悠と三度目に会ったのは、本を読んでから十日後だった。
今回は悠が「飯でも食べよう」と言って、新宿から少し外れた定食屋を指定してきた。
カフェより気楽な場所だった。
向かい合って座って、注文をして、しばらくは他愛のない話をした。
悠の職場のこと、私の仕事のこと。
前回より、会話が自然だった。
食事が来てから、私は本の話をした。
「房子さんにもらった本、読みました」
「どうだった?」
「里親家庭出身の人が書いた文章があって」と私は言った。
「読んで、泣きました」
悠が少し驚いた顔をした。
「泣いたんだ」
「自分が言葉にできなかったことが、そこにあって」
悠は黙って聞いていた。
箸を置いて、私の話に向き合っていた。
その姿勢が、少し前回と違った。
カフェで話していたときより、受け取ろうとしている感じがした。
私は続けた。
どちらのコミュニティにも属せない感覚のこと。
怒りのない当事者として語れるのかどうかわからないでいたこと。
でもその文章を読んで、語ることへの怖さが少し変わったこと。
悠はしばらく黙っていた。
定食屋の中は、昼時の賑わいが少し落ち着いて、静かになっていた。
隣のテーブルの会話が、遠くで聞こえた。
「俺さ」と悠は言った。
「凛に『いいじゃん、家庭があって』って言ったじゃん」
「はい」
「あれ、俺の問題だったな」
思いがけない言葉だった。
責めていたわけではなかった。
でも悠が自分でそう言ったことが、意外だった。
「どういう意味ですか」と私は聞いた。
「俺が家庭を経験したことがないから、家庭があればよかったって思ってた。でもそれは俺の経験から来てる話であって、凛の経験を軽くしてたな、と思って」
私は何も言えなかった。
責めてほしかったわけではなかった。
謝ってほしかったわけでもなかった。
ただ、悠が自分でそう気づいて、言葉にしてくれたことが、思いのほか大きかった。
「ありがとうございます」と私は言った。
「謝られてないのにありがとうって言うな」と悠は笑った。
私も笑った。
自然に笑えた。
「でもさ」と悠は続けた。
「凛みたいな経験を語れる人も必要だと思うよ」
その言葉の意味を、私はすぐには受け取れなかった。
必要とされることへの戸惑いがあった。
自分の経験が誰かに必要とされるとは、考えたことがなかった。
怒りのない当事者の言葉が、誰かの役に立つとは思えなかった。
「どういう意味ですか」と私はもう一度聞いた。
「施設の経験者の声はたくさんある。でも里親家庭の経験者の声は少ない。俺も凛から話を聞くまで、里親家庭がどういうところか、ほとんど知らなかった。知らないまま『いいじゃん』って言ってた」
悠は一口、味噌汁を飲んだ。
「怒りがなくても、経験を語ることはできると思う。怒りがない経験の語り方が、あると思う」
怒りがない経験の語り方。
その言葉が、頭の中に残った。
怒りがなければ語れないと思っていた。
怒りがないことを、当事者としての資格がないことだと思っていた。
でも悠の言葉は、その前提を少しずらした。
怒りの代わりに、私が持っているものは何なのか。
まだわからなかった。
でも「ある」かもしれないとは、思えるようになっていた。
定食屋を出て、駅に向かう道を並んで歩いた。
「書いてみたらいいんじゃないの」と悠が言った。
「誰かに見せなくてもいいから、まず書いてみる、っていう」
「書いたことはないです」
「俺も最初はそうだった。書いてるうちに、言葉が出てきた」
改札の前で別れた。
帰りの電車の中で、私はずっと考えていた。
書く、ということ。
誰にも見せなくていい。
まず自分のために書く。
怒りがなくても、書けることがあるかもしれない。
里親家庭で育ったこととはどういうことか、まだ言葉にできていない部分を、まず自分に向けて書く。
できるかどうか、わからなかった。
でもやってみようと思った。
今夜、アパートに帰ったら、やってみようと思った。
コメント
言の葉を届けるには入隊するか里に入る必要があります。