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合言葉を失った

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本を読み始めたのは、悠と会った翌日の夜だった。

房子さんにもらった当事者手記は、二百ページほどの薄い本だった。

社会的養護のもとで育った十数人が、それぞれの経験を書いた文章が収められていた。

編集者のまえがきには「多様な経験を持つ当事者の声を、そのままの形で届けたい」と書いてあった。

最初のページから順番に読んでいった。

施設出身者の文章が多かった。

内容は、オンラインイベントで聞いた話と重なる部分があった。

集団生活の息苦しさ、職員との関係、十八歳での自立の難しさ。

読みながら、やはり自分の経験とは違うと思った。

重なれない、という感覚が、また来た。

半分ほど読んだところで、一編の文章に目が止まった。

タイトルは「どこにも属せなかった、ということ」。

書いた人は三十二歳の女性で、里親家庭の出身だった。

読み始めた瞬間、手が止まった。

里親家庭で育ったことを、施設出身者のコミュニティで話すと空気が変わった、と書いてあった。

「恵まれていたんだね」と言われることへの違和感。

怒りの対象が見つからない自分が当事者として語っていいのかわからない、という迷い。

どちらのコミュニティにも完全には属せない感覚。

私が言葉にできずにいたことが、そこにあった。

読みながら、体の中で何かが動いた。

泣くとは思っていなかった。

でも目が熱くなった。

こらえながら、続きを読んだ。

その人は、里親家庭での経験を「穏やかだったが、名前のつかないものがたくさんあった」と書いていた。

里親を「お父さん」「お母さん」と呼べなかったこと。

学校で「家族は何人?」と聞かれたときの一拍の間。

血がつながっていないことを意識する瞬間が、日常の中にいくつもあったこと。

全部、知っていた。

全部、経験していた。

でも言葉にしたことがなかった。

その人が言葉にした経験を読みながら、私は自分の経験がそこに輪郭を持って現れた気がした。

文章の最後にこう書いてあった。

里親家庭で育ったことは、施設で育つことよりも恵まれていたのかもしれない。

でもそれは、苦しくなかったということではない。

苦しさの質が違うだけで、言葉にならないものが積み重なっていたことは、同じだったと思う。

その言葉にならないものを、誰かに渡せる形にしたくて、この文章を書いた。

本を閉じた。

しばらく、そのまま動けなかった。

似た経験をした人がいる、という発見が、思いのほか大きかった。

孤独ではなかったかもしれない、という感覚が、初めて来た。

オンラインイベントで場の外にいた感覚とも、悠に「いいじゃん」と言われたときの感覚とも、違った。

この人の言葉は、私の経験と重なった。

スマートフォンを手に取った。

この文章をSNSにシェアしようとして、指が止まった。

シェアすることで「自分もこうだ」と表明することになる。

それへの躊躇があった。

まだ整理がついていない。

自分の経験をどこかに固定してしまうことへの怖さが、まだそこにあった。

シェアせずに、スマートフォンを置いた。

でも、シェアしなかったことへの後悔はなかった。

今夜は、自分のために読んだ。

それで十分だった。

部屋の電気が、白く部屋を照らしていた。

本をテーブルに置いたまま、私はしばらく天井を見ていた。

語ることは、経験を固定することだと思っていた。

でもこの人の文章を読んで、少し違うかもしれないと思い始めた。

語ることは、経験を固定するのではなく、経験に輪郭を与えることなのかもしれない。

輪郭があれば、渡せる。

渡せれば、誰かの手に届く。

まだ確信はなかった。

でも今夜、その人の文章が私の手に届いた。

三十二歳の女性が書いた言葉が、二十六歳の私に届いた。

それは本物のことだった。

里親家庭で育ったことを、自分の言葉で語れる日が来るかもしれない。

まだ来ていない。

でも来ないとも、もう思えなくなっていた。

窓の外が、静かだった。

本の表紙を見た。

「どこにも属せなかった、ということ」というタイトルが、電灯の下で白く光っていた。

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悠と二度目に会ったのは、房子さんの家を訪ねた翌週だった。

前回と同じカフェを悠が指定してきた。

席に着くと、悠はすでにコーヒーを飲んでいた。

「お疲れ」と言って、軽く手を上げた。

前回より少しリラックスした雰囲気だった。

私も少し、楽だった。

「最近どう?」と悠が聞いた。

「オンラインイベント、参加してみました」と私は答えた。

「どうだった?」
「うまく入れなかった、ってLINEで言った通りです」
悠は少し笑って「だよな」と言った。

それから「俺もああいう場、最初は慣れなかった」と言った。

施設出身の悠でも、そうだったのかと少し意外だった。

しばらく話すうちに、悠が最近SNSでの発信を増やしていることを教えてくれた。

スマートフォンを見せてもらうと、児童養護施設の制度的な問題についての投稿が並んでいた。

施設の人員不足、アフターケアの不備、十八歳での措置解除の問題。

具体的な数字や制度の問題点を挙げながら、変えるべきだという言葉で締めくくられていた。

「反響、結構あって」と悠は言った。

「同じことを感じてた人が、たくさんいるんだなと思って」
「すごいですね」と私は言った。

本心だった。

悠の発信は、明確だった。

問題がどこにあるか、何を変えるべきか、はっきりしていた。

その明確さが、私には眩しかった。

「凛は、発信しようとは思わないの?」
「思ったことはあります。でも、何を書けばいいかわからなくて」
「里親家庭のこと、書けばいいじゃん」
「でも」と私は言って、少し止まった。

「私、制度への怒りがないんです」
悠が少し首を傾けた。

「里親さんが悪い人だったわけじゃないし、制度に傷つけられたという感覚もあまりなくて。怒りがないのに当事者として語っていいのかって、わからなくて」
悠はしばらく黙っていた。

コーヒーカップを両手で持って、テーブルを見ていた。

何かを考えている顔だった。

私は続ける言葉を探しながら、窓の外を見た。

「怒りがないと語れない、ってことはないと思うけど」と悠はゆっくり言った。

「でも、何を語ればいいかわからない」
「わからないまま語ることもできるんじゃないの」
その言葉を、私はすぐには受け取れなかった。

わからないまま語る、ということが、どういうことなのか想像できなかった。

語るためには、整理が必要だと思っていた。

整理できていないことを外に出すことへの怖さが、ずっとあった。

カフェを出て、駅に向かう道を並んで歩いた。

「制度を変えたいっていう怒りがなくても」と悠が言った。

「里親家庭で育ったってことが、どういうことか、知りたい人はいると思う」
「そうかな」
「そうだよ」と悠はあっさり言った。

「俺、里親家庭のこと、正直よく知らないから。凛の話を聞いて、初めて知ったことがいくつもあった」
その言葉が、少し引っかかった。

悠が「いいじゃん、家庭があって」と言ったとき、私は黙った。

でも悠にとっては、里親家庭の経験は「いいもの」として想像していただけで、実際に知っていたわけではなかった。

知らなかったから、そう言った。

知ってもらうことが、語ることの意味になるのかもしれない。

でもそのためには、まず自分で整理する必要があった。

里親制度への怒りがない当事者として、何を語れるのか。

怒りの代わりに、私が持っているものは何なのか。

駅の改札の前で、悠と別れた。

帰りの電車の中で、鞄の中の本のことを思い出した。

房子さんにもらった当事者手記。

まだ読んでいなかった。

今夜、読んでみようと思った。

怒りがなくても、語れることがあるかもしれない。

まだ確信はなかった。

でもその夜初めて、語ることへの怖さが、少しだけ小さくなった気がした。

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房子さんの家を訪ねたのは、オンラインイベントから一週間後の土曜日だった。

事前に電話をすると、房子さんは「来てくれるの、嬉しい」と言った。

その声が、いつも通りの声だった。

穏やかで、少しゆっくりした話し方。

六十五歳になった今も、中村家に初めて来た夜に聞いた声と変わっていなかった。

電車を乗り継いで、一時間半。

最寄り駅を降りると、見覚えのある景色が広がった。

商店街の八百屋、角の薬局、緩やかな坂。

十八歳で出てから八年経つが、道は体が覚えていた。

変わったところと、変わっていないところが混在していた。

変わっていないものを見るたびに、中学のころの自分がどこかから覗いている気がした。

玄関のチャイムを押すと、すぐに房子さんが出てきた。

「凛ちゃん、痩せた?」
「痩せてないと思います」
「そう?」と言いながら、房子さんは笑った。

しゃがまなくなった分、七歳のころとは違う笑い方だったが、目尻の皺は同じだった。

居間に通された。

壁一面の本棚は、相変わらずそこにあった。

新しい本が増えていた。

哲夫さんは外出中で、今日は二人だった。

台所でお茶を淹れながら、房子さんが「仕事はどう?」と聞いた。

「少し慣れてきました」と私は答えた。

テーブルに向かい合って座って、しばらく近況を話した。

仕事のこと、アパートのこと、最近読んだ本のこと。

房子さんは聞き上手だった。

相槌が自然で、話しやすかった。

こういう時間が、私は好きだった。

しばらくして、私は悠のことを話した。

施設出身の友人ができたこと、先週オンラインイベントに参加したこと。

どちらのコミュニティにも馴染めなかったこと。

里親家庭で育った経験を、うまく語れないでいること。

房子さんは黙って聞いていた。

お茶を一口飲んで、少し間を置いてから言った。

「あなたはあなたの経験を持っているのよ」
私は「そうですね」と答えた。

その言葉は正しいと思った。

正しいとわかっていた。

でも、正しいとわかった瞬間に、何かが少し遠くなった気がした。

「あなたはあなた」という言葉は、孤立を肯定しているようにも聞こえた。

誰かと経験を共有したい、という気持ちが、その言葉でどこかへ行ってしまった感じがした。

房子さんを責めたいわけではなかった。

房子さんは、いつも私のことを思って言葉を選んでくれる人だった。

今日の言葉も、そうだったと思う。

でも里親として育ててくれた人に「あなたはあなた」と言われることの、微妙な距離を感じた。

房子さんは私の経験の外にいる。

外にいる人が「あなたはあなた」と言うことと、同じ場所にいる人が言うことは、違う気がした。

帰り際、房子さんが本棚から一冊取り出して渡してくれた。

「これ、読んでみて」
社会的養護に関する当事者手記だった。

様々な経験を持つ人たちの文章が、一冊にまとめられていた。

受け取りながら、私は「ありがとうございます」と言った。

「無理に読まなくていいのよ」と房子さんは言った。

「ただ、あなたの言葉を探す手がかりになるかもしれないと思って」
あなたの言葉を探す手がかり、という言葉が、胸に残った。

「あなたはあなた」とも言われた。

「あなたの言葉を探す」とも言われた。

矛盾しているようで、矛盾していないのかもしれなかった。

でもその日の私には、二つの言葉をうまくつなげられなかった。

帰り道、本を鞄に入れて歩いた。

商店街を抜けながら、私は里親家庭で育ったことを「自分の言葉で語る」とはどういうことか、考えた。

語れる言葉が、まだなかった。

でも房子さんが「手がかりになるかもしれない」と言った本が、鞄の中にあった。

それを読んでみようと思った。

読んで、何かが変わるかどうかはわからなかった。

でも読まないよりは、何かが動くかもしれない。

そう思いながら、駅への坂道を下った。

空は曇っていたが、雨にはならなかった。

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オンラインイベントに参加したのは、悠と会ってから二週間後だった。

名刺をもらったNPOが主催する「社会的養護経験者の集い」で、月に一度開かれているオンライン交流会だった。

参加は無料で、申し込みフォームに名前とメールアドレスを入れるだけでよかった。

送信ボタンを押すのに、三日かかった。

当日、時間になってZoomを開いた。

画面に、十二人の顔が並んだ。

主催者の男性が簡単な説明をして、自己紹介の時間になった。

一人ずつ、名前と出身を話していった。

施設の名前を言う人、県の名前だけ言う人、「施設出身です」とだけ言う人。

私の番が来た。

「橘凛です。二十六歳です。里親家庭の出身で、今はWebデザインの仕事をしています」
「ありがとうございます」と主催者が言って、次の人に移った。

それだけだった。

話題は自然と、施設での経験に移っていった。

門限の話、担当職員との関係、アフターケアの充実度。

みんな、具体的に話した。

経験を共有する言葉を、すでに持っている人たちだった。

私は聞いていた。

頷きながら、相槌を打ちながら、でも話の輪に入れなかった。

施設の話は、私の経験とは重ならなかった。

集団生活をしたことがない。

担当職員という存在を知らない。

十八歳で突然外に出されることへの恐怖も、経験していなかった。

「里親家庭の方、今日いらっしゃるんですね」
途中で、参加者の一人が言った。

三十代の女性だった。

画面越しに、私の顔を見ていた。

「はい」と私は答えた。

「里親家庭って、どんな感じなんですか?やっぱり施設より家庭的な感じですか?」
悪意のない質問だった。

純粋に知りたいと思っているのが伝わった。

でも「施設より家庭的」という比較の枠が、私にはうまく答えられなかった。

「そうですね、家庭的ではあったと思います」と私は言った。

それ以上、言葉が出なかった。

イベントが終わって、Zoomを閉じた。

部屋が急に静かになった。

画面の明かりだけが、暗い部屋を照らしていた。

スマートフォンに、悠からLINEが来ていた。

「どうだった?」
しばらく考えてから「なんか、うまく入れなかった」と返した。

少し間があって、悠から返信が来た。

「わかる気がする」
わかる気がする、という言葉が、少し意外だった。

施設出身の悠が、なぜわかるのか。

でも理由を聞く気にはなれなかった。

ただ「そっか」と返して、スマートフォンを置いた。

天井を見た。

施設出身者のコミュニティで、私は場の外にいた。

里親家庭にいたことを言うと、少し空気が変わった気がした。

特別扱いされた、というわけではない。

ただ、話題の中心から少しずれたところに、自分がいた。

かといって、里親家庭出身者だけが集まるコミュニティは、見当たらなかった。

社会的養護経験者というカテゴリの中に、こんなに多様な経験があるとは、参加するまで考えていなかった。

施設にも種類がある。

里親にも種類がある。

一時保護だけの人もいる。

ファミリーホームで育った人もいる。

同じ言葉の傘の下に、全然違う経験が集まっていた。

それは当然のことだったかもしれない。

でも当然のことを、今日初めて実感した。

里親家庭で育った私の経験は、施設で育った人の経験とは違う。

それは優劣の話ではない。

ただ、違う。

その違いを、誰かと共有したことがなかった。

共有する相手を、まだ見つけていなかった。

窓の外に、夜の街の明かりが見えた。

どこかに、同じ場所に立っている人がいるだろうか。

里親家庭で育って、施設出身者のコミュニティにも馴染めなくて、でも自分の経験を誰かと共有したいと思っている人が。

いるかもしれない、と思った。

いないかもしれない、とも思った。

どちらかわからないまま、その夜も、なかなか眠れなかった。

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悠と会った夜は、なかなか眠れなかった。

布団の中で天井を見ながら、「いいじゃん」という言葉を何度も反芻した。

悠を責めたいわけではなかった。

ただ、あの言葉がきっかけで、中村家に来た日のことを思い出し始めていた。

思い出したくて思い出しているわけではなかった。

ただ、止められなかった。

実母は、私が三歳のときに他界した。

病気だったと、後から聞いた。

記憶にない。

顔も、声も、においも、何も残っていない。

三歳の記憶など誰にもないのかもしれないが、私には実母に関する記憶が本当に何もなかった。

空白というより、最初からそこには何もなかった、という感じだった。

実父は、私が七歳のときに蒸発した。

ある朝、起きたら家に誰もいなかった。

実母を亡くしてから四年間、二人で暮らしていた。

父のことは、少し覚えている。

背が高くて、タバコのにおいがした。

笑うと目が細くなった。

でもそれだけだった。

どんな人だったか、と聞かれると、答えられない。

児童相談所の待合室は、明るかった。

担当者の女性が優しくしてくれたが、私はほとんど黙っていた。

里親制度という言葉を、そのとき初めて聞いた。

よくわからなかった。

ただ、「新しい家で暮らすことになる」と説明されて、新しい家が怖いとも、安心とも思えなかった。

ただ、そういうことになるのだと、受け取った。

中村家に連れていかれたのは、夕方だった。

玄関を開けた房子さんは、当時五十四歳だった。

今より髪が黒くて、少し若かったはずだが、私の記憶の中の房子さんはいつも今の顔をしている。

しゃがんで目線を合わせてくれた。

「凛ちゃんね。私は房子。よろしくね」と言った。

哲夫さんは当時五十七歳で、玄関の奥に立っていた。

背が高くて、眼鏡をかけていた。

「いらっしゃい」と言った。

その声が低くて、少し怖かった。

でも後から思えば、怖い人ではなかった。

ただ、緊張していたのだと思う。

哲夫さんも、私も。

居間に通されたとき、本棚が目に入った。

壁一面の本棚だった。

こんなにたくさんの本を、一度に見たことがなかった。

七歳の私は、その本棚をしばらく見ていた。

房子さんが「好きな本を選んでいいよ」と言った。

それが、中村家での最初の安心だった。

選んでいい、という言葉だった。

どれでも、という言葉だった。

何かを制限されるのではなく、広げてもらった感じがした。

七歳の私には、そこまで言葉にする力はなかった。

ただ、本棚の前に立って、背表紙を一冊ずつ指でなぞった。

里親家庭での生活は、その夜から始まった。

悠に「いいじゃん」と言われたとき、中村家の穏やかさは本物だったと思う。

房子さんも哲夫さんも、私を傷つけるような人ではなかった。

ご飯は毎日あった。

学校にも行けた。

本をいくらでも読めた。

でも布団の中で、私は別のことも思い出していた。

中学のころ、クラスの子に「家族って何人?」と聞かれたとき、答えに詰まったこと。

運動会の家族参観で、房子さんと哲夫さんが来てくれたとき、友達に「あの人たち誰?」と聞かれて「親戚」と答えたこと。

嘘をついた理由が、自分でもよくわからなかった。

里親家庭で育ったことを、誰かに説明する言葉を、私はずっと持てないでいた。

施設出身者が語る苦しさとは、質が違う。

でも苦しくなかったわけでもない。

その違いを、悠に言えなかった。

言う言葉がなかった。

天井を見ながら、私は七歳の自分を思った。

本棚の前に立って、背表紙を指でなぞっていた子どもを。

あの子は、自分がどこに向かうのか、何も知らなかった。

里親家庭で育つとはどういうことか、二十六歳になっても、まだ言葉にできずにいる。

窓の外が、少しずつ明るくなり始めていた。

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