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合言葉を失った

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児童相談所や里親支援団体の窓口では、特別養子縁組と里親制度を、ほぼ必ずセットで説明します。

「特別養子縁組について聞きたい」と言って来た人にも、里親制度の話をします。

「里親に興味がある」と言って来た人にも、特別養子縁組の話をします。

どちらか一方だけを説明して終わり、ということはまずありません。

なぜそうするのか。

ひとつには、この二つの制度が、現場では切り離せないものとして存在しているからです。

子どもの側から見れば、特別養子縁組も里親も、「家庭で育つ」という選択肢の中にあります。

施設ではなく、家庭の中で、特定の大人との継続的な関係の中で育つこと。

その大切さは、どちらの制度も共通して大切にしていることです。

制度の名前が違っても、目指している方向は重なっている。

だから現場では、二つをまとめて「家庭養護」という言葉で呼ぶことがあります。

もうひとつの理由は、来てくれた人のためです。

「特別養子縁組を希望します」と言って窓口を訪れた人が、話を聞いていくうちに「里親の方が自分の状況に合っているかもしれない」と気づくことは、決して珍しくありません。

逆もあります。

最初は里親のつもりだったけれど、特別養子縁組についてきちんと知ったことで、改めてそちらを選ぶ人もいます。

最初に持ってきた答えが、話しながら変わっていく。

それは迷いではなく、自分に合った形を見つけていくプロセスです。

そのプロセスを支えるために、現場は最初から両方の話をします。

制度をセットで案内することには、もうひとつ大切な意味があります。

特別養子縁組には、年齢や婚姻など、一定の条件があります。

その条件の前で「自分には難しい」と感じた人が、里親制度の話を聞いて「こちらなら自分にもできるかもしれない」と思えることがあります。

子どもと関わりたいという気持ちを持って来てくれた人が、制度の条件だけを理由に帰ってしまうことは、現場にとっても、子どもにとっても、その人にとっても、残念なことです。

里親という扉があることを知ってもらうだけで、その気持ちを次につなげることができる。

だからこそ、両方を伝えることが現場の自然なスタンスになっています。

ここで少し立ち止まって考えてみてください。

特別養子縁組と里親制度を「どちらが自分に向いているか」という二択の問いとして捉えると、どちらかを選ぶことへのプレッシャーが生まれます。

でも現場の視点から見れば、この二つは競合するものではなく、子どもと家庭をつなぐための、性質の異なるふたつの仕組みです。

どちらを選ぶかより先に、自分がどんなふうに子どもと関わりたいかを考える。

その順番で考えることを、現場は大切にしています。

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「特別養子縁組」という言葉を調べていくと、たくさんの情報に行き当たります。

法律の条文、年齢の条件、手続きの流れ、必要な書類。

インターネット上には、制度の仕組みを丁寧に解説したページが数多くあります。

それらを読み込んでいくうちに、制度の全体像は少しずつ見えてくる。

でも同時に、どこか遠い話のように感じてくることもあります。

条文や図表の向こう側に、実際の子どもがいて、実際の大人がいて、実際の暮らしがある。

その温度感が、文字の上からはなかなか伝わってこない。

支援の現場は、制度とは少し違う場所にあります。

児童相談所や里親支援団体の窓口に来る人たちは、「特別養子縁組の申請をしたい」という明確な目的を持って来る人ばかりではありません。

「子どもと関わりたいけれど、何から始めればいいかわからない」「テレビで里親の特集を見て、気になってはいるけれど」「自分にできることが何かあるかどうか、聞いてみたくて」。

そういう、まだ輪郭のはっきりしない気持ちを持って扉を開ける人が、実際には多くいます。

現場の支援者たちは、そういう人たちと毎日向き合っています。

現場で最初に問われるのは、「特別養子縁組ですか、里親ですか」という制度の選択ではありません。

「どんなきっかけで来てくれましたか」「子どもとどんなふうに関わりたいと思っていますか」「今の生活の中で、どんなことが気になっていますか」。

そういう、その人自身の話から始まります。

制度の名前より先に、その人の気持ちがある。

子どもの置かれた状況がある。

現場は、そこから出発します。

この記事では、制度の外側からではなく、現場の内側からこの二つの制度を眺めてみたいと思います。

支援者たちがなぜ特別養子縁組と里親制度を常にセットで話すのか。

登録のとき何を選ぶことになるのか。

現場が申し込みに来た人と最初に何を話すのか。

そういった、制度の解説には載っていない話を、できるだけ現場の温度感とともにお伝えしていきます。

特別養子縁組という言葉から調べ始めた方が、里親という選択肢を自分事として考えるきっかけになれば、と思っています。

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文章を書いてから、三週間が経った。

ファイルは保存したまま、開いていなかった。

開く気になれなかったというより、開かなくてもいいと思っていた。

書いたという事実が、どこかにあれば十分だった。

少なくとも、最初の数日はそう思っていた。

でも一週間ほど経ったころから、少しずつ気になり始めた。

あの夜書いた言葉が、今の自分にはどう見えるのか。

時間が経った分、少し外から見られるかもしれない。

そう思いながら、でも開けなかった。

開けば、何かを決めなければならない気がした。

決めたくなかった。

そのまま三週間が過ぎた。

ある夜、悠からLINEが来た。

「最近どう?あの文章、書いた?」
「書きました」と返した。

「読んでみた?」
「まだ」
少し間があって「読んでみたら」と返ってきた。

それだけだった。

背中を押す言葉でも、急かす言葉でもなかった。

ただ、そう言った。

翌日の夜、パソコンを開いた。

ファイルを開く前に、少し深呼吸した。

深呼吸するほどのことでもない、と思いながら、した。

読み始めた。

最初の数行で、少し恥ずかしくなった。

整理されていない文章だった。

感情が先走っている部分もあった。

でも読み続けると、恥ずかしさより先に、別の感覚が来た。

これは、本当のことだ、という感覚だった。

うまくない。

でも本当のことが書いてある。

二千字の中に、二十六年間言葉にできなかったことが、不格好ながらも形になっていた。

読み終えて、悠にファイルを送った。

深く考えずに、送った。

考えれば躊躇したと思う。

だから考えずに送った。

送ってから、少し後悔した。

でも取り消さなかった。

三十分ほどして、悠から返信が来た。

「読んだ。これ、どこかに出してみたら」
どこかに出す、という言葉が、すぐには受け取れなかった。

誰かに読んでもらうことへの怖さが、また来た。

でも悠が「出してみたら」と言ったという事実は、そこにあった。

翌週の土曜日、房子さんの家を訪ねた。

前回と同じ道を歩いて、同じチャイムを押した。

房子さんが出てきて、同じように「痩せた?」と聞いた。

私は「痩せてないです」と答えた。

それがいつものやりとりになっていた。

台所でお茶を飲みながら、文章を書いたことを話した。

「読んでもらえますか」と言って、印刷してきた紙を渡した。

房子さんは老眼鏡をかけて、丁寧に読んだ。

私はお茶を飲みながら、庭を見ていた。

哲夫さんが植えた小さな木が、風に揺れていた。

読み終えた房子さんが、眼鏡を外した。

「あなたの言葉ね」と言った。

前回も同じような言葉を聞いた。

あのときは、孤立を肯定されているように感じた。

でも今日は、違って聞こえた。

今日の「あなたの言葉」は、これはあなたにしか書けない、という意味に聞こえた。

「ありがとうございます」と私は言った。

「出すの?」と房子さんが聞いた。

「まだ決めていません」と私は答えた。

「決めなくていいのよ」と房子さんは言った。

「書けたことが大事なんだから」
その言葉が、今日は素直に受け取れた。

帰り道、駅までの坂を下りながら、私はどこかに出すかどうかを考えた。

怖さは、まだあった。

自分の経験を外に出すことへの怖さ。

「里親家庭育ちの当事者」として受け取られることへの怖さ。

語ることで、経験が固定されることへの怖さ。

でも、もう一つの感覚もあった。

あの本の中で「どこにも属せなかった、ということ」を書いた三十二歳の女性の文章が、二十六歳の私に届いた。

それは本物のことだった。

誰かの言葉が、誰かに届く。

それが起きた。

私の言葉が、誰かに届くことも、あるかもしれない。

アパートに帰って、パソコンを開いた。

ファイルを開いて、最初から読み直した。

読みながら、少し直した。

整理されていない部分を、少し整えた。

でも感情が先走っている部分は、そのままにした。

そこが本当のところだったから。

タイトルを入れた。

「どちらでもない、私の経験について」
完璧なタイトルではなかった。

でも今の自分には、これが一番正直だった。

投稿するかどうかは、まだ決めなかった。

でも、決めなくていいと思えた。

以前は、決められないことへの焦りがあった。

どちらにも属せないことへの不安があった。

でも今夜は、決めなくていいという感覚が、焦りではなく落ち着きとして来た。

どちらのコミュニティにも完全には属せないまま、でもそれでいい気がしてきた。

施設出身でも、実家育ちでもない。

怒りを持った当事者でも、感謝だけを語る経験者でもない。

里親家庭で育った私の経験は、そのどれでもなくて、でもそのどれかに似ていて、最終的には私にしか語れないものだった。

語ることへの怖さは、まだある。

でも語らないことへの後ろめたさが、今夜は薄かった。

どちらでもない場所に、自分の立つ場所があるのかもしれない。

まだわからない。

でも探す気になっている。

それが三週間前とは、確かに違うことだった。

ファイルを保存して、画面を閉じた。

部屋の電気が、白く部屋を照らしていた。

窓の外に、夜の住宅街が広がっていた。

どの家にも明かりがついていた。

アパートに帰ったのは、夜の九時過ぎだった。

鞄を置いて、手を洗って、いつも通りの動作をした。

でもその日は、夕食を作る気になれなかった。

コンビニで買ってきたおにぎりを食べながら、パソコンを開いた。

新しいドキュメントを作った。

タイトルを入れようとして、止まった。

タイトルなんてなくていい、と思って、本文から書き始めることにした。

最初の一文が、なかなか出てこなかった。

悠に「書いてみたらいい」と言われたとき、帰り道ではできる気がしていた。

でもいざ画面の前に座ると、何から書けばいいかわからなかった。

里親家庭で育ったこと、と書こうとして、その続きが出てこなかった。

しばらく画面を見ていた。

それから、タイトルのことは忘れて、今日思ったことをそのまま書き始めた。

悠に「いいじゃん、家庭があって」と言われたとき、私は黙った。

なぜ黙ったのか、ずっとわからなかった。

怒ったわけではなかった。

悲しかったわけでもなかった。

ただ、何かが引っかかって、言葉が出なかった。

書きながら、その引っかかりの正体を探した。

「いいじゃん」という言葉は、私の経験を「良かったこと」として処理した。

良かった部分は確かにあった。

でも良かっただけではなかった。

名前のつかないものが、たくさんあった。

それを「いいじゃん」の一言で着地させることへの抵抗が、あの沈黙だったのかもしれない。

書きながら、七歳のころのことを書いた。

中村家の本棚のこと。

「好きな本を選んでいいよ」と言った房子さんのこと。

それが最初の安心だったこと。

でも同時に、学校で「家族は何人?」と聞かれたときに詰まったこと。

運動会で「あの人たちは誰?」と聞かれて「親戚」と答えたこと。

書いているうちに、言葉が出てきた。

悠が言った通りだった。

書き始めると、止まらなくなった。

里親家庭での十一年間が、断片的に言葉になっていった。

穏やかだったこと。

でも穏やかさの中に、いくつもの一拍の間があったこと。

血がつながっていないことを意識する瞬間が、日常の中に散らばっていたこと。

哲夫さんのこと。

几帳面で、真面目で、私に勉強を教えてくれた人。

でも一度も「父親らしいこと」をしようとしなかった人。

それが冷たかったのか、そうじゃなかったのか、今でもわからない。

わからないまま、書いた。

オンラインイベントで場の外にいた感覚のことも書いた。

施設出身者の言葉に重なれなかったこと。

でも重なれないことへの後ろめたさがあったこと。

里親家庭で育ったことが「恵まれていた」と思われることへの、うまく言葉にできない違和感。

書きながら、涙が出た。

泣くつもりはなかった。

でも書いているうちに、言葉が感情を引き出した。

感情が先にあって言葉にするのではなく、言葉を書くことで感情が出てきた。

そういうことが起きるとは、知らなかった。

どのくらい書いたか、わからなかった。

気づいたら、時計が十二時を過ぎていた。

画面を見ると、二千字を超えていた。

読み返した。

うまい文章ではなかった。

整理されていない部分も、言いたいことが伝わらない部分も、たくさんあった。

でも、自分が書いた言葉だった。

誰かに向けた言葉ではなく、自分に向けた言葉だった。

それが、今夜の全部だった。

ファイルを保存した。

タイトルは、最後まで入れなかった。

入れなくていいと思った。

誰かに見せるためではなかったから。

画面を閉じた。

部屋が静かだった。

おにぎりの袋がテーブルの上にあった。

電気をつけたまま、私はソファに座った。

書いたという事実が、何かを変えた気がした。

何が変わったのか、言葉にできなかった。

でも変わった気がした。

経験を固定したとは思わなかった。

むしろ、流動的なままで、でも輪郭が少し見えた感じがした。

語ることと、語らないことの間に、書くことがある。

それを、今夜初めて知った気がした。

誰にも届かなくていい。

まず自分のために書いた。

それだけで、今夜は十分だった。

窓の外は静かだった。

夜の住宅街の、どこかで犬が一声吠えて、また静かになった。

パソコンをもう一度開こうとして、やめた。

今夜はここまでにしようと思った。

続きは、また書けばいい。

そう思えた。

続きがあると、思えた。

それが今夜の一番の収穫だったかもしれない。

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悠と三度目に会ったのは、本を読んでから十日後だった。

今回は悠が「飯でも食べよう」と言って、新宿から少し外れた定食屋を指定してきた。

カフェより気楽な場所だった。

向かい合って座って、注文をして、しばらくは他愛のない話をした。

悠の職場のこと、私の仕事のこと。

前回より、会話が自然だった。

食事が来てから、私は本の話をした。

「房子さんにもらった本、読みました」
「どうだった?」
「里親家庭出身の人が書いた文章があって」と私は言った。

「読んで、泣きました」
悠が少し驚いた顔をした。

「泣いたんだ」
「自分が言葉にできなかったことが、そこにあって」
悠は黙って聞いていた。

箸を置いて、私の話に向き合っていた。

その姿勢が、少し前回と違った。

カフェで話していたときより、受け取ろうとしている感じがした。

私は続けた。

どちらのコミュニティにも属せない感覚のこと。

怒りのない当事者として語れるのかどうかわからないでいたこと。

でもその文章を読んで、語ることへの怖さが少し変わったこと。

悠はしばらく黙っていた。

定食屋の中は、昼時の賑わいが少し落ち着いて、静かになっていた。

隣のテーブルの会話が、遠くで聞こえた。

「俺さ」と悠は言った。

「凛に『いいじゃん、家庭があって』って言ったじゃん」
「はい」
「あれ、俺の問題だったな」
思いがけない言葉だった。

責めていたわけではなかった。

でも悠が自分でそう言ったことが、意外だった。

「どういう意味ですか」と私は聞いた。

「俺が家庭を経験したことがないから、家庭があればよかったって思ってた。でもそれは俺の経験から来てる話であって、凛の経験を軽くしてたな、と思って」
私は何も言えなかった。

責めてほしかったわけではなかった。

謝ってほしかったわけでもなかった。

ただ、悠が自分でそう気づいて、言葉にしてくれたことが、思いのほか大きかった。

「ありがとうございます」と私は言った。

「謝られてないのにありがとうって言うな」と悠は笑った。

私も笑った。

自然に笑えた。

「でもさ」と悠は続けた。

「凛みたいな経験を語れる人も必要だと思うよ」
その言葉の意味を、私はすぐには受け取れなかった。

必要とされることへの戸惑いがあった。

自分の経験が誰かに必要とされるとは、考えたことがなかった。

怒りのない当事者の言葉が、誰かの役に立つとは思えなかった。

「どういう意味ですか」と私はもう一度聞いた。

「施設の経験者の声はたくさんある。でも里親家庭の経験者の声は少ない。俺も凛から話を聞くまで、里親家庭がどういうところか、ほとんど知らなかった。知らないまま『いいじゃん』って言ってた」
悠は一口、味噌汁を飲んだ。

「怒りがなくても、経験を語ることはできると思う。怒りがない経験の語り方が、あると思う」
怒りがない経験の語り方。

その言葉が、頭の中に残った。

怒りがなければ語れないと思っていた。

怒りがないことを、当事者としての資格がないことだと思っていた。

でも悠の言葉は、その前提を少しずらした。

怒りの代わりに、私が持っているものは何なのか。

まだわからなかった。

でも「ある」かもしれないとは、思えるようになっていた。

定食屋を出て、駅に向かう道を並んで歩いた。

「書いてみたらいいんじゃないの」と悠が言った。

「誰かに見せなくてもいいから、まず書いてみる、っていう」
「書いたことはないです」
「俺も最初はそうだった。書いてるうちに、言葉が出てきた」
改札の前で別れた。

帰りの電車の中で、私はずっと考えていた。

書く、ということ。

誰にも見せなくていい。

まず自分のために書く。

怒りがなくても、書けることがあるかもしれない。

里親家庭で育ったこととはどういうことか、まだ言葉にできていない部分を、まず自分に向けて書く。

できるかどうか、わからなかった。

でもやってみようと思った。

今夜、アパートに帰ったら、やってみようと思った。

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