就職して、三ヶ月が経った。
私は橘凛、二十六歳。
Webデザインの会社に勤め始めて、まだ何もかもが新しい。
フリーターをしながら独学でデザインを学んで、ようやく拾ってもらえた会社だった。
毎日それなりに緊張して、それなりに疲れて帰る。
そういう日々が続いていた。
その日は、職場の先輩に誘われて、社外の交流イベントに参加した。
木下朋子さんは三十一歳で、私が入社したときから面倒を見てくれている先輩だ。
「いろんな人と繋がっておくといいよ」と言って、デザイン系の若手が集まる交流会に連れていってくれた。
会場は渋谷の小さなイベントスペースで、二十人ほどが集まっていた。
名刺を交換して、飲み物を持って、知らない人と当たり障りのない話をする。
そういう場が、私はあまり得意ではない。
朋子さんはすぐに誰かと話し込んでいて、私は端のほうで名刺を眺めていた。
そのとき、一人の男性が話しかけてきた。
三十代半ばくらいで、穏やかな笑顔の人だった。
NPOで働いていると言って、名刺を渡してくれた。
名刺には「社会的養護経験者支援」という文字があった。
「よかったら、うちのコミュニティに来てください。社会的養護経験者の集い、っていうんですけど」
私は名刺を受け取りながら、一瞬だけ迷った。
社会的養護経験者、という言葉に、自分が含まれるかどうか、という迷いだった。
含まれる、と頭ではわかっている。
私は七歳から十八歳まで、里親家庭で育った。
里親制度は社会的養護の一つだ。
それは知っている。
でも「経験者」という言葉が、何かを前提にしている気がした。
「ぜひ」と私は言って、名刺をポケットにしまった。
帰り道、電車の中でスマートフォンを開いた。
「社会的養護経験者」と検索すると、大量の発信が出てきた。
ほとんどが、児童養護施設の出身者によるものだった。
集団生活の息苦しさ、担当職員が変わるたびに関係が切れる経験、十八歳で施設を出なければならない孤独。
読みながら、私は自分の経験と照らし合わせた。
重ならない部分が、多かった。
集団生活をしたことがない。
担当職員という存在がいなかった。
十八歳まで、同じ家に同じ人たちと暮らした。
里親である中村房子さんは六十五歳で、元図書館司書だ。
夫の中村哲夫さんは六十八歳で、元高校教師。
穏やかで、本の多い家だった。
私が七歳から十八歳まで育ててくれた二人は、今も健在で、月に一度くらい連絡を取り合っている。
「里親家庭出身者」の発信を探してみた。
ほとんど、出てこなかった。
施設出身者の発信が何百とある中で、里親家庭出身者の声はほんの数件しか見当たらなかった。
その数件も、「里親さんに感謝しています」という内容が多かった。
それが間違いだとは思わない。
でも、それだけではない気もした。
自分と似た経験を持つ人の言葉を、私はまだ見つけられていなかった。
最寄り駅で降りて、アパートまでの道を歩いた。
夜の住宅街は静かだった。
ポケットの中の名刺が、少し気になった。
行くべきかどうか、わからなかった。
でも、捨てる気にもなれなかった。
部屋に帰って、名刺をテーブルの上に置いた。
社会的養護経験者。
その言葉の中に、私はいるのかいないのか。
いる、と思う。
でも、すんなりとそこに入れない自分も、確かにいた。
里親家庭で育ったことは、私の経験だ。
それは本物だ。
でもその経験が、どこに属するのか。
誰と共有できるのか。
二十六歳になった今も、その問いに答えを出せずにいる。
コメント
言の葉を届けるには入隊するか里に入る必要があります。