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合言葉を失った

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悠とSNSで知り合ったのは、半年前だった。

佐藤悠、二十七歳。

児童養護施設の出身で、現在は物流会社に勤めている。

社会的養護に関する発信をしているアカウントで、私がコメントをしたことがきっかけだった。

短いやりとりが続いて、DMになって、「一度会いませんか」という流れになった。

待ち合わせは、新宿のカフェだった。

写真で見ていた通りの人だった。

背が高くて、短い髪で、少し日焼けしていた。

「はじめまして」と言って、向かい合って座った。

お互いに緊張していたと思う。

でも悠は最初から話すのが上手で、すぐに場が和んだ。

「施設、どこだったんですか」と悠が聞いた。

「施設じゃなくて、里親家庭で育ったんです」と私は答えた。

「ああ、そうなんだ」と悠は言った。

少し間があった。

「里親って、どんな感じなの?」
私は中村家のことを話した。

房子さんと哲夫さんのこと、本の多い家だったこと、十八歳まで同じ場所で暮らしたこと。

話しながら、自分の経験がずいぶん穏やかに聞こえることに気づいた。

悠は黙って聞いていた。

それから自分の話をした。

施設での集団生活、担当職員が二年ごとに変わったこと、高校を卒業すると同時に施設を出なければならなかったこと。

淡々とした口調だったが、内容は淡々としていなかった。

聞きながら、私は自分の経験との距離を感じた。

重なる部分と、重ならない部分が、はっきりしていた。

「いいじゃん、家庭があって」
話の途中で、悠がそう言った。

責めているわけではない、という口調だった。

むしろ羨ましそうな、軽い感じの言い方だった。

悠に悪意がないことはわかった。

でもその一言が、私の中に小さな引っかかりを残した。

いいじゃん、家庭があって。

その言葉を、私はうまく受け取れなかった。

里親家庭にいたことが、施設より恵まれていたのかもしれない。

そうかもしれない、と思う部分はある。

でも「いいじゃん」と言われることで、私の経験が「良かったこと」としてまとめて処理される感じがした。

良かったことだけではなかった。

うまく言葉にできないことが、いくつもあった。

でもその場では、何も言えなかった。

「そうかもしれないですね」と私は言った。

笑いながら言った。

その笑いが少し嘘だったが、他にどう答えればいいかわからなかった。

カフェを出て、駅で別れた。

悠は「また会いましょう」と言って、改札に消えた。

帰りの電車の中で、私は窓の外を見ていた。

「いいじゃん」という言葉が、まだそこにあった。

悠を責める気はなかった。

悠の言葉は、悠の経験から来ている。

施設で育った人間が里親家庭を羨ましいと思うのは、自然なことかもしれない。

でも私は、自分の経験を「いい経験」として受け取ることを、どこかでずっと保留にしてきた。

里親家庭での十一年間に、苦しかったことがなかったわけではない。

房子さんや哲夫さんを嫌いだったわけではない。

でも「家族」と言い切れるかといえば、わからなかった。

血がつながっていない。

制度の上でつながっていた。

その事実が、私の中でずっと宙に浮いていた。

それを「いいじゃん」の一言で着地させることが、できなかった。

アパートに帰って、部屋の電気をつけた。

テーブルの上に、先日もらった名刺がまだ置いてあった。

社会的養護経験者の集い。

施設出身者の言葉にも、完全には重なれない。

でも悠に「いいじゃん」と言われることにも、収まれない。

私は、どこにいるのだろう。

名刺を手に取って、しばらく見てから、また置いた。

答えは出なかった。

出ないまま、その夜は眠れなかった。

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就職して、三ヶ月が経った。

私は橘凛、二十六歳。

Webデザインの会社に勤め始めて、まだ何もかもが新しい。

フリーターをしながら独学でデザインを学んで、ようやく拾ってもらえた会社だった。

毎日それなりに緊張して、それなりに疲れて帰る。

そういう日々が続いていた。

その日は、職場の先輩に誘われて、社外の交流イベントに参加した。

木下朋子さんは三十一歳で、私が入社したときから面倒を見てくれている先輩だ。

「いろんな人と繋がっておくといいよ」と言って、デザイン系の若手が集まる交流会に連れていってくれた。

会場は渋谷の小さなイベントスペースで、二十人ほどが集まっていた。

名刺を交換して、飲み物を持って、知らない人と当たり障りのない話をする。

そういう場が、私はあまり得意ではない。

朋子さんはすぐに誰かと話し込んでいて、私は端のほうで名刺を眺めていた。

そのとき、一人の男性が話しかけてきた。

三十代半ばくらいで、穏やかな笑顔の人だった。

NPOで働いていると言って、名刺を渡してくれた。

名刺には「社会的養護経験者支援」という文字があった。

「よかったら、うちのコミュニティに来てください。社会的養護経験者の集い、っていうんですけど」
私は名刺を受け取りながら、一瞬だけ迷った。

社会的養護経験者、という言葉に、自分が含まれるかどうか、という迷いだった。

含まれる、と頭ではわかっている。

私は七歳から十八歳まで、里親家庭で育った。

里親制度は社会的養護の一つだ。

それは知っている。

でも「経験者」という言葉が、何かを前提にしている気がした。

「ぜひ」と私は言って、名刺をポケットにしまった。

帰り道、電車の中でスマートフォンを開いた。

「社会的養護経験者」と検索すると、大量の発信が出てきた。

ほとんどが、児童養護施設の出身者によるものだった。

集団生活の息苦しさ、担当職員が変わるたびに関係が切れる経験、十八歳で施設を出なければならない孤独。

読みながら、私は自分の経験と照らし合わせた。

重ならない部分が、多かった。

集団生活をしたことがない。

担当職員という存在がいなかった。

十八歳まで、同じ家に同じ人たちと暮らした。

里親である中村房子さんは六十五歳で、元図書館司書だ。

夫の中村哲夫さんは六十八歳で、元高校教師。

穏やかで、本の多い家だった。

私が七歳から十八歳まで育ててくれた二人は、今も健在で、月に一度くらい連絡を取り合っている。

「里親家庭出身者」の発信を探してみた。

ほとんど、出てこなかった。

施設出身者の発信が何百とある中で、里親家庭出身者の声はほんの数件しか見当たらなかった。

その数件も、「里親さんに感謝しています」という内容が多かった。

それが間違いだとは思わない。

でも、それだけではない気もした。

自分と似た経験を持つ人の言葉を、私はまだ見つけられていなかった。

最寄り駅で降りて、アパートまでの道を歩いた。

夜の住宅街は静かだった。

ポケットの中の名刺が、少し気になった。

行くべきかどうか、わからなかった。

でも、捨てる気にもなれなかった。

部屋に帰って、名刺をテーブルの上に置いた。

社会的養護経験者。

その言葉の中に、私はいるのかいないのか。

いる、と思う。

でも、すんなりとそこに入れない自分も、確かにいた。

里親家庭で育ったことは、私の経験だ。

それは本物だ。

でもその経験が、どこに属するのか。

誰と共有できるのか。

二十六歳になった今も、その問いに答えを出せずにいる。

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恵子の家から帰った翌朝、目が覚めたのはいつもより早かった。

窓の外がまだ暗かった。

布団の中で天井を見ていた。

哲也の寝息が聞こえた。

昨夜も眠れない時間があって、でも昨夜とは少し違った。

もやもやしていたのではなく、何かを決めようとしていた。

六時になって、布団から出た。

台所に降りて、お湯を沸かした。

ガスの火が青く灯って、やかんが温まり始めた。

冷えた台所に、少しずつ暖かさが戻ってきた。

窓の外が白み始めていた。

鳥の声が一つ、遠くで鳴いた。

哲也が階段を降りてくる音がした。

「早いな」
哲也が台所の入口に立って言った。

頭が少し寝癖になっていた。

私はお湯が沸いたやかんを持ちながら、振り向いた。

「ねえ、子供の里親って知ってる?」
声に出してから、自分でも驚いた。

今朝言おうと決めていたわけではなかった。

やかんを持ったまま、口から出ていた。

哲也は少し目を細めた。

椅子を引いて、テーブルに座った。

「聞いたことはあるけど、詳しくは知らない」
「そう」
私はお茶を二つ淹れて、哲也の向かいに座った。

湯気が細く立ち上った。

窓の外が、だんだん明るくなっていた。

話し始めた。

京都の旅館で感じた「静かすぎる」という感覚のこと。

恵子が里親をしていると知ったこと。

健太という男の子がいること。

いびつな形のクッキーのこと。

健太の「ふうん」という声のこと。

この数週間、一人でこっそり調べていたこと。

哲也に言えなかった理由が自分でもよくわからなかったこと。

順序はめちゃくちゃだったと思う。

同じことを二度言った気もする。

でも哲也は途中で口を挟まなかった。

お茶を両手で持って、私の顔を見ていた。

話し終えて、お茶を一口飲んだ。

冷めていた。

しばらく、二人とも黙っていた。

外で車が一台通り過ぎた。

鳥の声が増えていた。

台所に朝の光が入り始めて、テーブルの上が白くなった。

「俺たちにもできるかな」
哲也が言った。

反対ではなかった。

賛成でもなかった。

ただ、一緒に考えようという言葉だった。

二十六年間隣にいた人の声で、私にはそれがわかった。

「わからない。でも、知りたいとは思ってる」
「じゃあ、まず知ろう」
哲也がそう言って、スマホを取り出した。

私も自分のスマホを出した。

「里親 説明会」と打ち込んだ。

来月、市の福祉センターで開催される説明会があった。

日時と場所が書いてあった。

参加費は無料で、事前申し込みが必要だった。

「ここ、行ってみるか」
哲也が画面を私に向けた。

私は覗き込んだ。

来月の第二土曜日だった。

「行ってみようか」
私は言った。

申し込むボタンを押したわけではなかった。

まだそこまでは決めていなかった。

でも二人で同じ画面を見ていた。

哲也の肩が、私の肩に触れていた。

窓の外が完全に明るくなっていた。

朝食の支度を始めた。

冷蔵庫から卵を出して、フライパンを火にかけた。

バターが溶けて、甘い匂いが台所に広がった。

恵子の家で食べたクッキーの匂いに、少し似ていた。

目玉焼きを皿に移して、テーブルに並べた。

二人分の食器が、テーブルの上に揃った。

「いただきます」
二人で手を合わせた。

静かだった。

でも今朝の静けさは、京都の旅館の夜とは違った。

何かが足りない静けさではなく、何かが始まる前の静けさだった。

私はまだ何も決めていない。

里親になると決めたわけでも、説明会に申し込んだわけでも、人生の針を動かすと決めたわけでもなかった。

ただ、子供の里親という言葉が、今朝初めて自分の声で口から出た。

それだけのことが、胸の中で思ったより大きく、温かかった。

哲也が卵を崩した。

黄身が広がった。

窓の外で、鳥がまた鳴いた。

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恵子から「うちに来ない?」とメッセージが届いたのは、木曜日の昼だった。

「健太もいるけど、気にしないで。お茶でも飲もう」
私は少し迷った。

里親として迎えた子どもがいる家に、突然お邪魔していいのかわからなかった。

でも恵子が誘うなら大丈夫だろうと思って、「行くよ」と返した。

駅からバスで二十分ほどの、静かな住宅街だった。

恵子の家は以前にも何度か来たことがあった。

門の前に立つと、中から子どもが走り回るような音がした。

それから急に静かになった。

インターホンを押すと、恵子が出てきた。

「来て来て、寒かったでしょ」
玄関に入ると、靴が三足並んでいた。

大人の靴が二つと、小さな運動靴が一つ。

泥が少しついた、くたびれた運動靴だった。

私はそれを見て、目を逸らした。

台所からバターの匂いがした。

「さっきクッキー焼いたんだよ。健太が手伝ってくれて」
恵子がそう言いながら、奥へ案内した。

リビングに入ると、子どもの姿はなかった。

廊下の奥に、ドアが一つ閉まっていた。

「健太、来てるよ。洋子おばさんだよ、昔からの友達」
恵子が廊下に向かって声をかけた。

返事はなかった。

私たちはテーブルに向かい合って座った。

恵子がお茶を淹れて、クッキーを皿に並べた。

いびつな形のクッキーが、六枚あった。

端が少し焦げているものも混じっていた。

「健太が型を押したんだけど、力加減がわからなくて」
恵子が笑った。

私はクッキーを一枚手に取った。

ざくっとした食感で、バターの味がした。

おいしかった。

端の焦げた部分が、かえって香ばしかった。

しばらくして、廊下のドアが少し開いた。

隙間から、目だけが見えた。

黒くて、丸い目だった。

私はそちらを見ないようにしながら、恵子と話し続けた。

気づいていないふりをした。

しばらくして、ドアが少し広く開いた。

小さな男の子が、ドアの縁に手をかけて立っていた。

Tシャツにズボン、靴下が片方だけ脱げかかっていた。

髪が少し寝癖のままだった。

恵子が「おいで」と言った。

健太はゆっくりリビングへ入ってきて、恵子の隣に座った。

私から一番遠い椅子だった。

「こんにちは」
私は言った。

健太は小さく頷いた。

声は出なかった。

恵子がクッキーの皿を健太の前に寄せた。

健太は一枚取って、黙って食べた。

私も自分のお茶を飲んだ。

三人で、しばらく黙っていた。

沈黙が、思ったより重くなかった。

「おばさん、子どもいるの?」
突然、健太が言った。

テーブルの端を見たまま、私に向かって言っていた。

「いるよ。二人。もう大人だけど」
「ふうん」
健太はまたクッキーに手を伸ばした。

それだけだった。

それだけだったのに、帰り道ずっと、その「ふうん」が頭から離れなかった。

バスの窓に額を当てた。

外の景色が流れていった。

田んぼ、住宅、コンビニ、また田んぼ。

健太の黒くて丸い目を思い出した。

ドアの隙間から、こちらを見ていた目。

警戒しているようで、でも気になっている目。

もう大人だけど、と私は答えた。

その言葉が、今になって引っかかった。

二人いるよ、もう大人だけど。

まるで終わった話をするように言った。

子育ては終わった、だから今は何もない。

そういう意味に聞こえた気がした。

でも健太の「ふうん」は、そこで終わらない何かを持っていた。

バスが停留所に着いた。

私は立ち上がって、ドアから降りた。

夕方の風が顔に当たった。

冷たくて、頬が一瞬強張った。

恵子の台所に並んでいた、いびつなクッキーのことを考えた。

端が焦げていて、形がばらばらで、でも全部皿の上にあった。

一枚も捨てられていなかった。

私は歩き出した。

自分の子育ての経験が、誰かの役に立てるかもしれないという感覚が、初めてぼんやりと形を持った午後だった。

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恵子と会ってから、三日間、誰にも話さなかった。

哲也は毎日同じ時間に起きて、朝食を食べて、散歩に出かけた。

退職してからの習慣だった。

私は朝食の片付けをして、洗濯をして、昼前には座るものがなくなった。

その空いた時間に、スマホを取り出した。

「里親制度」と打ち込んだ。

最初に出てきたのは行政のページだった。

図表が多く、文字が小さく、読み進めるうちに目が滑った。

次に開いたNPOのサイトは、写真が柔らかくて読みやすかった。

里親にはいくつかの種類があること、養子縁組とは異なること、子どもが元の家庭や別の家庭へ移ることを前提にしているケースが多いこと。

知らないことばかりだった。

施設で暮らす子どもが今もこの国に約四万人いると書いてあった。

私はその数字を読んで、一度スマホを置いた。

台所の窓から外を見た。

近所の公園に、幼稚園くらいの子どもが一人、母親と手をつないで歩いていた。

四万という数字が、うまく体に入ってこなかった。

また画面を開いた。

体験談のブログを見つけた。

四十代の夫婦が里親として子どもを迎えた記録だった。

最初の夜、子どもが布団の中で声を殺して泣いていたこと。

どう声をかければいいかわからなくて、ただ隣に座っていたこと。

朝になって子どもが「おはよう」と言ったとき、それだけで一日が始まれた気がした、と書いてあった。

私はそのページを、二度読んだ。

昼になって、哲也が散歩から帰ってきた。

玄関で靴を脱ぐ音がした。

私はスマホの画面を閉じた。

閉じてから、なぜ閉じたのかを考えた。

夕食の支度をしながら、何度か口を開きかけた。

「里親って知ってる?」
言葉は頭の中にあった。

でも声にならなかった。

哲也が冷蔵庫を開けて麦茶を出すタイミングで言えなかった。

哲也がテレビをつけてニュースを見始めたタイミングでも言えなかった。

「そういえば、恵子に会ってきたよ」
結局、それだけ言った。

「どうだった?」
「元気だったよ」
哲也はそれ以上聞かなかった。

私もそれ以上話さなかった。

夜、布団に入ってから眠れなかった。

哲也の寝息が聞こえた。

規則正しい、穏やかな音だった。

私は天井を見たまま、なぜ話せなかったのかを考えた。

反対されるのが怖いのか。

笑われるのが怖いのか。

それとも、口に出すことで何かが動き出すのが怖いのか。

長い結婚生活の中で、自分の「やりたいこと」を先に言い出したことが、あまりなかったと気づいた。

哲也の転勤に合わせて引っ越して、子どもたちの学校に合わせて予定を組んで、誰かの都合を先に考えることが当たり前になっていた。

それが不満だったわけではない。

でも今夜、暗い天井を見ながら、自分の「やりたいこと」という言葉が、どこか遠くにある気がした。

やりたいのかどうかも、まだわからない。

ただ、知りたいとは思っている。

窓の外で風が鳴った。

カーテンが微かに揺れた。

哲也の寝息が続いていた。

私はそっと布団の中で向きを変えて、目を閉じた。

里親、という言葉が、暗闇の中でしばらく浮かんでいた。

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