、今朝は胸の奥に静かに落ちた。

玄関でショウがリュックを背負った。

段ボールは昨日、業者が運んでいった。

今朝のショウの荷物は、高校入学のときより少なかった。

それだけ向こうに根が張ったということだと、私は思った。

ノブが「元気でな」と言って、ショウの肩を一度叩いた。

ショウが「うん」と言った。

私はショウの前に立った。

何を言うべきか、昨夜からずっと考えていた。

気をつけろとか、困ったら連絡しろとか、体に気をつけろとか。

全部、正しかった。

全部、足りなかった。

「元気でな」と私は言った。

ノブと同じ言葉になった。

でもそれでよかった。

ショウは「うん」と言った。

それから少し間をおいて、私を見たまま言った。

「タカシさんも」
続けて「ノブさんも」と言った。

扉が開いて、冷たい三月の空気が入ってきた。

ショウが外に出た。

階段を降りる足音が聞こえた。

軽かった。

迷いのない足音だった。

扉が閉まって、足音が遠ざかって、やがて聞こえなくなった。

ノブが「行ったな」と言った。

私は答えなかった。

台所に戻って、三枚の皿を洗った。

お湯が手に当たって、白い湯気が上がった。

最後の一枚を拭きながら、今夜の日記に何を書くか考えた。

運動会のこと、熱の夜のこと、名前を呼ばれた朝のこと。

八年分のことが、今朝の台所に静かに重なっていた。

でも今夜書くことは、たぶん一行だけだ。

窓の外で、三月の風が鳴った。

この子は自分の足で出ていった。

それだけで、八年間は十分だった。

任務報告

三日後、いい日が戻ってきた。

目が覚めたとき、光が眩しすぎなかった。
体が、重くなかった。
布団から出られた。
それだけで、今日はいい日だとわかった。
いい日が三日ぶりに来た。
三日間、何ができたか。
布団にいた。
朝陽が作ったものを、少し食べた。
それだけだった。

台所に立った。

冷蔵庫を開けた。
卵があった。
ほうれん草があった。
朝陽の好きな卵焼きを作ろうと思った。
出汁を少し入れると、甘くなる。
朝陽が好きな甘さだった。
どこで覚えたか、わからなかった。
気づいたら、朝陽の好きな甘さを知っていた。

フライパンを熱した。

卵を溶いた。
出汁を入れた。
菜箸で混ぜた。
フライパンに流した。
端から巻いた。
うまく巻けなかった。
形が崩れた。
でも焼けた。
皿に乗せた。
三日ぶりに、朝食を作れた。

朝陽を起こしに行った。

部屋に入ると、朝陽はもう起きていた。
ベッドに座って、本を読んでいた。
私が入ってきた気配を感じて、顔を上げた。

笑った。

笑う前に、一瞬だけ私の顔を見た。
私の顔を確認してから、笑った。

私はその順番に、気づいた。

今まで気づかなかった。
でも今朝、気づいた。
笑う前に、私の顔を見る。
確認する。
お母さんは今日、いい日か。
笑っても大丈夫か。
それを確かめてから、笑っていた。

朝陽が「おはよう」と言った。

「おはよう」と私は言った。
声が、少しだけ遅れた。

台所に戻った。

卵焼きが皿にあった。
崩れた形のまま、あった。
トーストを焼いた。
牛乳をコップに注いだ。
朝陽が台所に来た。
椅子に座った。

「卵焼き」と朝陽が言った。
嬉しそうだった。

「形、崩れちゃった」と私は言った。

「いいよ」と朝陽が言った。
「おいしければ」
箸を取った。
一口食べた。
「おいしい」と言った。
笑った。

笑う前に、私の顔を見なかった。
卵焼きを見て、笑った。
今度は確認しなかった。
卵焼きが嬉しくて、確認する前に笑った。

私はそれを見た。

確認しない笑顔が、あった。
確認する笑顔と、確認しない笑顔が、朝陽には両方あった。
どちらが本当の笑顔か、ではなかった。
両方、本当だった。
でも確認する笑顔を、私が作らせていた。

トーストを手に取った。

食べようとした。
口に入れた。
噛んだ。
飲み込もうとした。
飲み込めなかった。
喉の手前で、止まった。

置いた。

朝陽が「どうしたの」と言った。

「ちょっと待って」と私は言った。
水を飲んだ。
冷たかった。
ゆっくり飲んだ。
喉が、少し動いた。

「食欲ない?」と朝陽が言った。

「少しだけ」と私は言った。

朝陽が頷いた。
それ以上聞かなかった。
また卵焼きを食べ始めた。
その引き下がり方が、八歳のものではなかった。
聞いて、引き下がる。
それをいつから覚えたのか。

私はもう一度、トーストを手に取った。

食べた。
今度は飲み込めた。
味がした。
バターの味がした。
焦げた端の、香ばしい味がした。
食べながら、朝陽の横顔を見た。

朝陽が食べ終えた。

「ごちそうさま」と言った。
皿を台所に持っていった。
水で軽く流した。
それも、いつから覚えたのかわからなかった。

ランドセルを背負って、玄関に向かった。

「行ってきます」と言った。
ドアを開けた。

「朝陽」と私は言った。

朝陽が振り返った。
「なに」
「おいしかった?」
朝陽が「うん」と言った。
笑った。
今度も、確認しなかった。
私の顔を見る前に、笑った。

ドアが閉まった。

一人になった台所で、私は椅子に座った。

朝陽の皿が、流しに伏せてあった。
きれいに流してあった。
卵焼きの皿も、重ねてあった。
八歳が、自分の食器を片付けた跡だった。

笑う前に、顔色を読む。

その順番を、今朝初めて正確に見た。
見てしまった。
見てしまったことで、もう知らないふりができなくなった。
知らないふりができなくなったことが、今朝の私には重かった。

重くなった体が、また「だめな日」に向かうかもしれなかった。

でも今日は、まだいい日だった。
いい日の朝に、見てしまった。
見てしまったことを、どこかへ持っていかなければならなかった。
一人で抱えていたら、また布団の中に沈む。

どこへ持っていくか。

答えは、まだなかった。
でも今日は、いい日だった。
いい日のうちに、考えなければならなかった。

任務報告

六月の夜は、蒸し暑かった。

ユイが玄関に立ったとき、私は靴を揃えることしかできなかった。

六歳の女の子は、花柄のボストンバッグを両手で抱えて、部屋の中を見ていた。

見ているというより、測っていた。

この場所が安全かどうかを、小さな目で静かに確かめていた。

「入って入って、靴脱いでいいよ」

ミオが膝をついて目線を合わせた。

二十六歳の女が、初めて会う子どもにそうやって笑えることを、私は七年間隣で見てきた。

私にはできない。

二十七歳になった今も、できない。

ユイはゆっくり靴を脱いで、部屋に入った。

夕食はミオが作った。

鶏の照り焼き、きゅうりの浅漬け、豆腐の味噌汁。

ミオはカフェの店長をしながら料理の腕を磨いてきた。

今夜は特別に力が入っていた。

醤油とみりんの匂いが部屋に満ちて、私はその匂いを嗅ぎながら、テーブルを拭いた。

三人で食卓を囲んだ。

ミオがよくしゃべった。

好きな食べ物のこと、近くに川があること、週末に一緒に行けたらいいねということ。

ユイは短くうなずいた。

箸はほとんど動かなかった。

照り焼きを一口、味噌汁を二口。

それだけだった。

食後、ミオが皿を重ねていると、ユイが言った。

「前のおうちのごはん、食べたい」
台所の水音が止まった。

ミオがユイを見た。

「どんなごはん?」と聞いた。

ユイはしばらく黙っていた。

それから小さく言った。

「……卵焼き」
それだけだった。

ユイはそれ以上話さなかった。

ミオは「そっか」と言って、また皿を洗い始めた。

水の音が戻った。

私はテーブルの前に座ったまま、動けなかった。

ユイが寝てから、日記を開いた。

同性愛カップルとしてLGBTの里親になることを決めたのは、二年前だった。

申請のたびに書類を書き直して、面談のたびに自分たちの関係を説明した。

二十代の女性同士が里親になれるのかと、何度も不安になった。

それでも進んできたのは、ミオが「やってみよう」と言い続けたからだ。

今夜、私が一番重く感じたのは、そのことではなかった。

ユイが「卵焼き」と言ったときの顔を、何度も思い返した。

泣いていなかった。

怒っていなかった。

ただ、遠くを見ていた。

六歳の子どもが、遠くを見るときの顔を、私は今夜初めて正面から見た。

この子には、帰りたい場所の味がある。

LGBTの同性愛カップルである私たちが里親として何をすべきか、今夜はまだわからない。

ただ、あの卵焼きの味だけは、消してはいけないと思った。

消すことも、できないと思った。

窓の外で、雨が降り始めた。

ユイの部屋の電気は、まだついていた。

任務報告

30代前半、不妊治療を続けていた時期に手にした自治体の広報誌に、里親制度の特集記事が載っていた。

そこで初めて、児童相談所を通じて家庭で子どもを預かる制度があることを知った。

読み終えた後、すぐに動こうとは思わなかった。ただ、その記事のことは、しばらく頭の片隅に残り続けた。

一番大きな不安は、自分たちがその子どもをきちんと受け止められるのかという点だった。

里親になる子どもは家庭の事情を抱えていることが多いと聞いていた。

専門的な知識もなく、経験もない自分たちに、本当に対応できるのか。その問いに答えを出せないまま、時間だけが過ぎた。

夫婦で自治体の里親説明会に参加したのは、そんな時期だった。実際に里親をしている人の話を聞いた。

きれいごとだけではない部分も、率直に語ってくれた。大変な話を聞いたからこそ、「それでもやってみよう」と思えた。

家庭で過ごす時間が子どもにとって大切だということ、完璧でなくてもできる範囲で関わることに意味があるということを、その場で初めて実感として受け取れた。

子どもが来てからの最初の頃は、家の中がひどく静かだった。

話しかけても短い返事だけが返ってくる。目を合わせることも少ない。食事もあまり進まない。

どう接するのが正解なのか分からないまま、戸惑う日が続いた。思っていた以上に距離があった。

「家族になる」などという感覚は遠く、「この場所に慣れてもらう」という段階に、まだ全然たどり着けていないような気がした。

良かれと思って話しかけすぎると、逆に重くなる気がした。

かといって距離を置きすぎると、この家が安心できる場所だと伝わらない。そのバランスが、しばらくの間まったくつかめなかった。

最もしんどかったのは夜の時間だった。

夜になると急に不安になるようで、寝る前になると落ち着かなくなった。

布団に入っても眠れず、何度も起きてきた。最初の数ヶ月は、ほとんど毎晩のようにそれが続いた。こちらも寝不足が蓄積していった。

何が不安なのか、聞いても言葉にはできない様子だった。

答えを求めることをやめて、ただそばにいることだけを続けた。夜中に起きてくるたびに、声をかけて、落ち着くまで待った。それを繰り返した。

今振り返ると、あの夜の時間が、じわじわと関係の土台を作っていたのかもしれないと思う。

劇的な場面ではなかった。何も解決しない夜が、ただ積み重なっていっただけだった。

しかしそれが、後になって意味を持っていた。

半年ほど経った頃のことだ。

学校から帰ってきた子どもが、玄関を入るなり「今日ね」と話し始めた。

それまでは、こちらから聞かなければ学校のことを話すことはなかった。その日は違った。自分から、今日あったことを話してくれた。

内容は何でもないことだった。しかし「今日ね」というその言葉の軽さが、その日だけ違う重さを持っていた。

この家を、少しだけ安心できる場所として感じてくれているのかもしれない。そう思えた瞬間だった。

関係というのは、こういうふうに変わっていくのだと思う。

大きな出来事ではなく、ある日の帰宅後の「今日ね」という一言。そこにすべてが凝縮されていた。

近所には詳しい事情まで話さず、親戚の子どもをしばらく預かっているという説明をすることが多かった。

子どもに余計な視線が向かないよう、情報の出し方を慎重にした。

職場には、上司にだけ里親であることを正直に伝えた。

急な対応が必要になる場面を想定して、最低限の理解を事前に得ておくことが、結果的に子どもとの生活を守ることにつながると判断した。

里親を考えている人に伝えたいのは、理想だけで考えない方がよいということだ。

子どもによって状況も性格もまったく違い、思い通りにいかないことの方が多い。

一人で完結しようとせず、児童相談所や周囲と相談しながら続けていく姿勢が、長く関わり続けるための条件になる。

里親になる前の自分に言えるとしたら、「不安に思う気持ちは自然なことだから、無理に自信を持とうとしなくていい」と伝えたい。

分からないことは周りに頼りながら進めばいい。最初から完璧にできなくて当然だ。

里親をしていると、子どもが少しずつ変わっていく姿を目にする。それは劇的な変化ではない。

夜中に何度も起きていた子が、ある夜だけぐっすり眠った。ほとんど食べなかった子が、今日は少し多めに手を伸ばした。

目が合わなかった子が、ふと視線をよこした。そういう、日常の中の小さな変化だ。

その積み重ねを見守る時間が、里親になってよかったと、しみじみと思わせてくれる。派手な感動はない。

しかしあの時間は確かに存在した。夜が明けるたびに、ほんの少しだけ近くなっていた。

そのことだけは、今も変わらない事実として残っている。

任務報告

面談は、月に二回あった。

精神科の外来に、支援員の川島さんがいた。
四十代の、落ち着いた女性だった。
診察の前後に、三十分ほど話す時間があった。
私はいつも「大丈夫です」と言ってきた。
大丈夫ではなかった。
でも大丈夫と言うことで、自分を保ってきた。
大丈夫と言えば、大丈夫な人間でいられる気がした。
そう思ってきた。

五月の面談だった。

川島さんが向かいに座った。
部屋は小さかった。
窓が一つあって、外が見えた。
今日は曇っていた。
白い空だった。
川島さんが「最近、どうですか」と言った。

「先週、三日間、布団から出られませんでした」と私は言った。

川島さんが頷いた。
「三日間、朝陽くんはどうしていましたか」と言った。

朝陽のことを聞かれたのは、初めてだった。

「大丈夫です」と言おうとした。
言いかけた。
でも止まった。
朝陽のことを、大丈夫と言えなかった。
自分のことは大丈夫と言えた。
嘘でも言えた。
でも朝陽のことには、その言葉が出なかった。

「夕飯を、作ってくれました」と私は言った。
「朝陽が」
川島さんが少し間を置いた。
「作ってくれたんですね」と言った。

「はい。
いつからか、作れるようになっていて」私は続けた。
「気づいたら、そうなっていました。
私が教えたわけじゃなくて」
川島さんが頷いた。
「他に、気づいたことはありますか」と言った。

私は少し黙った。
今朝の朝陽の顔が、浮かんだ。
笑う前に、私の顔を見る。
確認してから、笑う。
その順番が、浮かんだ。

「笑う前に、私の顔を見るんです」と私は言った。

「朝陽くんが?」
「はい。
笑っていいかどうか、確認してから笑う。
今朝、初めて気づきました」
川島さんが黙った。
窓の外の白い空が、変わらずそこにあった。
私は川島さんの顔を見た。
川島さんは私を見ていた。
責めていなかった。
でも何かを、受け取っていた。

涙が出た。

止めようとしたが、出た。
出てしまってから、止めることを諦めた。
川島さんがティッシュを差し出した。
私は受け取った。
目を押さえた。
泣きながら、続けた。

「私が、そうさせたんだと思います。
だめな日の私を見て、覚えたんだと思う」
「そうかもしれません」と川島さんが言った。

否定しなかった。
でも責めなかった。
そうかもしれない、とだけ言った。

泣きながら、話した。

元夫と離婚してから、うつが悪化したこと。
一人で朝陽を育てながら、「大丈夫です」と言い続けてきたこと。
大丈夫ではない日を、朝陽に見せてきたこと。
見せながら、朝陽が変わっていくのを、気づかないふりをしてきたこと。

全部、川島さんの前で出てきた。

川島さんは黙って聞いた。
メモを取らなかった。
ただ、聞いた。
その聞き方が、川島さんらしかった。
急かさなかった。
まとめようとしなかった。
私が話すままに、受け取った。

泣き終えた。

ティッシュが、手の中でぐしゃぐしゃになっていた。
私はそれを握ったまま、川島さんを見た。

「由佳さんが気づいたこと、大事なことだと思います」と川島さんが言った。

大事なこと、という言葉が、部屋に残った。

責めではなかった。
慰めでもなかった。
ただ、大事なことだ、と言った。
気づいたことを、大事なことだと言った。
気づいてしまったことを、責められると思っていた。
自分でも責めていた。
でも川島さんは、大事なことだと言った。

「朝陽くんのために、何かできることを、一緒に考えませんか」と川島さんが言った。

私は頷いた。

「里親、という選択肢があります」と川島さんが言った。
「由佳さんが回復するための時間を、朝陽くんが安全な場所で過ごす、という考え方です」
里親、という言葉を、聞いたことはあった。
でも自分に関係のある言葉だとは、思っていなかった。
今日まで。

川島さんの声が、穏やかだった。

窓の外の空が、少し明るくなっていた。
白い雲が、動いていた。
私はそれを見た。
動いていた。
止まっていなかった。
雲は、止まらなかった。

面談室を出た。

廊下が明るかった。
蛍光灯の白い光が、廊下に続いていた。
私は歩いた。
泣いた後の顔が、まだ残っていた。
目が、腫れているかもしれなかった。
でも歩けた。

自分のことは嘘をつけた。

でも朝陽のことには、嘘をつけなかった。
その違いが、今日の私には大きかった。
嘘をつかなかったから、泣いた。
泣いたから、川島さんに聞いてもらえた。
聞いてもらえたから、里親という言葉が届いた。

順番があった。

嘘をつかないことが、最初にあった。
朝陽の顔が、笑う前に私の顔を見た、あの朝が、最初にあった。

外に出た。

曇っていた空が、少し変わっていた。
雲の隙間から、光が差していた。
五月の光だった。
眩しかったが、刺さらなかった。
今日は、まだいい日だった。

任務報告

三週間が経った。

ユイは少しずつ部屋に慣れてきた。

朝、自分でカーテンを開けるようになった。

夕食のあと、食器を台所に運んでくるようになった。

言葉は少なかったが、私たちの動きを目で追うことが増えた。

それだけで、今月は十分だとミオが言った。

私は日記にそれを書いた。

ある土曜の昼過ぎ、ミオが台所でボウルを出した。

「ユイちゃん、卵焼き一緒に作らない?」
リビングでクレヨンを動かしていたユイが顔を上げた。

首を横に振った。

ミオは「そっか」と言って、一人で卵を割り始めた。

私はソファから見ていた。

十分くらい経ったころ、ユイがクレヨンを置いた。

音もなく立ち上がって、台所に向かった。

ミオの隣に、黙って立った。

ミオは何も言わなかった。

砂糖とだしを混ぜながら、ユイが覗き込める角度にボウルを傾けた。

六歳の女の子が、二十六歳の女の隣で、泡立つ卵液を見ていた。

フライパンに油を引くと、じゅわりという音がした。

ユイの肩が少し動いた。

卵液を流すと、甘い匂いが台所に広がった。

ミオが菜箸で端を折りながら、丁寧に巻いた。

皿に乗せて、三つに切った。

「食べてみて」
ユイは箸を持った。

一切れを口に入れた。

よく噛んだ。

飲み込んだ。

「ちがう」
泣かなかった。

叫ばなかった。

ただ、静かに言った。

箸を皿の横に置いた。

ミオは「そっか、ちがうか」と言って、自分の箸を取った。

残りの二切れを、ゆっくり食べた。

おいしそうに食べた。

傷ついた顔を、しなかった。

私はそれを、台所の入口から見ていた。

夜、ユイが寝てから日記を開いた。

今日書きたいことは、ミオのことだった。

「ちがう」と言われたとき、ミオは一秒も顔を曇らせなかった。

LGBT、同性愛カップルとして里親になることを決めたとき、私は自分たちに足りないものを数え続けた。

経験も、実績も、世間が想像する「ふつうの家族」の形も。

でも今日台所で足りなかったのは、そういうことじゃなかった。

あの味だけは、再現できない。

ユイの前の家庭で、毎朝作られていた卵焼き。

その味を作った手を、私たちは知らない。

その台所の匂いを、私たちは嗅いだことがない。

どれだけ近づこうとしても、同じにはなれない。

でも今日、ミオは「そっか、ちがうか」と言った。

それだけだった。

責めなかった。

謝らなかった。

ただ、受け取った。

私はミオのその強さを、まだ持っていない。

ペンを置いて、台所を見た。

洗い終わったフライパンが、水切りかごに立てかけてあった。

油の匂いが、まだ少し残っていた。

任務報告

今日も「あの」だった。

朝、カイが起きてきて、テーブルに座った。

トーストを焼いていた私の背中に向かって「あの……」と言った。

振り返ると、カイは牛乳パックを両手で持って、私を見ていた。

「開けてほしいの?」と聞くと、小さくうなずいた。それだけだった。

名前は、出てこなかった。

ユキは今朝も早番で、六時前に家を出た。

四十一歳の女が毎朝あの速さで支度を終えることを、七年間見てきてもまだ少し驚く。

玄関が閉まる音がするたびに、この家が少し静かになる。

今朝はその静けさの中に、カイがいた。

委託から三週間が経った。

今日、カイが転んだ。近所の公園で、砂利に足を取られて膝を擦りむいた。

じわりと血が滲んで、カイは泣かなかった。泣かないように、唇をきつく結んでいた。

七歳の子どもが、泣くのをこらえる顔を、私は正面から見た。

家に戻って、救急箱を出した。

消毒液を染み込ませたコットンを当てると、カイの肩がびくりと跳ねた。それでも声を出さなかった。

絆創膏を貼り終えたとき、カイが言った。

「あの……お願いします」

もう終わったあとだった。だから「お願いします」は、たぶん処置のことじゃなかった。
何に対して言ったのか、私にはわからなかった。わからないまま「うん」と言った。

夜、日記を開いた。

今日の「あの」は、今までと少し違う重さがあった。うまく説明できない。

ただ、あの声が耳に残っている。助けを求めることに、どこかで慣れていない子どもの声が。

消毒液の匂いが、まだ指先に残っていた。

任務報告

話す日を、土曜日に決めた。

理由があった。
土曜日は朝陽が学校に行かない。
一日、一緒にいられる。
話すなら、一日の終わりがいいと思った。
朝に話して、朝陽が学校に行く後ろ姿を見送るのは、違う気がした。
話した後、一緒にいたかった。

その土曜日は、いい日だった。

朝、目が覚めたとき、体が重くなかった。
光が眩しすぎなかった。
布団から出られた。
今日はいい日だ、とわかった。
今日に決めていてよかった、と思った。
だめな日に、この話はできなかった。

朝食を、一緒に作った。

「何がいい」と朝陽に聞いた。
「ホットケーキ」と朝陽が言った。
ホットケーキは、時間がかかった。
でも今日は時間があった。
粉を量って、卵を割って、牛乳を入れた。
朝陽が混ぜた。
泡立て器で、真剣に混ぜた。
生地が滑らかになった。

フライパンに流した。

丸く広がった。
表面に気泡が出てきた。
ひっくり返した。
きつね色だった。
うまくできた。
朝陽が「きれい」と言った。
笑った。
私の顔を確認する前に、フライパンを見て笑った。

二枚、三枚と焼いた。

バターとメープルシロップを出した。
二人でテーブルに座って食べた。
甘かった。
温かかった。
朝陽が「おいしい」と言った。
私も食べた。
今日は飲み込めた。
喉が、ちゃんと動いた。

午後、一緒にテレビを見た。

朝陽が好きな動物の番組だった。
アフリカの草原で、チーターが走っていた。
朝陽が「速い」と言った。
「本当に速いね」と私は言った。
チーターが獲物を追いかけた。
朝陽が画面に近づいた。
私は「離れて見なさい」と言った。
朝陽が「はーい」と言って、少し戻った。

普通の午後だった。

普通の午後が、今日はあった。
こういう午後を、もっと作れていたらよかった。
でも今日は、あった。
今日あったことは、本当にあった。
それだけは、確かだった。

テレビが終わった。

夕飯を作った。
朝陽の好きなからあげにした。
油の温度を確かめながら、揚げた。
焦げなかった。
きつね色に、うまく揚がった。
二人で食べた。
朝陽が「おいしい」と言った。
三回、言った。

夕飯の片付けが終わってから、私はソファに朝陽を呼んだ。

「朝陽、ちょっといい」
朝陽が来た。
私の隣に座った。
テレビはついていなかった。
部屋が静かだった。
五月の夜だった。
窓の外で、どこかで虫が鳴いていた。

「話があるんだけど」と私は言った。

朝陽が私を見た。
笑っていなかった。
でも怖がってもいなかった。
ただ、聞く顔だった。

「朝陽に、新しいおうちに行ってほしいと思ってる」と私は言った。
「お母さんとは別の、別の大人の人のところへ」
朝陽が黙った。

私は続けた。
里親という制度のこと。
朝陽のことをちゃんと迎えてくれる家があること。
お母さんが元気になるための時間が必要なこと。
川島さんに教わった言葉を、自分の言葉に変えながら、話した。

朝陽がしばらく黙っていた。

膝の上に手を置いて、下を見ていた。
私は待った。
急かさなかった。
朝陽のペースを、待った。

「お母さんが治ったら、帰れる?」と朝陽が言った。

私は一秒、止まった。

治る、という言葉を、自分に使ったことが、あまりなかった。
治るかどうか、わからなかった。
主治医も、治る、とは言わなかった。
うまく付き合っていく、という言葉を使った。
でも朝陽は、治る、と言った。

「そうなるといいと思ってる」と私は言った。

嘘をつかなかった。
治る、と言えなかった。
でも治りたい、という気持ちは本物だった。
そうなるといいと思ってる、という言葉が、今の私に言える、一番正直な言葉だった。

朝陽が頷いた。
「わかった」と言った。

部屋が静かだった。

私は朝陽の横顔を見た。
朝陽が窓の外を見ていた。
虫の声がしていた。
五月の夜の、細い声だった。

「今日、いい日だったね」と朝陽が言った。

私は止まった。

朝陽が、いい日、という言葉を使った。
私が使う言葉を、朝陽も使っていた。
いい日と、だめな日。
その区別を、朝陽はずっと知っていた。
私が思っていた以上に、ずっと前から、知っていた。

「うん」と私は言った。
声が、震えそうだった。
震える前に、飲んだ。
「今日は、いい日だった」
「ホットケーキ、おいしかった」と朝陽が言った。

「うん」と私は言った。

「からあげも」
「うん」
朝陽が私を見た。
笑った。
確認しなかった。
私の顔を見る前に、笑った。
今日は何度も、確認しない笑顔があった。

私も笑った。

涙が出そうだったが、出なかった。
笑えた。
今日はいい日だった。
いい日の終わりに、この話ができた。
いい日に話したかった。
だめな日に話すより、いい日に話したかった。
それだけは、叶った。

任務報告

妻が里親制度のことを話してくれたのは、不妊治療をやめようかという話をしていた夜だった。

自分はそのとき、どちらかといえば聞いている側だった。妻が調べてきた内容を聞いて、「いいんじゃないか」と言った。

今思えば、その軽さが後になって問題になった。

説明会にも研修にも、一緒に参加した。書類も二人で揃えた。形の上では、対等に進めていたつもりだった。

しかし子どもが来てから数ヶ月が経った頃、妻に言われた。「全部私がやっている気がする」と。

反論できなかった。仕事を理由に、細かい判断を妻に委ねていた。

学校への連絡も、児童相談所との面談の準備も、子どもの夜の不安定さへの対応も、気づけばほぼ妻が担っていた。

自分は「サポートしている」つもりでいたが、妻の目には「いるだけ」に映っていたのかもしれない。

正直に言えば、子どもへの関わり方が分からなかった。

来たのは10歳の男の子だった。施設での生活が長く、大人の男性に対して警戒心が強いと事前に聞いていた。

実際、最初の頃は自分が部屋に入るだけで子どもの表情が固まった。

無理に距離を縮めようとすれば逆効果だと思い、接触を控えた。しかしそれが「関わらない」ことと同じになっていた。

妻は毎日声をかけ、食事を作り、宿題を見ていた。

自分は仕事から帰って「おかえり」と言い、食卓に座り、テレビを見た。

子どもにとって、自分はその家に「いる大人」でしかなかったと思う。

限界が来たのは、委託から1年ほど経った頃だった。

子どもの試し行動が続いていた時期で、妻が精神的に追い詰められていた。その夜、妻がリビングで泣いていた。

声をかけると「もう分からない、どうしたらいいのか」と言った。

そのとき初めて、自分が何もしていなかったことを理解した。

「サポート」とは、妻が困ったときに話を聞くことではない。

日常の中で、最初から半分を担うことだ。それができていなかった。

翌日から、意識的に変えた。朝の支度を自分が担当した。週に一度は自分が夕食を作った。

児童相談所との連絡窓口を自分に切り替えた。小さなことだったが、妻の表情が少しずつ変わっていった。

関係が変わったのは、ある土曜日だった。妻が体調を崩して寝込み、子どもと二人きりになった。

どこかに連れて行かなければと思い、近所の公園に行くことにした。

公園でキャッチボールをした。子どもは最初、ぎこちなかった。自分もぎこちなかった。

それでも30分ほど続けていると、子どもが「もう一回」と言った。その言葉が、その日一番うれしかった。

帰り道、子どもが「またやろう」と言った。それだけだった。しかしそれまで自分に向けられたことのなかった言葉だった。

家に帰って妻に話すと、「よかった」と言って笑った。

里親を夫婦で始めようとしている男性に、一番伝えたいのはこれだ。「妻に任せない」ということ。

里親の実務は、放っておくと自然に女性側に集中する。

連絡、記録、面談、日常のケア、どれも「気づいた方がやる」では、気づく側に偏っていく。

意識して半分を取りに行かないと、いつの間にか妻だけが消耗している。

子どもとの関係も、待っていても始まらない。自分から動かなければ、「いるだけの大人」のまま時間が過ぎる。

不器用でもいい。キャッチボールでも、一緒に買い物に行くだけでも、何か一つ自分だけの接点を作ること。

それが、子どもにとっての「この家にいる男の人」から「この家の人」になる、最初の一歩だと思っている。

里親になる前の自分に言えるとしたら、「いいんじゃないか、じゃ足りない」と伝えたい。

任務報告

委託の朝、いい日だった。

目が覚めたとき、光が眩しすぎなかった。
体が重くなかった。
布団から出られた。
今日はいい日だ、とわかった。
わかって、少し泣きそうになった。
泣かなかった。
今日は泣く日ではなかった。
今日は、朝陽と朝食を作る日だった。

朝陽を起こしに行った。

部屋に入ると、朝陽はもう起きていた。
布団の上に座って、窓の外を見ていた。
私が入ってくると、振り返った。
笑った。
確認しなかった。
私の顔を見る前に、笑った。

「おはよう」と朝陽が言った。

「おはよう」と私は言った。
「一緒に作ろう」
朝陽が「うん」と言って、立ち上がった。

二人で台所に立った。

朝陽が卵を割った。
上手だった。
黄身が崩れなかった。
いつから上手になったのか、わからなかった。
でも上手だった。
私がほうれん草を切った。
朝陽が混ぜた。
二人で作った。

スクランブルエッグができた。

トーストと一緒に、テーブルに並べた。
二人で座って食べた。
朝陽が「おいしい」と言った。
私も食べた。
飲み込めた。
味がした。
卵の柔らかい味がした。
今日は最後の朝食だった。
でも最後だとは言わなかった。
ただ、食べた。

食べながら、朝陽が話した。

昨日、学校で理科の実験があったこと。
植物の種を植えたこと。
芽が出るのが楽しみだと言った。
私は「何の種」と聞いた。
「ひまわり」と朝陽が言った。
「ひまわりかあ」と私は言った。
「大きくなるよ」と朝陽が言った。
「なるね」と私は言った。

普通の朝だった。

普通の朝が、今日もあった。

担当者の車で、里親の家へ向かった。

朝陽が後部座席に座った。
窓の外を見ていた。
私は隣に座った。
車が動き出した。
町が流れた。
いつも通る道だった。
パン屋、郵便局、朝陽の通う小学校。
小学校の前を通ったとき、朝陽が少しだけ窓の方に顔を向けた。
何も言わなかった。
また前を向いた。

私は朝陽の横顔を見た。

ひまわりの種を植えた、と言っていた。
芽が出るのを楽しみにしていた。
その芽が出るころ、朝陽はここにいない。
誰が水をやるのか。
先生がやるかもしれない。
クラスの誰かがやるかもしれない。
朝陽が見られないかもしれなかった。

でも種は、植えた。

朝陽が植えた種が、土の中にあった。
それだけは、確かだった。

里親の家は、川の近くにあった。

緑の多い、静かな住宅街だった。
庭に、花壇があった。
色とりどりの花が咲いていた。
誰かが丁寧に育てた花だった。
担当者が車を止めた。

里親の夫婦が出てきた。

五十代の、穏やかな二人だった。
妻が朝陽に「来てくれてありがとう」と言った。
声が温かかった。
朝陽が少し照れた。
夫が「花、好きか」と言った。
花壇を指した。
朝陽が「きれいですね」と言った。
夫が「一緒に育てよう」と言った。
朝陽が小さく頷いた。

私はその会話を、少し離れて見ていた。

朝陽が花壇を見ていた。
色とりどりの花を、じっと見ていた。
ひまわりはまだなかった。
でも夏になれば、咲くかもしれなかった。
朝陽が育てた、学校のひまわりとは別の、ひまわりが。

玄関の前で、朝陽が私を見た。

「お母さん」と言った。

「なに」
「だめな日は、どうするの」
私は止まった。

だめな日。
朝陽がその言葉を使った。
いい日と、だめな日。
その区別を、朝陽はずっと知っていた。
知っていて、今日も使った。
だめな日の私を、心配していた。

「一人でいる」と私は言った。

正直に言った。
だめな日は、布団の中にいる。
一人でいる。
それが今までだった。

朝陽が「一人はだめだよ」と言った。

静かな声だった。
責めていなかった。
ただ、言った。
八歳が、母親に言った。
一人はだめだよ、と。

私は答えられなかった。

答えられないまま、朝陽の顔を見た。
朝陽が私を見ていた。
笑っていなかった。
でも怒っていなかった。
ただ、真剣な顔だった。
八歳の、真剣な顔だった。

「わかった」と私は言った。

朝陽が少し頷いた。
それから里親の妻の方を向いた。
妻が「入ろうか」と言った。
朝陽が頷いた。
歩き出した。
玄関のドアが開いた。
朝陽が中に入った。
一度だけ振り返った。
私を見た。
笑った。

確認しなかった。

私の顔を見る前に、笑った。
振り返って、そのまま笑った。
それだけだった。
ドアが閉まった。

花壇の花が、風に揺れた。

帰り道、私は担当者の車に乗らなかった。

「歩いて帰ります」と言った。
担当者が「大丈夫ですか」と言った。
「今日はいい日なので」と私は言った。
担当者が頷いた。

川沿いの道を歩いた。

水が流れていた。
五月の川だった。
光が水面に当たって、きらきらしていた。
風が吹いた。
温かかった。

スマホを取った。

川島さんの名前を探した。
電話をかけた。
呼び出し音が鳴った。
二回鳴って、川島さんが出た。

「松本です」と私は言った。
「朝陽を、送ってきました」
「そうですか」と川島さんが言った。
穏やかな声だった。
「今、どこにいますか」
「川の近くを、歩いています」
「一人ですか」
「一人です」と私は言った。
少し間を置いた。
「だめな日になったとき、電話してもいいですか」
川島さんが「もちろんです」と言った。
「いつでも」

電話を切った。

川が流れていた。
止まらずに、流れていた。
私は歩き続けた。

朝陽が「一人はだめだよ」と言った。
その言葉が、今日の私を動かした。
だめな日に一人でいることを、朝陽に心配させない。
そのための電話だった。
朝陽のための電話が、私のための電話でもあった。

今日は、まだいい日だった。

だめな日が来るかもしれなかった。
明日かもしれなかった。
来週かもしれなかった。
でもだめな日になっても、今日、電話番号を一つ持った。
川島さんの声が、電話口にあった。

だめな日も、もう一人ではなかった。

川沿いの道が続いていた。
光が水面に当たっていた。
風が吹いた。
五月の風が、温かかった。
私は歩いた。
どこまで歩くかは、決めていなかった。
でも今日は歩けた。
いい日の足が、川沿いを歩いていた。

朝陽が植えたひまわりが、今頃土の中にあった。

芽が出るのを、誰かが楽しみにしている。
朝陽が楽しみにしている。
その楽しみが、土の中にあった。
私には見えなかったが、そこにあった。

それだけが、今日の最後に、確かなことだった。

任務報告

深夜の十二時を過ぎていた。

部屋の電気を消して、スマートフォンの画面だけが光っていた。

同居人の宮本さおりはもう寝ていて、アパートは静かだった。

私はベッドの上で、SNSの検索窓を開いたまま、動けずにいた。

私は山下ことは、二十四歳。

都内の小さな出版社で校正の仕事をしている。

検索窓に、文字を打ち込んだ。

山下恵。

実母の名前だった。

検索するつもりは、なかった。

指が動いていた。

一日中、頭から離れなかった言葉があって、気がついたら打ち込んでいた。

きっかけは些細なことだった。

今日の午後、校正部の先輩である藤原めぐみさんが、私の隣に来て原稿を確認しながら、何気なく言った。

藤原さんは三十一歳で、私が入社したときから面倒を見てくれている先輩だ。

「ことはちゃんって、お母さんに似てるよね」
それだけだった。

悪意がないことは、わかった。

藤原さんは私の実母を知らない。

里親家庭で育ったことも、話したことがなかった。

ただ、誰かと似ているということを、軽い口調で言っただけだった。

でもその言葉が、一日中、頭から離れなかった。

私は0歳から7歳まで、里親の長谷川照子さんの家で育った。

照子さんは現在六十一歳で、元保健師だ。

夫の長谷川武志さんは六十四歳で、会社員を定年退職して今は家庭菜園をしている。

今も連絡を取り合っている、大切な人たちだ。

実母の山下恵は、私が0歳のとき、育児放棄によって親権を失った。

今どこにいるのか。

生きているのか。

私は何も知らなかった。

顔も、声も、においも、何も知らなかった。

血がつながっているはずの人の、何も知らなかった。

検索結果が出た。

同姓同名のアカウントが、三つ表示された。

一つ目は、プロフィール写真のない鍵アカウントだった。

アカウント名は「yuki_m_1980」。

投稿は非公開で、何も見えなかった。

二つ目は、中年女性らしき写真のアカウントだった。

プロフィールには「横浜在住、料理が好き」と書いてあった。

投稿には、食事の写真が並んでいた。

三つ目は、明らかに二十代の若い女性のアカウントだった。

別人だと、すぐにわかった。

どれが実母かどうか、わからなかった。

わからないまま、三つのアカウントを交互に見た。

プロフィール写真のない鍵アカウントに、目が止まった。

「yuki_m_1980」という名前が、気になった。

1980年生まれとすれば、今年で四十五歳前後になる。

実母が1980年生まれかどうかも、私は知らなかった。

何も知らないから、何もわからなかった。

でも画面を閉じられなかった。

自分が何を求めているのか、わからなかった。

会いたいのか。

確認したいだけなのか。

存在を知りたいのか。

それとも、存在しないことを確認したいのか。

答えは出なかった。

出ないまま、時間が経った。

気がついたら、一時を過ぎていた。

スマートフォンを、ベッドの上に置いた。

天井を見た。

暗い天井だった。

藤原さんは「お母さんに似てるよね」と言った。

私は血のつながった母親の顔を知らない。

どこが似ているのか、確かめる方法がない。

似ているかどうかより先に、似ている相手がどこにいるのかも知らない。

二十四年間、保留にしてきた問いが、今夜に限って動き始めていた。

なぜ今夜なのかは、わからなかった。

ただ、検索窓に名前を打ち込んだことは、取り消せなかった。

打ち込んだという事実だけが、暗い部屋の中に残っていた。

任務報告

不妊治療を断念したとき、次の選択肢として里親という道が視界に入ってきた。

妻が先に動いた。実際に里親経験のある人から話を聞く機会を得て、その話を自分も聞きに行った。

「やってみよう」と思ったのは、そのときだった。

血の繋がらない子どもを愛せるのか、という問いは最初からあった。自信があったわけではない。

ただ、話を聞いた後に残ったのは不安よりも、やってみなければ分からないという気持ちだった。

子どもが来て最初に戸惑ったのは、想定していなかったことだった。

男の子として迎えたはずなのに、仕草や雰囲気が女の子に近かった。

後から分かったことだが、施設にいた頃、周囲にいたのは女性ばかりだったという。

自然と女性的な振る舞いが身についていたのだろう。どう接すればいいのか、最初は戸惑った。

男の子として接するべきなのか、本人の自然な様子に合わせるべきなのか。答えを持たないまま、日々が始まった。

戸惑いはやがて、夫婦間の対立に発展した。

子どもの性別のあり方をどう受け止めるか。男性として見るのか、本人の自然な様子を女性的なものとして受け入れるのか。

二人の間で意見が合わなかった。どちらが正しいという話ではなかったが、同じ屋根の下で子どもに接する方針が一致しないことは、じわじわと家の中の空気を重くした。

正解が見えないまま、それでも毎日は続いた。

子どもが小学校に上がってから、性別のミスマッチを理由にいじめが始まった。

子どもの側から見れば、自分のあり方を否定されているような日々だったはずだ。

そしてその苦しさを里父である自分に打ち明けたとき、自分は「その部分では助けられない」と伝えた。

性別のあり方そのものを肯定することは、自分には難しかった。

ただ、いじめは別の問題だと考えていた。誰かを傷つける行為は許されない。それは明確だった。学校に対して問題として訴え、対応を求めた。

子どもはおそらく、混乱したと思う。自分のあり方は認めてもらえないのに、いじめには怒ってくれる。その両方が同じ人から来ていた。

しかし時間をかけて、お互いがある理解に至った。

「助けられることと、そうではないことがある」ということを、二人の間で共有できた気がした。

それが関係の変わり目だった。見放されたのではなく、できることとできないことがあると、子どもが受け取ってくれたのだと思っている。

里子の実家庭の環境が回復したとき、子どもは実の両親のもとへ戻ることを選んだ。本当の親に会いたいと言った。

止める権利はないと、最初から覚悟していた。里親とはそういうものだと分かっていた。

ここでいう覚悟とは、子どもが戻ってくることはないという意味での覚悟だ。

その日が来たとき、覚悟通りに受け入れた。ただ、覚悟していたからといって、何も感じなかったわけではない。

今振り返ったとき、やってよかったと言い切れるかどうか、正直分からない。

子どもがいなくなったときの空虚感は、予想以上のものだった。あの空虚感を知ってしまうと、やるべきではなかったとも思えてくる。

しかし同時に、子どもがいる家庭というものを経験できたことへの幸福感も確かにある。子どもを育てることに、使命のようなものを感じた時期もあった。

空虚感と満足感が、矛盾したまま同じ場所に存在している。それがこの経験の正直な後味だ。

里親を考えている人に伝えたいのは、責任についてだ。

血が繋がっていないからといって、責任がなくなるわけではない。

学校への関与も、日常の判断も、すべて里親として引き受けることになる。

その責任の重さを、事前に理解しておくことが大切だと思う。

里親になる前の自分に一言かけるとしたら、こう言いたい。

「何事も経験で、よい経験であれ悪い経験であれ、子どもを通して得た経験は忘れない経験になる」と。

任務報告

出社したのは、いつもより少し早かった。

眠れなかったわけではない。

でも朝、目が覚めた瞬間から昨夜のことが頭にあって、布団の中にいられなかった。

支度をして、いつもより一本早い電車に乗った。

車内は空いていた。

窓の外の景色を見ながら、昨夜の三つのアカウントを思い出していた。

校正部に着くと、藤原めぐみさんがすでに来ていた。

デスクに鞄を置いたとき、藤原さんが顔を上げた。

三十一歳の藤原さんは、いつも私より早く来ている。

今日は私の顔を見て、少し表情が変わった。

「ことはちゃん、昨日変なこと言ってごめんね」
「え」と私は言った。

「お母さんに似てるって言ったけど、会ったこともないのに失礼だったな、と思って。昨日の帰り道に気になって」
藤原さんは、昨日の言葉を気にしていたらしかった。

自分の言葉が誰かを傷つけたかもしれないと、一晩考えていたのだろう。

それが藤原さんらしかった。

「気にしていないです」と私は言った。

「そう?ならよかった」と藤原さんは言って、またパソコンに向き直った。

気にしていないです、は嘘だった。

一晩中、気にしていた。

でも藤原さんに「気にしています」とは言えなかった。

言えば、なぜ気にしているのかを説明しなければならない。

説明するためには、里親家庭で育ったこと、血のつながった母親の顔を知らないことを話さなければならない。

今日の朝、その準備がなかった。

午前中、原稿を読みながら、「似ている」という言葉について考えた。

似ている、とはどういうことか。

血がつながっていれば、顔が似る。

目の形、鼻の高さ、口元の癖。

そういうものが受け継がれる。

でも私は、血のつながった人の顔を知らない。

里親として育ててくれた長谷川照子さんと私は、血がつながっていない。

照子さんに似ているかどうかを、考えたことがなかった。

似ていない、とも思ったことがなかった。

ただ、似ているという前提が最初からなかった。

里子として長谷川家で育った七年間、「似ている」という言葉を受け取った記憶がなかった。

親戚がいなかったからかもしれない。

照子さんと武志さんの家に、私以外の子どもはいなかった。

「誰かに似ているね」と言われる機会が、そもそもなかった。

藤原さんの言葉が、なぜ一日中頭から離れなかったのか。

昼休みに一人でお弁当を食べながら、考えた。

似ている、という言葉は、どこかからつながっているという意味だった。

誰かから何かを受け継いでいるという意味だった。

その言葉を、私は受け取る準備ができていなかった。

自分の顔がどこから来たのか。

二十四年間、考えないようにしてきた問いが、昨日の一言で動き始めた。

昨夜、検索窓に実母の名前を打ち込んだのは、そのためだったのかもしれない。

似ているという言葉が、空白を照らした。

空白を照らされると、埋めたくなった。

埋める方法が、検索することしか思いつかなかった。

里親として照子さんが育ててくれた七年間は、温かかった。

それは本当だった。

でも温かかったことと、実母のことを考えないでいたこととは、別のことだった。

照子さんへの感謝と、実母への問いは、矛盾しない。

矛盾しないとわかっていても、実母を検索した夜のことを、照子さんに話せる気がしなかった。

午後の業務が始まって、原稿に向き直った。

校正の仕事は、言葉を正確に読む仕事だった。

誤字脱字を見つけて、文脈のずれを見つけて、正しい形に整える。

言葉に敏感でなければできない仕事だと思っていた。

でも今日は、「似ている」という言葉一つを、正確に読めていなかった。

藤原さんが言った意味と、私が受け取った意味は、違った。

藤原さんは軽い褒め言葉として言った。

私は自分の空白を照らす言葉として受け取った。

同じ言葉が、こんなに違う意味を持つことを、校正の仕事をしながら、今日初めて実感した。

退勤時刻になって、鞄を持った。

藤原さんが「お疲れ様」と言った。

私も「お疲れ様です」と言った。

エレベーターを待ちながら、スマートフォンを取り出した。

昨夜見た三つのアカウントが、まだそこにあるかどうか確認したかった。

でも会社の中では開けなかった。

電車に乗ってから、開こうと思った。

任務報告

そらが生まれたのは、桜の花が散ったあとの、雨の多い春だった。

母親は当時二十三歳。父親については、出生届にも名前がなかった。

母は決して悪い人ではなかった、とそらは後にそう思うことになる。

ただ、誰かに頼る術を知らない人だった。自分のことで精一杯で、小さな命を抱えながらも、どうしていいか分からないまま日々をやり過ごしていた。

アパートの一室。カーテンが昼間も閉まっていることが多かった。

冷蔵庫にあるものを食べ、なければ食べなかった。

泣いてもすぐに抱き上げてもらえないことに、そらはいつしか慣れた。

泣くことをやめたのは、二歳になる前だったと、後に担当のケースワーカーが記録に残している。

四歳のとき、近所の住人からの通報をきっかけに、そらは一時保護された。

母親は施設への入所に同意したが、面会には一度も来なかった。

児童養護施設での生活は、悪いものではなかった。

ご飯は毎日あった。清潔な服を着ることができた。

職員の人たちは忙しそうだったけれど、そらのことを嫌いではなさそうだった。

ただ、ここも「自分の場所」だという感覚は、なかなか持てなかった。

部屋には自分のロッカーがあって、なかに小さなぬいぐるみをひとつだけ入れていた。

水色のクマで、名前はつけていなかった。名前をつけると、離れるときに悲しくなる気がしたから。

そらが里親家庭に移ったのは、小学二年生になった年の秋だった。

初日、玄関のドアを開けた瞬間、知らないにおいがした。

掃除の洗剤と、夕飯の匂いと、誰かの生活のにおい。

「いらっしゃい」と言われたとき、なんと返していいか分からなくて、そらはただ頷いた。

夜になると、怖かった。

暗さが怖いのではない。静かすぎることが、怖かった。

施設では誰かが必ずそこにいて、廊下から物音がした。

ここの夜は、しんとしている。その静けさのなかで、自分がどこにいるのか分からなくなる感覚があった。

布団の中で、水色のクマをぎゅっと握った。

泣かなかった。泣き方を、よく知らなかったから。

学校で、給食のおかわりじゃんけんに勝った日のことだった。

いつもなら黙って鞄を置いて、部屋に行くだけだったのに、そらはなぜかその話をしたくなった。

台所に立っているうしろ姿に向かって、「あのさ」と声をかけた。

「今日、じゃんけんで勝って、コロッケもう一個食べた」

振り向いた顔が、なんだかとても嬉しそうだった。

それが不思議だった。たったそれだけの話なのに、あんなに嬉しそうにするなんて、と。

その夜は、すこし早く眠れた気がした。

人の顔色を読む力が、人よりずっと早く育っていた。

大人が疲れているときや、困っているときが、表情を見ただけで分かった。

だから余計なことを言わないようにしていた。心配させないようにしていた。

それは身を守るために覚えたことだったけれど、

その家で過ごすうちに、すこしずつ、その必要がないときもあるのかもしれないと思い始めていた。

そらが家を出た朝、空は曇っていた。

玄関でちゃんとお礼を言おうと思っていたのに、いざとなると言葉が出てこなかった。

かわりに、「またご飯食べに来てもいいですか」とだけ聞いた。

「もちろん」という答えが返ってきた。

車に乗り込んでから、窓の外を一度だけ振り返った。

手を振る姿が見えた。そらも、小さく手を振った。

水色のクマは、リュックの中に入っていた。

旅立ちのとき初めて、そらはそのクマに名前をつけようと思った。

どんな名前にしようか、車の中でずっと考えていた。

そらはまだ、答えを出していない。それでいいと、思っている。

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友人の知人が養子縁組をしたという話を聞いたのは、不妊治療の辞め時を考え始めていた頃だった。

その話をきっかけに養子縁組や里親制度を詳しく調べ始め、制度の輪郭が見えてくるにつれて、自分たちにもできるかもしれないという気持ちが芽生えていった。

前向きになっていく自分とは対照的に、夫はなかなか踏み出せなかった。

血の繋がらない子どもを本当に愛せるのか、確信が持てないのだという。

家庭の平穏が崩れることへの恐れも正直に話してくれた。その気持ちは理解できた。

ただ、二人の気持ちが揃わない限り先に進めないという現実が、しばらく重くのしかかった。

夫婦間の温度差は、里親を検討する多くの家庭が経験するものだ。どちらかが引っ張り、どちらかが慎重になる。

そのバランスをどうとるか、どこで一致点を見つけるか。この時期の夫婦の対話が、その後の土台になる。

転機になったのは、児童相談所が開催した里親サロンへの参加だった。

そこで実際に子育てをしている里親から話を聞いた。

うまくいった話だけではなく、大変だったこと、思い通りにならなかったこと、それでも続けてきたこと、そういった率直な声が、不思議なほど心に届いた。

きれいな話だけを聞いていたら、逆に現実との落差に苦しんだかもしれない。

大変さを含めて聞いたからこそ、「それでもやろう」という覚悟が固まった。夫もその場にいた。

二人で同じ話を聞いたことで、ようやく気持ちが一致した。

子どもが家に来てから最初の頃、私たちは必死だった。気に入ってもらおうと、できる限りのことをしようとした。

しかし子どもの警戒心はなかなか解けなかった。目線がまったく合わない状態が続いた。

家の中の物が隠されることもあった。わざと壊されることもあった。どう対応すべきか分からなかった。

叱るべきなのか、見守るべきなのか、その判断ができないまま、毎日が緊張の連続だった。

子どもが物を隠したり壊したりするのは、不安や試し行動の表れであることが多い。

しかしその渦中にいるときは、そうした知識があっても気持ちが楽になるわけではない。

ただ一日一日をやり過ごすことで精一杯だった。

最もしんどかったのは、夜泣きが数時間続いた時期だ。

抱っこしようとしても、子どもは仰け反って拒絶した。何もできないまま、泣き声だけが続く。

寝不足と精神的な疲労が蓄積していき、夫とのあいだで「もう無理かもしれない」という言葉が何度も出た。

暗いリビングで二人で立ち尽くした夜があった。自分たちの無力さに打ちひしがれて、何も言えなかった。

今思い出しても、胸が締め付けられる。

あの夜を乗り越えられたのは、どちらかが強かったからではない。

二人とも限界に近かったが、それでもそこに一緒にいたことが、何とかつなぎとめてくれた気がする。

委託から半年ほど経ったある日、子どもが転んで膝を擦りむいた。

それまで、この子は痛みさえ我慢していた。弱みを見せることが、どこかで許されないと感じていたのかもしれない。

しかしその日は違った。泣きながら、自分から私の胸に飛び込んできて、「痛い」と言った。

壁が一つ崩れた、という手応えを確かに感じた。

言葉にするとそれだけのことだが、それまでの半年間を思えば、その一言と、真っ直ぐに向かってきたその体の重さは、何にも代えがたいものだった。

子どもがアパートへ引っ越した日、寂しさよりも「無事に送り出せた」という安堵感と誇らしい気持ちのほうが大きかった。

あの夜泣きの夜から、暗いリビングで立ち尽くした夜から、ここまで来た。それだけのことが、二人の間にあった。

血が繋がっていなくても、共に過ごした時間の積み重ねが、本当の絆を作る。その子が巣立っていく姿を見ながら、それを改めて実感した。

今振り返って、やってよかったと思う。きれいごとだけではない日々だった。

葛藤もあったし、限界を感じた夜もあった。自分自身の欠点と、何度も向き合わされた。

それでも、一人の人間の成長を間近で見守り、本当の意味での家族になれた経験は、自分の人生を豊かにしてくれた。

その過程で自分が変わったことも、確かだと思う。

里親を考えている人に伝えたいのは、完璧を目指さないでほしいということだ。

自分の心の余裕を保つことが、結果として子どもを守ることに繋がる。一人で抱え込まず、支援や仲間を頼ってほしい。

里親になる前の自分に一言かけるとしたら、こう言いたい。

「不安で震えているかもしれないけれど、信じて進めばいい。想像もできないような強さと深い愛を、その子が教えてくれるから」と。

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玉ねぎを炒める音だけが、部屋に満ちていた。

私は三十二歳になるまで、誰かのために夕食を作るとき、こんなに手が緊張したことはなかった。

隣の部屋では、ソウが九歳の女の子に話しかけている声がする。よく通る声だ。

初めて会う人間にも、ソウはああして笑えるのだと、十年近く隣にいても、少し羨ましいと思う。

「ハナちゃん、好きな食べ物とかある?」

「……べつに」

「そっかそっか。じゃあ嫌いなものは?」

返事が聞こえなかった。私は黙って火を弱めた。

三人で食卓を囲んだのは、七時を少し過ぎたころだった。

肉じゃがと、味噌汁と、白いご飯。ハナは椅子に浅く座って、最初の一口をゆっくり口に運んだ。

私はそれを、見ていないふりをして見ていた。小さな手が、箸を握っている。

ソウがよくしゃべった。学校のこと、近所のこと、自分が子どものころ好きだったテレビのこと。

三十一歳の男が、九歳の女の子に向かって一生懸命に話している。私は黙って味噌汁を飲んだ。

食事が終わると、ハナは「ごちそうさまでした」と小さく言って、自分の皿を台所に運んだ。

教えてもいないのに。私は「ありがとう」と言いそびれた。

ハナが布団に入ったあと、二人はソファに並んで座った。男どうしで十年、このソファに座ってきた。

今夜はその間に、九歳の子どもの気配がまだ残っていた。

「うまくいくかな」とソウが言った。

私は答えなかった。台所に目をやると、三枚の皿が重なって置いてあった。自分たちの二枚に、もう一枚。

それだけのことが、今夜はやけに重く見えた。

窓の外で、風が鳴った。

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みなとが生まれたのは、大阪の下町に近いアパートだった。

築三十年を超えた建物で、廊下の端に他の部屋の自転車が積み重なっていた。

母親は当時二十代の半ば。若くして産んだことを後悔している様子はなかったが、どこか生活に疲れているような顔をしていた、と後にみなとは思い返す。

正確には、「思い返そうとしても、顔があまり浮かばない」のだけれど。父親のことは知らない。名前も、どんな人かも。

それを「かわいそう」だと感じたのは、ずっと後のことだ。小さな頃は、それが当たり前だったから。

みなとは、物心ついたときから声を出すことが少なかった。

泣いても誰も来ないことが多かったし、笑っても誰かが一緒に笑ってくれるとは限らなかった。

だから声を出すことのコスト計算が、幼いながらに体に刷り込まれていた。声を出す。誰かが反応する。

その二つが結びつかないまま育ったこどもは、言葉を道具として使うことを覚える前に、沈黙を選ぶことを覚える。

みなとがそうだった。保育園の先生は「おとなしい子」と言った。

それは間違ってはいなかったが、正確でもなかった。おとなしいのではなく、ただ、言葉を出すべき場所がどこなのか、まだ見つけられていなかっただけだ。

小学校に入ってしばらく経ったころ、担任の先生が気づいた。

お弁当を持ってこない日が続いていること。冬なのに上着が薄いこと。授業中、昼を過ぎると集中できなくなること。

先生が声をかけると、みなとは「大丈夫です」と言った。その返事があまりにも整いすぎていて、先生はかえって心配になったという。

一時保護は、その年の初夏に行われた。

母親は抵抗しなかった。疲れていたのか、それとも別の事情があったのか、みなとには分からなかった。

「また迎えに来る」という言葉が最後だった。みなとはそれを信じることも、疑うことも、しばらくはできないでいた。

一時保護所から児童養護施設へ。みなとはそこで約一年を過ごした。

施設の生活は、思ったよりも規則正しかった。起きる時間、ご飯の時間、寝る時間。

それまでの生活にはなかったリズムが、最初は不思議で、やがて少し安心するものに変わっていった。

自分のロッカーがあった。鍵がついていた。それだけのことが、なぜかとても大事に感じた。

友達と呼べる子が一人できた。同じ年の女の子で、よく折り紙を一緒に折った。

会話は少なかったけれど、並んで折り紙をしている時間は嫌いじゃなかった。

その子がある日、別の家に移っていった。みなとは泣かなかった。泣くのが正しいのかどうか、分からなかった。

里親家庭への委託が決まったのは、小学二年生になった秋のことだった。

担当の人から「新しいおうちに行く」と説明を受けたとき、みなとは「どのくらい居るんですか」と聞いた。

大人は少し間を置いてから、「しばらくの予定です」と答えた。

その「しばらく」が何日なのか何年なのか、みなとには分からなかった。

でも聞き返さなかった。聞き返しても、きっと正確な答えは返ってこないと知っていたから。

新しい家の玄関に立ったとき、石鹸と夕飯の匂いがした。

知らない匂いだった。でも不快ではなかった。「いらっしゃい」と言われて、みなとは小さく頭を下げた。

なんと返すのが正しいのか分からなかったから、頭を下げることにした。

食事のとき、みなとはいつも少ししかよそわなかった。お腹が空いていないわけではなかった。

ただ、たくさん取ることで何かが変わってしまうような気がして、いつも控えめにしていた。

「もっと食べていいよ」と言われるたびに、どう反応すればいいか分からなかった。

「ありがとうございます」と言って、それでも少ししか取らなかった。里親の人たちは何も言わなくなった。

怒っているのかと思ったが、違った。ただ待っていてくれていた、と後になって気づく。

夜になると、眠れなかった。暗い天井を見ていると、いろいろなことを考えた。

母親のこと。施設のロッカーに置いてきたもの。折り紙をよく一緒に作っていた子が、今どこにいるのか。

「大丈夫?」と声をかけられると、みなとは「大丈夫です」と答えた。それ以外の答え方を知らなかったから。

ある夜、隣に座ってただ黙っていてくれる人がいた。何も聞かなかった。何も言わなかった。

ただ、そこにいた。

みなとはその夜も「大丈夫です」と言ったけれど、その言葉の意味が、少しだけ変わっていた気がした。

休み時間に、クラスの子たちと外で遊んだ。ドッジボールで、みなとは最後の一人まで残った。

それが嬉しかった。それだけのことだったけれど、帰り道ずっとそのことを考えていた。

夕食の準備をしている背中に向かって、みなとは声をかけた。「あのさ」と言ってから、少し間があった。

「今日、ドッジボールで最後まで残った」

振り向いた顔が、ぱっと明るくなった。「すごいじゃない!」という言葉が返ってきた。

それだけのことだった。でも、みなとはその夜、いつもより早く眠れた。

見た目よりずっと多くのことを、みなとは考えていた。誰かが疲れているとき、怒っているとき、悲しんでいるとき。

それが表情のわずかな変化から分かった。だから先回りして「大丈夫です」と言い、余計なことを話さないようにしてきた。

でも里親の家で過ごすうちに、少しずつ気づいていった。ここでは、自分が話したことで誰かが疲れるわけじゃないかもしれない。

「大丈夫じゃない」と言っても、消えてしまうわけじゃないかもしれない。

それはゆっくりと、気づくか気づかないかの速さで、みなとの中に積もっていった。

みなとが次の場所へ移る日、空は晴れていた。荷物をまとめるとき、折り紙で折った小さなツルが棚に残っているのに気づいた。

施設にいたころから折り方だけ覚えていて、この家でも何度か折った。置いていこうか迷ったけれど、やっぱり持っていくことにした。

玄関で、言おうと思っていた言葉がうまく出てこなかった。「お世話になりました」は言えた。

もう一つ言いたかった言葉は、のどの奥で止まった。車が走り出してから、みなとは窓の外を見た。

家が小さくなっていく。「また来てもいいですか」と聞けばよかった、と気づいたのは、もう曲がり角を過ぎたあとだった。

でも、聞けなかったことが悔しかったということは、つまりそういうことだと、みなとは思った。

雨の日には、あの家の石鹸の匂いを思い出す気がする。まだそこにいるのかどうか、みなとには分からない。

でも、あの匂いはきっと覚えていられると思っている。

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七月になった。

期末試験が終わって、学校が少し静かになった。
私の担当するクラスも、試験明けの緩んだ空気があった。
生徒たちがよく笑っていた。
私はそれを見ながら、遥はどうだろうと思った。
遥の試験が終わったかどうか、聞いていなかった。

帰り道、スーパーに寄った。

遥の好きなものを買おうとした。
何が好きだったか、考えた。
からあげ。
きゅうりの浅漬け。
プリン。
三つは出てきた。
四つ目が出てこなかった。
四年間、一緒に暮らしていて、四つ目が出てこなかった。
スーパーの蛍光灯の下で、かごを持ったまま、しばらく立っていた。

からあげの材料を買った。

夕飯を食べ終えてから、遥が部屋に戻ろうとした。

「遥」と私は言った。

遥が振り返った。
「なに」と言った。

「ちょっといいか」
遥が少し間を置いた。
「うん」と言った。

遥の部屋に入るのは、久しぶりだった。
本棚に本が並んでいた。
背表紙が、きれいに揃っていた。
几帳面に並べていた。
机の上に、教科書とノートがあった。
ベッドが、きちんと整えられていた。
十一歳の部屋だったが、私の部屋より整っていた。

遥がベッドに座った。
私は机の前の椅子に座った。
向かい合った。

「奈緒さんのこと、どう思う」と私は言った。

言ってしまってから、唐突だったと思った。
前置きがなかった。
でも前置きを探していたら、また言えなくなる気がした。
だから言った。

遥が黙った。

膝の上に手を置いて、下を見た。
私は遥を見た。
遥の手が、少し動いた。
指が、パジャマの生地をつまんだ。
離した。
またつまんだ。

沈黙が続いた。

私は待った。
急かさなかった。
体育の授業で、生徒が答えを探しているとき、待つことを覚えた。
待つことが、答えを引き出すことがある。
今夜も、待った。

「お父さんが好きならいいんじゃない」と遥が言った。

下を向いたまま言った。
私の顔を見なかった。

その言葉を、私はしばらく考えた。

お父さんが好きならいい。

好きでいてもいい、ではなかった。
拓海が好きなら、私は何も言わない。
拓海が決めることだから、私には関係ない。
そういう言葉だった。
十一歳が、場所を譲った言葉だった。

遥がいつ、その言葉を用意したのか。

夜泣きをしながら、用意したのかもしれなかった。
声を殺して泣きながら、父親に何か聞かれたときのために、用意した言葉かもしれなかった。
その想像が、胸に刺さった。
刺さったまま、抜けなかった。

「遥」と私は言った。

遥が顔を上げた。

「お前が、どう思うかを聞いてる」
遥がまた下を向いた。
指がパジャマをつまんだ。
「わからない」と言った。
今度は小さい声だった。

「そうか」と私は言った。

椅子から立とうとして、止まった。

立ったら、終わりになる気がした。
この部屋を出たら、また何も言えないまま戻る気がした。
だから座ったまま、もう少しいた。

「俺も、わからない」と私は言った。

遥が顔を上げた。
今度は私を見た。

「どうすれば正しいのか、わからない。
遥のこと、奈緒さんのこと、どっちも大事で、どっちが先かを決められない。
ずっとそのまま、動けなかった」
遥が黙っていた。

「だから今夜、聞いた。
お前に聞かないで、決めるのは、違う気がした」
部屋が静かだった。

本棚の本が、並んでいた。
外で、虫が鳴いていた。
七月の夜だった。
遥が膝の上の手を見た。
指が、パジャマをつまんでいた。

「お父さんは、奈緒さんのこと、好きなの」と遥が言った。

「好きだ」と私は言った。
「お前のことも、好きだ」
遥が「そっか」と言った。

それだけだった。
答えは出なかった。
でも今夜、遥と話した。
話せた。
それだけが、今夜の確かなことだった。

部屋を出る前に、私は遥に言った。

「夜泣いてるの、聞こえてた」
遥が固まった。

「ノックできなかった。
すまなかった」
遥はしばらく黙った。
それから「べつに」と言った。
でも声が、少し震えた。

私は部屋を出た。

廊下に出て、ドアを閉めた。
遥の部屋の前に、少しだけ立った。
中から音はしなかった。
泣いていなかった。
少なくとも今は、泣いていなかった。

それだけで、今夜は十分だった。