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合言葉を失った

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里子出身#1-5 里親として育ててくれた人に「あなたはあなた」と言われることの、微妙な距離を感じた。

房子さんの家を訪ねたのは、オンラインイベントから一週間後の土曜日だった。

事前に電話をすると、房子さんは「来てくれるの、嬉しい」と言った。

その声が、いつも通りの声だった。

穏やかで、少しゆっくりした話し方。

六十五歳になった今も、中村家に初めて来た夜に聞いた声と変わっていなかった。

電車を乗り継いで、一時間半。

最寄り駅を降りると、見覚えのある景色が広がった。

商店街の八百屋、角の薬局、緩やかな坂。

十八歳で出てから八年経つが、道は体が覚えていた。

変わったところと、変わっていないところが混在していた。

変わっていないものを見るたびに、中学のころの自分がどこかから覗いている気がした。

玄関のチャイムを押すと、すぐに房子さんが出てきた。

「凛ちゃん、痩せた?」
「痩せてないと思います」
「そう?」と言いながら、房子さんは笑った。

しゃがまなくなった分、七歳のころとは違う笑い方だったが、目尻の皺は同じだった。

居間に通された。

壁一面の本棚は、相変わらずそこにあった。

新しい本が増えていた。

哲夫さんは外出中で、今日は二人だった。

台所でお茶を淹れながら、房子さんが「仕事はどう?」と聞いた。

「少し慣れてきました」と私は答えた。

テーブルに向かい合って座って、しばらく近況を話した。

仕事のこと、アパートのこと、最近読んだ本のこと。

房子さんは聞き上手だった。

相槌が自然で、話しやすかった。

こういう時間が、私は好きだった。

しばらくして、私は悠のことを話した。

施設出身の友人ができたこと、先週オンラインイベントに参加したこと。

どちらのコミュニティにも馴染めなかったこと。

里親家庭で育った経験を、うまく語れないでいること。

房子さんは黙って聞いていた。

お茶を一口飲んで、少し間を置いてから言った。

「あなたはあなたの経験を持っているのよ」
私は「そうですね」と答えた。

その言葉は正しいと思った。

正しいとわかっていた。

でも、正しいとわかった瞬間に、何かが少し遠くなった気がした。

「あなたはあなた」という言葉は、孤立を肯定しているようにも聞こえた。

誰かと経験を共有したい、という気持ちが、その言葉でどこかへ行ってしまった感じがした。

房子さんを責めたいわけではなかった。

房子さんは、いつも私のことを思って言葉を選んでくれる人だった。

今日の言葉も、そうだったと思う。

でも里親として育ててくれた人に「あなたはあなた」と言われることの、微妙な距離を感じた。

房子さんは私の経験の外にいる。

外にいる人が「あなたはあなた」と言うことと、同じ場所にいる人が言うことは、違う気がした。

帰り際、房子さんが本棚から一冊取り出して渡してくれた。

「これ、読んでみて」
社会的養護に関する当事者手記だった。

様々な経験を持つ人たちの文章が、一冊にまとめられていた。

受け取りながら、私は「ありがとうございます」と言った。

「無理に読まなくていいのよ」と房子さんは言った。

「ただ、あなたの言葉を探す手がかりになるかもしれないと思って」
あなたの言葉を探す手がかり、という言葉が、胸に残った。

「あなたはあなた」とも言われた。

「あなたの言葉を探す」とも言われた。

矛盾しているようで、矛盾していないのかもしれなかった。

でもその日の私には、二つの言葉をうまくつなげられなかった。

帰り道、本を鞄に入れて歩いた。

商店街を抜けながら、私は里親家庭で育ったことを「自分の言葉で語る」とはどういうことか、考えた。

語れる言葉が、まだなかった。

でも房子さんが「手がかりになるかもしれない」と言った本が、鞄の中にあった。

それを読んでみようと思った。

読んで、何かが変わるかどうかはわからなかった。

でも読まないよりは、何かが動くかもしれない。

そう思いながら、駅への坂道を下った。

空は曇っていたが、雨にはならなかった。


隊士 お館様管理者

藤の里における鬼倒隊を統率している者。私が初めて鬼の存在を知ったのは、ボランティアの場でした。 里親制度への無知と誤解という鬼が、日本中に蔓延していること。そのせいで、家庭で暮らせずにいる子どもたちがいること。里親になりたくても、なれずにいる人たちがいること。 その現実が、忘れられませんでした。 それからも何度もボランティアを重ねるたびに、鬼の大きさを思い知らされました。 私自身は里親経験者ではありません。 剣を持って戦える立場にはない。 だからこそ、実際に戦ってきた方々の記録を集め、次の誰かへ届ける場所を作ることが、私にできる戦いだと思いました。 藤の里は、その使命のために生まれました。 あなたの戦いの記録を、ここに刻んでください。 その呼吸を、次の世代へつないでいきましょう。

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