任務報告

三月の朝は、光が薄かった。

ショウの部屋から荷物が出ていくのを、私は一週間かけて少しずつ見ていた。

段ボールが一箱、二箱と廊下に並んで、部屋の中が白くなっていった。

八年間この家で暮らした男の子が、四月から県外の大学に進む。

十八歳になったショウは、私の肩を少し超えた。

いつの間にか、という言葉の意味を、今週は何度も思った。

出発の朝、私は六時に起きた。

台所に立って、卵焼きを焼いた。

ショウが小学校の低学年のころから好きだった味付けで、少し甘めにした。

味噌汁は豆腐と油揚げ。

白いご飯を三人分よそって、テーブルに並べた。

五十四歳の男が、十八年間誰かのために作ることのなかった朝食を、この子のために八年間作り続けた。

今朝が最後だと思うと、卵を溶く手が少しだけ遅くなった。

ノブが起きてきたのは六時半だった。

五十二歳の男は台所を覗いて「卵焼きか」と言った。

私は「ショウの好きなやつ」と言った。

ノブは「そうだな」と言って、冷蔵庫から牛乳を出した。

それだけだった。

それだけで、今朝の台所は十分だった。

ショウが起きてきたのは七時前だった。

寝癖がついたまま椅子に座って、味噌汁を両手で持った。

湯気が顔にかかって、ショウが少し目を細めた。

ノブがすぐに話しかけた。

大学の近くにいい定食屋があるらしいとか、引っ越し先の最寄り駅に銭湯があるとか、会いに行くときは連絡しろとか。

五十二歳の男は今朝もよくしゃべった。

ショウはよく笑った。

私は黙って卵焼きを食べた。

朝食が終わって、三人で片付けた。

ショウが自分の皿を洗った。

家に来た最初の夜、誰に言われるでもなく皿を台所に運んできた八歳を思い出した。

あの子がこんなに大きくなった。

その事実が、今朝は胸の奥に静かに落ちた。

玄関でショウがリュックを背負った。

段ボールは昨日、業者が運んでいった。

今朝のショウの荷物は、高校入学のときより少なかった。

それだけ向こうに根が張ったということだと、私は思った。

ノブが「元気でな」と言って、ショウの肩を一度叩いた。

ショウが「うん」と言った。

私はショウの前に立った。

何を言うべきか、昨夜からずっと考えていた。

気をつけろとか、困ったら連絡しろとか、体に気をつけろとか。

全部、正しかった。

全部、足りなかった。

「元気でな」と私は言った。

ノブと同じ言葉になった。

でもそれでよかった。

ショウは「うん」と言った。

それから少し間をおいて、私を見たまま言った。

「タカシさんも」
続けて「ノブさんも」と言った。

扉が開いて、冷たい三月の空気が入ってきた。

ショウが外に出た。

階段を降りる足音が聞こえた。

軽かった。

迷いのない足音だった。

扉が閉まって、足音が遠ざかって、やがて聞こえなくなった。

ノブが「行ったな」と言った。

私は答えなかった。

台所に戻って、三枚の皿を洗った。

お湯が手に当たって、白い湯気が上がった。

最後の一枚を拭きながら、今夜の日記に何を書くか考えた。

運動会のこと、熱の夜のこと、名前を呼ばれた朝のこと。

八年分のことが、今朝の台所に静かに重なっていた。

でも今夜書くことは、たぶん一行だけだ。

窓の外で、三月の風が鳴った。

この子は自分の足で出ていった。

それだけで、八年間は十分だった。

任務報告

九月になると、また運動会のプリントが届いた。

去年と同じ書式で、同じゴシック体で「保護者席:お二人まで」と書いてあった。

私はそれをテーブルに置いた。

去年はこの一行を二度読んだ。

今年は一度だけ読んで、ペンを取った。

ショウが自分から言ったのは、その翌朝の朝食の席だった。

トーストを食べながら、ショウが私の方を見た。

ノブではなく、私を。

「タカシさん、来てほしい」
それだけだった。

九歳の男の子が、こちらを見たまま、ひと言だけ言った。

私は「わかった」と言って、プリントに名前を書いた。

タカシ。

ノブ。

去年と同じ二つの名前。

でも今年は、ペンを持つ手が震えなかった。

当日の朝は曇りだった。

運動場の砂が、去年より湿って暗く見えた。

保護者席に向かいながら、ノブが「去年と同じ場所に座るか」と言った。

私は「どこでもいい」と言った。

本当にどこでもよかった。

去年は席を探しながら周囲の視線を数えていた。

今年はそれをしていない自分に、歩きながら気づいた。

五十四歳と五十二歳の男が並んで保護者席に座った。

同性愛者である私たちを、じろじろ見る人もいた。

見ないふりをする人もいた。

去年と変わらない景色だった。

でも去年と違ったのは、私がそれをほとんど気にしていなかったことだ。

プログラムを膝に置いて、校庭を見ていた。

徒競走が始まった。

スタートラインにショウが並んだ。

白い帽子、去年と同じ。

でも背が少し伸びていた。

ピストルが鳴る前、ショウが保護者席を見た。

私たちを探していた。

目が合うと、ショウは小さくうなずいた。

私もうなずいた。

ピストルが鳴った。

ショウはまた速かった。

最初の数歩で前に出て、そのまま誰にも抜かせなかった。

ゴールテープを切った瞬間、ショウが振り返った。

去年は一瞬だけ保護者席を見てすぐに視線を外した。

今年は違った。

真っ直ぐこちらを見て、小さく手を振った。

私は手を振り返した。

五十四歳の男が、大勢の保護者の前で、九歳の男の子に向かって手を振った。

LGBTの里親として、この場所に座っていることへの迷いは、あの瞬間どこかへ消えていた。

ノブが隣で「よし」と短く言った。

それだけだった。

それで十分だった。

帰り道、三人で並んで歩いた。

去年は言葉が見つからなくて黙って歩いた。

今年は何を話せばいいか、少しだけわかった。

「速かったな」と私は言った。

ショウは「うん」と言った。

それから少し間をおいて「来年も来て」と言った。

私は「来るよ」と言った。

ノブが「俺も来るぞ、当然」と割り込んだ。

ショウが笑った。

口を開けて、声を出して笑った。

九歳の顔が、秋の曇り空の下で明るかった。

私はその笑顔を、正面から見た。

去年の運動会から一年かけて、ようやく正面から見られた気がした。

家に帰ってから、日記を開いた。

去年の同じ日のページを探した。

「来てよかったのかどうか、まだわからなかった」と書いてあった。

五十四歳の自分の字が、今夜は少し遠く見えた。

今年は短く書いた。

手を振り返した。

それだけで、今年は十分だ。

任務報告

冬になった。

ショウが「タカシさん」と呼んだのは、十二月の平日の朝だった。

特別な日ではなかった。

私が台所で味噌汁を温めていると、背中から声がした。

「タカシさん、これどこに置けばいい?」
振り返ると、ショウが昨夜の洗い物を両手で持って立っていた。

コップが二つ。

自分から片付けようとしたらしかった。

私は「そこの棚」と言いながら、声が少し低くなったのを自分で気づいた。

気づかれなかったと思う。

ショウは「うん」と言ってコップを棚にしまい、ランドセルを取りに自分の部屋へ戻っていった。

それだけだった。

味噌汁をよそいながら、私はしばらく動けなかった。

五十四年間、自分の名前を呼ばれることに、これほど重さを感じたことはなかった。

この子に名前を呼ばれることを、知らないうちに待っていた。

そのことに、呼ばれてから初めて気づいた。

その月の終わり、ショウが熱を出した。

夕方から顔が赤く、夕食をほとんど食べなかった。

体温計を持ってくると、三十八度七分。

ノブはその夜、学校の会議で遅かった。

私一人で、ショウの看病をした。

濡れたタオルを額に当てると、ショウの眉がわずかに緩んだ。

布団の中で小さくなっている八歳を見ながら、私はこの子が家に来てから初めて、自分がこの子の「誰か」になりつつあると思った。

建築の図面を引くような確かさではない。

もっと頼りない、でも確かな感覚だった。

夜中に二度、体温を測った。

三十九度を超えたとき、私は冷却シートを取り替えながら、ショウの寝顔を見た。

苦しそうに眉を寄せて、それでも静かに呼吸していた。

この子はいつも、苦しいときに声を出さない。

運動会の朝も、熱の夜も。

朝方、体温が三十七度台に下がった。

ショウが薄く目を開けた。

天井を見て、それから私を見た。

「タカシさん、ありがとう」
かすれた声だった。

私は「うん」と言って、額のシートを取り替えた。

それ以上何も言わなかった。

言えなかった。

ありがとうと言われることへの返し方を、この子の前では、まだ練習中だ。

ノブが帰ってきたのは、それから一時間後だった。

五十二歳の男は玄関で靴を脱ぎながら「どうだった」と聞いた。

私は「熱、下がった」とだけ言った。

その夜、ショウが寝てから日記を開いた。

今夜書きたいことは一つだけだった。

名前を呼ばれることの意味を、五十四歳になって、八歳の子どもに教わっている。

それだけだ。

それだけのことが、今夜の台所を、少し温かくした。

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保護者席は、校庭の端に白いパイプ椅子が並んでいた。

ノブと二人、真ん中あたりに座った。

左隣は母親が一人でビデオカメラを構えていた。

右隣は祖父母らしき老夫婦が、お茶を回し飲みしていた。

誰も私たちを見なかった。

見ないことで、見ていた。

五十四歳の男は、その種類の視線の避け方を、長い年月をかけて覚えてきた。

競技が始まった。

アナウンスが響くたびに、保護者席がざわついた。

子どもの名前を呼ぶ声、手を叩く音、スマートフォンを構える腕。

秋の空気は乾いていて、運動場の砂埃が風に乗った。

私はプログラムを膝の上に置いて、校庭を見ていた。

徒競走は午前の最後だった。

三年生の列にショウがいた。

白い帽子をかぶって、スタートラインに並んでいた。

遠くて表情は読めなかった。

ピストルが鳴った。

ショウは速かった。

最初の十メートルで前に出て、そのまま誰にも追いつかせなかった。

ゴールテープを切った瞬間、ノブが「おお」と短く言った。

私は何も言わなかった。

言葉が出てくる前に、ショウが保護者席を見た。

目が合った。

一秒か、二秒か。

ショウはすぐに視線を外して、列に戻っていった。

それだけだった。

その一瞬に何があったのか、午後の競技の間もずっと考えていた。

確認だったのか。

来ているかどうか、確かめたかっただけなのか。

それとも、もっと別の何かだったのか。

答えを持たないまま、閉会式を聞いた。

帰り道、三人で並んで歩いた。

ノブが「速かったな、一番だったぞ」と言った。

ショウは「うん」と言った。

私は黙って歩いた。

言葉が見つからなかった。

運動会の帰り道に、五十四歳の男が八歳の子どもにかける言葉を、私は持っていなかった。

家に帰って、ショウが部屋に戻った。

私は台所でお茶を入れた。

湯呑みを両手で持って、廊下に出たとき、ショウの部屋の前を通った。

ドアが少し開いていた。

隙間から声が聞こえた。

「一番だった」
誰かに話しかけているわけではなかった。

ただ、自分に言い聞かせるように。

あるいは、誰かに報告するように。

小さく、確かめるように。

私はその場に立ったまま、お茶が冷めていくのを感じていた。

言いたかったのだ、あの子は。

誰かに。

一番だったと。

その誰かに、私はまだなれていない。

なれているのかどうか、今夜はまだわからない。

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九月の終わり、ショウが学校から持ち帰ったプリントの束の中に、運動会の案内が混じっていた。

私はそれをダイニングテーブルで広げた。

「保護者席:お二人まで」という文字が、太いゴシック体で印刷されていた。

五十四歳の男が、その一行を二度読んだ。

夕食の片付けをしていたノブに見せると、五十二歳の男は「行くでしょ、当然」と言って、また皿を拭き始めた。

私たちが同性愛者であることを、ノブはいつもこうやって、問題の外に置く。

それが頼もしいときと、少し羨ましいときがある。

今夜は両方だった。

ショウに「運動会、行くよ」と伝えたのはノブだった。

八歳の男の子は、テレビを見たまま「来なくていいよ」と言った。

声に棘はなかった。

ただ、平らだった。

私はその平らさの底に何があるのか、夜の間ずっと考えた。

遠慮なのか。

恥ずかしいのか。

それとも、LGBTの里親二人が保護者席に並ぶことで、何か傷つくことが起きると、八歳がすでに計算しているのか。

答えは出なかった。

出ないまま、プリントに名前を書いた。

タカシ。

ノブ。

ペンを走らせながら、来てよかったのかどうか、まだわからないと思っていた。

当日の朝、ショウは七時前に家を出た。

私たちより一時間早かった。

玄関で靴を履きながら、こちらを一度も見なかった。

扉が閉まって、足音が階段を降りていく音を、私はダイニングで聞いていた。

会場に着くと、校庭はもう家族連れで埋まっていた。

秋の日差しが白く、運動場の砂が光っていた。

どこかで焼きそばを作る匂いがした。

母親と父親のペアが、シートを広げてお茶を注いでいた。

入口で受付の係員に声をかけられた。

「お子さんのお名前は?」

「篠原ショウです」

係員はリストを指で辿った。

私は息を止めていた。

「篠原ショウくんですね、どうぞ」

それだけだった。

係員は次の家族に向き直った。

私は五十四年生きてきて、他人にそう言ってもらうことを、こんなに待っていたのかと思った。

同性愛者である私たちが、誰かの保護者として受け付けに名前を呼ばれる。

それだけのことに、足が少し震えた。

ノブが隣で「いい天気だな」と言った。

空を見上げていた。

私たちは並んで保護者席に向かった。

五十四歳と五十二歳の男が、秋の校庭を歩いた。

周囲からいくつかの視線を感じた。

感じながら、歩いた。

来てよかったのかどうか、まだわからなかった。

でも今日、ここに席がある。

それだけは確かだった。

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朝、カイが登校前にランドセルを背負いながら言いかけた。

「あの……」

止まった。私はコートのボタンを留めながら、続きを待った。カイは一度口を閉じて、それからもう一度開いた。

「サチさん、今日お弁当いる?」

遠足は来週だった。だからお弁当はいらない。

「いらないよ」と答えると、カイは「そっか」と言って玄関を出た。

扉が閉まって、足音が階段を降りていった。私はしばらくそこに立っていた。

「あの」から「サチさん」に、言い直した。その数秒を、ずっと見ていた。

夜、ユキが寝たあとで日記を開いた。今日こそ、ちゃんと書こうと思った。

カイがこの家に来てから、私は「あの」という言葉を何十回聞いただろう。

最初は空白だと思っていた。名前がない場所、呼び方が決まらない空白。

だからその言葉が聞こえるたびに、どこかで息を詰めていた。

でも今日、カイが「あの」と言いかけて止まった瞬間を見て、初めてわかった気がした。

あの言葉は、空白じゃなかった。

カイはずっと、誰かを呼ぼうとしていた。

名前がわからないまま、呼び方が見つからないまま、それでも「あの」と言って、こちらに手を伸ばしていた。

牛乳パックを持って振り返ったときも、膝から血を流しながら処置が終わったあとも、ずっと。

私はその手に、気づくのが遅かった。

元教員として、三百人以上の子どもと関わってきた。

子どもの言葉を読むのは得意だと思っていた。でもこの七歳の男の子の「あの」に、三ヶ月かかった。

ペンを持ったまま、窓の外を見た。夜の住宅街が静かだった。カイの部屋の電気は、もう消えていた。

最後に一行だけ書いた。

この子が「あの」と言うたびに、私はちゃんと呼ばれていたんだと思う。

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夕食が終わって、ユキが先に風呂に入った。

カイとリビングに二人で残った。特に話すこともなく、テレビがついていた。

刑事ドラマの再放送で、私は半分も見ていなかった。カイはソファの端に座って、膝を抱えていた。

委託から三ヶ月が経って、リュックはもうクローゼットにしまわれていた。

それだけのことが、今夜は少し嬉しかった。

CMになった。画面が明るくなって、音が変わった。

そのときカイが言った。

「サチさん、このドラマ好きなの?」

私は一瞬、聞き間違いだと思った。カイを見た。カイは画面を見たまま、何事もなかった顔をしていた。

七歳の横顔が、ブラウン管の光を受けて白く見えた。

「まあね」と私は言った。

声が少し低くなった。気づかれなかったと思う。カイは「ふうん」と言って、また画面に戻った。

ドラマが再開して、刑事が誰かを追いかけ始めた。

私はその画面を見ながら、さっきの三文字を、頭の中で何度か繰り返した。

サチさん。

サチさん。

風呂からユキの鼻歌が聞こえた。カイが小さくあくびをした。

時計が九時を回った。何も起きていない夜だった。

カイを寝かしつけてから、寝室で日記を開いた。ペンを持って、今日のことを書こうとした。

朝のこと、夕食のこと、ドラマのこと。でも全部、どうでもよかった。

一行だけ書いた。

今日、カイが私の名前を呼んだ。

それ以上書こうとすると、何か大切なものが崩れそうな気がした。

ペンを置いて、電気を消した。暗い天井を見ながら、もう一度だけ思った。

サチさん、と。

任務報告

朝食の途中だった。

カイがコップに手を伸ばしかけて、止まった。それからユキの方を見て、言った。

「ユキさん、これ取ってもらえる?」

ユキが「え、呼んだ?」と振り返った。一秒くらい、テーブルが静止した。

それからユキは「はいはい」と醤油を手渡して、また自分の味噌汁に戻った。それだけだった。

私は台所に立っていた。卵焼きを皿に移すところだった。手は動いていた。

夕方、ユキが洗濯物を畳みながら「カイ、今朝名前で呼んでくれたね」と言った。嬉しそうだった。

嬉しそうに言えるユキが、今日は少し遠かった。「そうだね」と私は言った。それ以上、何も言わなかった。

夜、日記を開いた。

今日、カイがユキさんと呼んだ。私はまだ、あの、だ。

それしか書けなかった。嫉妬じゃない、と思う。

でもそれが嫉妬じゃないなら、この胸のざらつきは何なのか。ユキが呼ばれたことは嬉しい。

本当に嬉しい。

ただ、嬉しいという気持ちの隣に、もう一つ別の気持ちが座っていて、それに名前をつけるのが怖い。

七年間、ユキと二人で暮らしてきた。里親になることを最初に言い出したのはユキだった。

私は半年悩んで、ユキの隣でようやく頷いた。あのときから、私はずっと半歩遅れている気がする。

ペンを置いて、天井を見た。

隣の部屋で、カイが寝返りを打つ音がした。

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今日も「あの」だった。

朝、カイが起きてきて、テーブルに座った。

トーストを焼いていた私の背中に向かって「あの……」と言った。

振り返ると、カイは牛乳パックを両手で持って、私を見ていた。

「開けてほしいの?」と聞くと、小さくうなずいた。それだけだった。

名前は、出てこなかった。

ユキは今朝も早番で、六時前に家を出た。

四十一歳の女が毎朝あの速さで支度を終えることを、七年間見てきてもまだ少し驚く。

玄関が閉まる音がするたびに、この家が少し静かになる。

今朝はその静けさの中に、カイがいた。

委託から三週間が経った。

今日、カイが転んだ。近所の公園で、砂利に足を取られて膝を擦りむいた。

じわりと血が滲んで、カイは泣かなかった。泣かないように、唇をきつく結んでいた。

七歳の子どもが、泣くのをこらえる顔を、私は正面から見た。

家に戻って、救急箱を出した。

消毒液を染み込ませたコットンを当てると、カイの肩がびくりと跳ねた。それでも声を出さなかった。

絆創膏を貼り終えたとき、カイが言った。

「あの……お願いします」

もう終わったあとだった。だから「お願いします」は、たぶん処置のことじゃなかった。
何に対して言ったのか、私にはわからなかった。わからないまま「うん」と言った。

夜、日記を開いた。

今日の「あの」は、今までと少し違う重さがあった。うまく説明できない。

ただ、あの声が耳に残っている。助けを求めることに、どこかで慣れていない子どもの声が。

消毒液の匂いが、まだ指先に残っていた。

任務報告

今日、カイが来た。

七歳の男の子は、玄関に立ったまま動かなかった。

紺色のリュックを両手で抱えて、床を見ていた。

ユキが「待ってたよ、入って入って」と言いながら膝をついて目線を合わせた。

四十一歳の女が、迷わずそうできることを、私は少し羨ましいと思った。

私は突っ立ったまま、何も言えなかった。

夕食はユキが作ったカレーだった。甘口にしてあった。

カイはスプーンを小さく動かしながら、ほとんど顔を上げなかった。ユキがしゃべり続けた。

好きな食べ物のこと、近くに公園があること、明日は一緒に散歩しようか、ということ。

カイは短くうなずいた。私は味噌汁を飲んだ。口の中がやけに乾いていた。

食後、ユキが洗い物をしている間、カイとリビングに二人になった。

カイはソファの端に座って、膝の上にリュックを乗せたままだった。

まだ、置く場所が決まっていないのだと思った。私も、何をすればいいか決まっていなかった。
しばらくして、カイが顔を上げた。
「あの……」
私を見ていた。続きを待った。でも続きは来なかった。カイは一度口を閉じて、また床を見た。

「うん」と私は言った。それしか出てこなかった。

寝室に戻ってから、日記を開いた。ペンを持ったまま、しばらく何も書けなかった。

三百人以上の子どもと向き合ってきた四十三年間が、今夜だけ、何の役にも立たなかった。

窓の外で風が鳴った。カイの部屋の電気は、まだついていた。

やっと一行だけ書いた。

今日、この子は私を「あの」と呼んだ。私にはまだ、名前がない。

任務報告

数日後の夕方、私は台所に立っていた。

玉ねぎを炒めていると、玄関が開く音がした。

ランドセルが壁に当たる音、靴を脱ぐ音。

それからハナの声が聞こえた。

「ただいま」

いつもより少し、大きかった。

私はフライパンを持ったまま「おかえり」と返した。

リビングに入ってきたハナは、ランドセルをソファに下ろして、そのまま私の背中に向かって言った。

「今日ね、ミサちゃんにうちのこと話した」

私は火を少し弱めた。

「そっか」と言った。

「お父さんとお母さんはいないけど、帰ったら『おかえり』って言ってくれる人が二人いるって。

男の人どうしだけどって」

「ミサちゃん、なんて言ってた」

「へえ、いいじゃんって」

それだけだった。

ハナは手を洗いに洗面所へ行って、戻ってきてソファに座った。

私は鍋に出汁を注ぎながら、その「いいじゃん」という言葉を、しばらく頭の中で転がした。

九歳の子どもの友達が、何気なく言った三文字。

それがなぜか、今夜の台所をすこし温かくした。

七時過ぎに玄関が開いて、ソウが帰ってきた。

鞄を廊下に放り投げる音がして、私は「また」と思った。

いつも通りだった。

「ただいまー。あ、いい匂い」

「おかえり」と私が言った。

「おかえり」とハナが言った。

ソウが一瞬、動きを止めた。

それからいつもより少し柔らかい顔で「ただいま」ともう一度言って、リビングに入ってきた。

三人で食卓を囲んだ。

ハナはじゃがいもまで、きれいに食べた。

食事が終わって皿を洗いながら、私は特別なことは何も起きていないと思った。

何かが解決したわけでも、何かが変わったわけでもない。

ただ、この子が「ただいま」と言える場所に、自分たちはなれているかもしれない。

それだけで、今夜の出汁は、少しだけ丁寧にとった。

任務報告

夕食が終わって、ソウがリビングでハナに話しかけていた。

私は一人で皿を洗っていた。

水の音を聞きながら、私は今夜こそ何か言うべきかと考えていた。

でも何をどう切り出せばいいか、昨日も今日も、言葉は出てこないままだった。

フライパンをすすいで、スポンジを絞って、皿を拭く。

その繰り返しの中に、気配がした。

ハナが台所に入ってきて、私の隣に立った。

何も言わなかった。

私も何も言わなかった。

水の音だけが続いた。

三十秒か、一分か、それくらい経ったころ、ハナがぽつりと言った。

「ねえ。
うちってふつうの家族じゃないの?」

私は手を止めなかった。

グラスの内側をスポンジで丁寧に回しながら、少し間をおいた。

「どうしてそう思った?」

ハナが話した。

学校からの帰り道、ミサちゃんに聞かれたこと。

ふつうだよと答えたこと。

でもそれが本当かどうか、ずっとわからなかったこと。

私は水を流したまま、全部聞いた。

話し終わったとき、私は水を止めた。

タオルで手を拭いて、ハナの隣にしゃがんだ。

九歳の目と、三十二歳の目が、同じ高さになった。

「ふつうじゃないかもしれない」と私は言った。

「俺とソウさんは、男どうしで一緒に暮らしてる。

それは、世間でいうふつうとは違う」

ハナは黙って聞いていた。

「でも」と私は続けた。

「ふつうって、誰が決めるんだろうな」

答えにならないとわかっていた。

もっとうまい言葉があるのかもしれない。

でもこれが、今夜自分の言える正直だった。

ハナはしばらく黙っていた。

それから小さくうなずいた。

何かが解決したわけじゃない。

でもその小さなうなずきが、私の胸の奥に、静かに落ちた。

リビングからソウの「どうしたの二人とも」という声がした。

私は立ち上がって「なんでもない」と言った。

ハナも、少しだけ口の端を動かした。

任務報告

翌朝、私が卵を割ったとき、ソウが台所に入ってきた。

「昨日、ハナちゃんと少し話した」

声が低かった。

私はフライパンから目を離さずに「そうか」と言った。

「学校で聞かれたみたい。

お父さんとお母さんはどんな人って」

卵が油の上に広がった。

白身の端がゆっくりと固まっていく。

私は火を弱めた。

「それで?」

「ふつうだよって答えたって。

でも帰ってきてからずっと、そのことが頭に残ってたみたい」

ソウは冷蔵庫を開けて、牛乳を出した。

三十一歳の男が、朝からそわそわしている。

普段と同じ動作なのに、今朝は少し落ち着きがなかった。

「ちゃんと話してあげたほうがいいよね。

俺たちのこと、説明するというか……」

「説明って、何を」

私は皿に卵を移しながら言った。

責めているわけじゃなかった。

ただ、本当にわからなかった。

自分たちが男どうしで暮らしていること、それが世間の言う「ふつう」とは違うこと、でもだからといってハナに何を伝えればいいのか。

謝るわけでもない。

誇るわけでもない。

「……うまく言えないけど」とソウが言った。

「ハナちゃんが困ってるなら、何か言ってあげたい」

「そうだな」と私は言った。

それだけだった。

二人で朝食を食べた。

ハナはその間、自分の部屋から出てこなかった。

八時になってドアが開いて、ランドセルを背負った小さな背中が「いってきます」と言った。

私は「いってらっしゃい」と返した。

玄関が閉まる音がして、家の中が静かになった。

シンクに重ねた三人分の皿から、湯気がゆっくりと上がっていた。

任務報告

その日のハナは、玄関を開けた瞬間からちがった。

私は台所に立っていたから、顔は見えなかった。

ただ、ランドセルを下ろす音がいつもより重く、廊下を歩く足音が短かった。

ソウはまだ帰っていない。

家の中に、私とハナの二人だけの静けさがあった。

「おかえり」と私は言った。

「……うん」とハナは言った。

それだけだった。

リビングに来たハナは、ソファに座ってランドセルを膝の上に抱えたまま、テレビもつけずにいた。

私はちらりと横目で見て、それから野菜を切る作業に戻った。

包丁がまな板を叩く音が、妙に大きく響いた。

「手、洗ってきな」と私は言った。

ハナは黙って立ち上がった。

夕食の間、ソウが場を持たせようとした。

今日あった仕事の話、駅前に新しくできたパン屋の話。

ハナは短く相槌を打つだけで、箸があまり進まなかった。

肉と玉ねぎだけ食べて、じゃがいもを残した。

いつもは残さないのに、と私は思ったが、何も言わなかった。

食事が終わると、ハナは「ごちそうさまでした」と言って自分の部屋に戻った。

足音が廊下を遠ざかっていって、ドアが静かに閉まった。

ソウが小声で「どうしたんだろう」と私を見た。

私は首を振った。

皿を洗いながら、私はハナの残したじゃがいもを思い出していた。

ラップをかけて冷蔵庫にしまうとき、何か声をかけるべきだったか、と一度だけ考えた。

でも言葉が出てこなかった。

出てこないまま、冷蔵庫のドアを閉めた。

水道を止めると、家の中がしんとした。

ハナの部屋の電気だけが、廊下の隙間から細く漏れていた。

任務報告

玉ねぎを炒める音だけが、部屋に満ちていた。

私は三十二歳になるまで、誰かのために夕食を作るとき、こんなに手が緊張したことはなかった。

隣の部屋では、ソウが九歳の女の子に話しかけている声がする。よく通る声だ。

初めて会う人間にも、ソウはああして笑えるのだと、十年近く隣にいても、少し羨ましいと思う。

「ハナちゃん、好きな食べ物とかある?」

「……べつに」

「そっかそっか。じゃあ嫌いなものは?」

返事が聞こえなかった。私は黙って火を弱めた。

三人で食卓を囲んだのは、七時を少し過ぎたころだった。

肉じゃがと、味噌汁と、白いご飯。ハナは椅子に浅く座って、最初の一口をゆっくり口に運んだ。

私はそれを、見ていないふりをして見ていた。小さな手が、箸を握っている。

ソウがよくしゃべった。学校のこと、近所のこと、自分が子どものころ好きだったテレビのこと。

三十一歳の男が、九歳の女の子に向かって一生懸命に話している。私は黙って味噌汁を飲んだ。

食事が終わると、ハナは「ごちそうさまでした」と小さく言って、自分の皿を台所に運んだ。

教えてもいないのに。私は「ありがとう」と言いそびれた。

ハナが布団に入ったあと、二人はソファに並んで座った。男どうしで十年、このソファに座ってきた。

今夜はその間に、九歳の子どもの気配がまだ残っていた。

「うまくいくかな」とソウが言った。

私は答えなかった。台所に目をやると、三枚の皿が重なって置いてあった。自分たちの二枚に、もう一枚。

それだけのことが、今夜はやけに重く見えた。

窓の外で、風が鳴った。

任務報告

不妊治療をやめると決めた日の夜、夫婦でテーブルを挟んで座っていた。

泣くわけでも、言い合うわけでもなかった。ただ静かだった。

窓の外から車の音が聞こえて、冷蔵庫がかすかに鳴っていた。

6年間通い続けたクリニックに、翌日電話をかけた。

担当の看護師さんが「お疲れさまでした」と言った。その言葉が、予想外に長く胸に残った。

治療をやめた後、しばらくの間、自分たちが何者なのか分からなかった。

「子どもを望んでいる夫婦」という役割が、6年間の自分たちを定義していた。

それがなくなったとき、代わりに何があるのかが見えなかった。

喪失の中で、里親という言葉に出会った。

治療をやめてから3ヶ月ほど経った頃、夫がある夜こう言った。

「里親って、調べたことある?」

自分は調べたことがなかった。その言葉を聞いたとき、正直な反応は「まだそういう話をする気持ちになれない」だった。

治療の疲れが、まだ体に残っていた。子どもに関わることすべてが、しばらくは遠く感じた。

それでも夫が調べてきた内容を、黙って聞いた。制度の仕組み、委託の流れ、登録までのステップ。

聞きながら、「これは私たちの話だ」という感覚と、「まだ私たちの話にしたくない」という感覚が、同時にあった。

その夜は結論を出さなかった。ただ、夫が調べてきてくれたことを、悪くないと思った。

「代替案」ではないと、はっきり思った瞬間。

里親について調べていく中で、一つのことが気になっていた。

自分たちは、子どもを持てなかったから里親を選ぼうとしているのか。

それは「本当に子どもを望んでいる」のではなく、「子どもがいる生活の代替を求めている」だけではないのか。その問いが、しばらく離れなかった。

答えが出たのは、説明会に参加した日だった。

担当者が「今、家庭を必要としている子どもが、この地域だけで何十人もいます」と言った。

数字として聞いていたはずが、そのとき急に、その子どもたちが具体的な重さを持って迫ってきた。

自分たちが子どもを必要としているのではなく、子どもが家庭を必要としている。

その順番の違いに気づいたとき、「代替案かどうか」という問いが、急に小さく見えた。

どういう動機で始めても、目の前の子どもにとっての現実は変わらない。

ならば、動機の純粋さにこだわって立ち止まっている場合ではないと思えた。

不妊治療の6年間が、思わぬ形で役に立った。

来たのは6歳の女の子だった。人懐っこいが、突然泣き出すことがあった。

理由が分からないまま泣いている子どもを前にして、最初は戸惑った。

しかしある日、気づいたことがあった。自分たちは6年間、「なぜうまくいかないのか分からない」という状況の中にいた。

説明のつかない結果を受け入れ続けた。答えが出ない問いと共存することに、どこかで慣れていた。

理由の分からない子どもの涙を、「解決しなければならない問題」として見なくなったのは、その経験があったからかもしれない。

ただそこにいて、泣き止むまで待つ。それでいいと思えた。

不妊治療の6年間が、こういう形で役に立つとは思っていなかった。

夫婦の間で起きた、静かな変化。

治療中、夫婦の会話はいつも治療のことが中心だった。

次の周期はどうするか、結果をどう受け止めるか、次のステップに進むか。それが6年間続いた。

里親になってからの会話は、違った。

「今日あの子がこんなことを言った」「昨日の夕食、よく食べてた」「最近、笑うことが増えた気がする」。

子どもの話ではあるが、治療中の会話とは質が違った。未来への不安ではなく、今日の出来事を話していた。

夫婦関係が、治療中より柔らかくなったと感じたのは、委託から半年ほど経った頃だった。

治療中は同じ目標に向かっていたが、どこか切迫していた。今は同じ日常を生きている、という感覚があった。

「お父さんのご飯、好き」。

関係の変化を感じたのは、夫への言葉だった。

ある夕食のとき、子どもが何気なく「お父さんのご飯、好き」と言った。

夫は料理が得意で、週末によく台所に立っていた。その一言を聞いたとき、夫が少し目を細めた。

その顔を見て、自分も胸が熱くなった。

6年間の治療中、夫がつらそうにしている場面を何度も見た。

男性は治療の当事者でありながら、周囲からは「奥さんを支える立場」として見られることが多い。

夫自身の悲しみや焦りは、どこかに置いておかなければならないような空気があった。

「お父さんのご飯、好き」という一言が、その6年間を少し癒したような気がした。

大げさかもしれない。しかしあの夜の夫の顔を、自分はずっと覚えていると思う。

治療を経て里親になろうとしている人へ。

不妊治療を経て里親を考えている人に、一つだけ伝えたいことがある。

治療中の自分と、里親になってからの自分は、違う人間になっている。

治療中に感じた「子どもが欲しい」という気持ちと、里親として目の前の子どもと向き合うときの気持ちは、似ているようで違う。

どちらが正しいとか、どちらが深いとかではない。ただ、違う。

その違いを怖れなくていいと思う。

治療をやめた日に「何者でもなくなった」と感じた自分たちが、今は「あの子の里親」という場所に立っている。

場所は、探しているうちに見つかるものではなく、気づいたらそこにいた、というものかもしれない。

里親になる前の自分に一言かけるとしたら、「治療をやめた日の静けさを、覚えておいて」と伝えたい。

あの静けさが、その後の出発点になったから。

任務報告

成人した里子から連絡が来たのは、委託が終わって11年後のことだった。

SNSのメッセージだった。「元気ですか。あのときのことを、最近よく思い出します」。

それだけだった。返信を打ちながら、手が少し震えた。70文字にも満たないメッセージを読み返すのに、何分かかったか分からない。

里親をしていた頃のことを、夫婦でほとんど話さなくなっていた時期だった。

話さないのは忘れたからではなく、話すと何かが溢れてきそうで、そっとしておいた。そういう11年だった。

委託が始まったのは、自分たちが50代の頃だった。実の子どもは既に独立していて、夫婦二人の生活になっていた。

「まだ何かできることがあるかもしれない」という、定年前の静かな焦りのようなものがあった。

8歳の男の子が来た。小柄で、目が大きく、何かを確かめるようにこちらをよく見る子だった。

口数は少なかったが、観察眼が鋭かった。こちらが機嫌の悪い日は、遠くからそれを察して静かにしていた。

こちらが笑っていると、少し安心したような顔をした。

子どもが大人の感情を読むことに長けているとき、それはたいてい、読まなければならない環境にいたということだ。

その子がそういう子だと分かったとき、胸の奥で何かが動いた。

若い頃の子育てとは、明らかに違った。

小学校の運動会で一日外にいると、翌日は体が重かった。夜中に子どもが起きても、すぐに体が動かない。

気力はあっても、体がついてこない場面が想定より多かった。

それを子どもに悟られたくないと思っていた。しかし子どもはとっくに気づいていた。

ある日、重い買い物袋を黙って持ってくれた。「重そうだったから」と言った。8歳が言う言葉ではなかった。

その気遣いが、うれしいよりも切なかった。子どもに気を遣わせている、という事実が、しばらく頭から離れなかった。

年齢を重ねてから里親をすることの難しさは、体力だけではない。

自分たちが先に老いていくという現実が、子どもの将来と交差する場面がある。

「この子が成人する頃、自分たちはどうなっているのか」という問いを、50代の里親は若い里親より早く突きつけられる。

3年間の委託は、実親の状況が安定したことで終わった。

終わりが近づいてきたとき、子どもに何を伝えるべきか分からなかった。「また会えるよ」と言うべきか。

「元気でいてね」と言うべきか。何を言っても嘘になるような気がして、最後の日、結局「ご飯、ちゃんと食べるんだよ」とだけ言った。

子どもは「うん」と言った。それだけだった。

車で送り届けて、帰り道、夫婦どちらも口を開かなかった。家に帰って、子どもが使っていた部屋を見た。

布団だけが残っていた。片付ける気になれなくて、その日は閉めておいた。翌日も、その次の日も、しばらくそのままにしていた。

委託が終わってから、あの子は今どこで何をしているだろうという問いが、定期的に浮かんだ。

誕生日が近づくと思い出した。進学の時期になると思い出した。ニュースで子どもに関わる話題が出ると思い出した。

夢に出てきたこともあった。夢の中では、いつも8歳のままだった。

里親と里子の関係は、委託が終われば法的には何もない。連絡先を交換していたわけでもなく、会いに行く手段もなかった。

ただ祈るように、どこかで元気にしていることを願い続けた。それが11年間だった。

メッセージが来た日の夜、夫婦で長い時間話した。久しぶりに、あの3年間のことを声に出して話した。

あの子が今、19歳になっていること。自分たちのことを思い出してくれていたこと。

それだけで、11年間の問いが少し報われた気がした。「会いたいね」と夫が言った。自分も、そう思った。

その後、数回メッセージのやり取りをした。会うことはまだできていない。それでも、つながっていることが分かっただけで十分だと思っている。

年齢を重ねてから里親をすることには、若い頃とは違う困難がある。

体力の問題、将来の問題、子どもに気を遣わせてしまうかもしれないという問題。それは正直に認めた方がいい。

ただ、50代・60代にしか提供できないものもある。焦らない関わり方、人生経験から来る落ち着き、すでに子育てを経験した安心感。

若い里親家庭では難しい、「おじいちゃんおばあちゃんのような存在」として子どもの居場所になれることもある。

里親になる前の自分に一言かけるとしたら、「終わっても、終わらない」と伝えたい。

委託が終われば関係も終わると思っていた。しかし実際には、終わってからも子どものことを思い続ける時間が続く。

それは喪失ではなく、続いている何かだと、今は思っている。

11年後にメッセージが来た日、それが証明された。

任務報告

最初から長く関わるつもりは、なかった。

短期の委託という形で、2週間だけ子どもを預かる。実親が入院中で、他に頼れる親族がいない。

その間だけ、家庭的な環境を提供してほしいという依頼だった。夫婦で話し合い、「2週間なら」と引き受けた。子どもはその時、4歳だった。

2週間が終わっても、実親の退院は延びた。延びた先にまた事情が重なった。

気づけば委託は続いており、4歳だった子どもが小学校に上がり、やがて9歳になっていた。

人生には、始める前に全貌が見えない縁というものがある。

あのとき「2週間だけ」と思わなければ、引き受けていなかった。引き受けなければ、この5年間はなかった。

短期委託の難しさは、「終わりがある」という前提で関係を始めることだ。

最初の数日、子どもに対して適切な距離を保とうとしていた。

深く関わりすぎると、終わったときに子どもが混乱する。そう考えて、必要以上に情を移さないよう、どこかで自分にブレーキをかけていた。

しかしそのブレーキは、子どもには関係がない。4歳の子どもは、目の前の大人を「一時的な保護者」として認識しない。

ただそこにいる大人として、少しずつ近づいてくる。朝起きると隣に来て座る。手を繋いで歩く。名前ではなく「ねえ」と呼んで袖を引っ張る。

2週間が経つ頃には、こちらのブレーキなど意味をなしていなかった。

最初の延長連絡が来たのは、委託13日目だった。「もう少し待ってほしい」という内容だった。

夫婦で顔を見合わせた。断る理由は特になかった。「もう少しなら」と答えた。そのやり取りが、その後何度繰り返されたか分からない。

短期委託が長期に移行するとき、制度上の手続きが変わる。

書類が増え、面談が増え、関わる人間も増えた。気づけば自分たちは「短期里親」ではなく、気持ちの上でも制度の上でも「この子の養育者」になっていた。

誰かに強制されたわけではない。気づいたらそうなっていた、という感覚だった。それが不思議と、重くはなかった。

委託から1年ほど経った頃、実親が回復して面会に来た。

子どもはその日、朝から落ち着かなかった。何かを察していたのだと思う。

面会の場には自分たちは同席しなかったが、終わった後の子どもの様子を見た。泣いていた。

どんな気持ちで泣いていたのか、聞けなかった。

その夜、子どもはなかなか眠れなかった。布団の中で何度も寝返りを打ち、夜中に起きて水を飲みに来た。

隣に座ってただ背中に手を当てていた。何も言わなかった。言葉では届かないものが、その夜の子どもの中にあった。

実親との面会が定期的に続くようになってからも、委託は継続された。

二つの「家」の間で、子どもは少しずつ自分の感情を整理していったのだと思う。

その整理を手伝うことが、自分たちの役割だと理解するようになった。

転機は、子どもが9歳になった夏だった。

実親のもとに週末を過ごしに行って戻ってきた日の夜、子どもがぽつりと言った。「帰りたくなかった」と。

その言葉の意味を、すぐには整理できなかった。実親のところから、ここに帰りたくなかったのか。

それともここから、どこかへ帰りたくなかったのか。どちらの意味かを確認する前に、子どもは布団に潜ってしまった。

翌朝、何事もなかったように朝食を食べた。こちらも何も聞かなかった。

ただその言葉は、5年間の中で最も重く、最も温かく、胸に残っている言葉になった。

短期委託という入り口は、里親への最もハードルの低い形の一つだ。

「長く関わる自信はないけれど、一時的なら」という気持ちで始められる。それは正直な出発点だと思う。

ただ、短期であっても子どもとの関係は始まる。始まった関係には、予想外の続きがあることがある。それを怖れる必要はないが、覚悟しておいてもいいと思う。

「2週間だけのつもりだった」という言葉は、後悔ではない。あの軽い入り口がなければ、この5年間は存在しなかった。

軽い気持ちで始めたことが、気づけば人生の一部になっていた。そういうことが、里親という経験には起きる。

里親になる前の自分に一言かけるとしたら、「2週間で終わらないかもしれないけど、それでいい」と伝えたい。

任務報告

妻が里親制度のことを話してくれたのは、不妊治療をやめようかという話をしていた夜だった。

自分はそのとき、どちらかといえば聞いている側だった。妻が調べてきた内容を聞いて、「いいんじゃないか」と言った。

今思えば、その軽さが後になって問題になった。

説明会にも研修にも、一緒に参加した。書類も二人で揃えた。形の上では、対等に進めていたつもりだった。

しかし子どもが来てから数ヶ月が経った頃、妻に言われた。「全部私がやっている気がする」と。

反論できなかった。仕事を理由に、細かい判断を妻に委ねていた。

学校への連絡も、児童相談所との面談の準備も、子どもの夜の不安定さへの対応も、気づけばほぼ妻が担っていた。

自分は「サポートしている」つもりでいたが、妻の目には「いるだけ」に映っていたのかもしれない。

正直に言えば、子どもへの関わり方が分からなかった。

来たのは10歳の男の子だった。施設での生活が長く、大人の男性に対して警戒心が強いと事前に聞いていた。

実際、最初の頃は自分が部屋に入るだけで子どもの表情が固まった。

無理に距離を縮めようとすれば逆効果だと思い、接触を控えた。しかしそれが「関わらない」ことと同じになっていた。

妻は毎日声をかけ、食事を作り、宿題を見ていた。

自分は仕事から帰って「おかえり」と言い、食卓に座り、テレビを見た。

子どもにとって、自分はその家に「いる大人」でしかなかったと思う。

限界が来たのは、委託から1年ほど経った頃だった。

子どもの試し行動が続いていた時期で、妻が精神的に追い詰められていた。その夜、妻がリビングで泣いていた。

声をかけると「もう分からない、どうしたらいいのか」と言った。

そのとき初めて、自分が何もしていなかったことを理解した。

「サポート」とは、妻が困ったときに話を聞くことではない。

日常の中で、最初から半分を担うことだ。それができていなかった。

翌日から、意識的に変えた。朝の支度を自分が担当した。週に一度は自分が夕食を作った。

児童相談所との連絡窓口を自分に切り替えた。小さなことだったが、妻の表情が少しずつ変わっていった。

関係が変わったのは、ある土曜日だった。妻が体調を崩して寝込み、子どもと二人きりになった。

どこかに連れて行かなければと思い、近所の公園に行くことにした。

公園でキャッチボールをした。子どもは最初、ぎこちなかった。自分もぎこちなかった。

それでも30分ほど続けていると、子どもが「もう一回」と言った。その言葉が、その日一番うれしかった。

帰り道、子どもが「またやろう」と言った。それだけだった。しかしそれまで自分に向けられたことのなかった言葉だった。

家に帰って妻に話すと、「よかった」と言って笑った。

里親を夫婦で始めようとしている男性に、一番伝えたいのはこれだ。「妻に任せない」ということ。

里親の実務は、放っておくと自然に女性側に集中する。

連絡、記録、面談、日常のケア、どれも「気づいた方がやる」では、気づく側に偏っていく。

意識して半分を取りに行かないと、いつの間にか妻だけが消耗している。

子どもとの関係も、待っていても始まらない。自分から動かなければ、「いるだけの大人」のまま時間が過ぎる。

不器用でもいい。キャッチボールでも、一緒に買い物に行くだけでも、何か一つ自分だけの接点を作ること。

それが、子どもにとっての「この家にいる男の人」から「この家の人」になる、最初の一歩だと思っている。

里親になる前の自分に言えるとしたら、「いいんじゃないか、じゃ足りない」と伝えたい。

任務報告

午前2時過ぎ、声で目が覚めた。

最初は夢の中の音だと思った。

でも目を開けると、廊下のほうから細い声が聞こえていた。

泣き声、だった。

くぐもっていて、抑えようとしているような、小さな泣き声。

私は布団を出た。

廊下は冷えていて、フローリングが足の裏に冷たかった。

パートナーはまだ眠っていた。

彼女の部屋のドアの前に立って、息を整えた。

ノックしようとして、やめた。

そっとドアを開けた。

豆電球だけがついていた。

彼女は布団の中で膝を抱えていた。

顔を膝に埋めて、肩が小さく震えていた。

部屋の中に、かすかに汗の匂いがした。

「大丈夫?」

声をかけると、震えが一瞬止まった。

顔は上げなかった。

私はそのまま、彼女の隣に座った。

布団の上に、そっと腰を下ろした。

しばらく何も言わなかった。

泣き声が少しずつ小さくなっていった。

部屋の外で、風の音がしていた。

どこか遠くを車が通る音も聞こえた。

私は膝の上に手を置いて、ただ座っていた。

それから彼女は顔を上げないまま、私の腕をつかんだ。

小さな手だった。

力は強かった。

爪が少し食い込むくらい、ぎゅっとつかんでいた。

私は動かなかった。

腕をつかまれたまま、そのままでいた。

どのくらい時間が経ったかわからない。

彼女の呼吸がゆっくりになって、手の力が少しずつ抜けていった。

眠ったのだと思った。

私はそっと腕を引いて、布団をかけ直した。

前髪が額に張り付いていたので、指でそっとよけた。

熱はなかった。

ただ、泣き疲れた顔だった。

朝まで、床に座っていた。

背中が痛かった。

でも立てなかった。

朝になった。

彼女はいつも通りに起きて、いつも通りにトーストを食べて、ランドセルを背負った。

私は台所でコーヒーを入れていた。

玄関で「行ってきます」と言う声が聞こえた。

ドアが開く音がした。

それから、少しだけ間があった。

振り返る気配がした。

ドアが閉まる音がした。

それだけだった。

ありがとうは、なかった。

説明もなかった。

夜のことには、何も触れなかった。

私はコーヒーカップを両手で包んで、温度を確かめるようにしばらく持っていた。

正直に書く。

あの夜、腕をつかまれた瞬間、里親になってよかったと思った。

LGBTのカップルでも、この子の「助けて」を受け取れた、と思った。

同性愛者である私たちのもとに来てくれたこの子が、暗闇の中で私の腕を選んでくれた、と思った。

でも翌朝の日記に、きれいなことだけを書くつもりはない。

私はまだ、ありがとうの一言がほしい。

看病したときも、お弁当を作ったときも、夜中に隣で座っていたときも。

言葉がほしかった。

たった一言でよかった。

それが本音で、それを恥ずかしいとは思わない。

感動した夜だった。

それも本当だ。

でも私はまだ、満たされていない。

その両方が、今夜の私の中にある。

コーヒーが、少しずつ冷めていった。