任務報告

照子さんの家を訪ねたのは、めぐみさんと話した翌週の土曜日だった。

電話ではなく、直接会いに行くことにした。

電話だと、また話せない気がした。

顔を見ながら話せば、少し違うかもしれないと思った。

前日の夜に「明日行ってもいいですか」と連絡すると、照子さんから「もちろん、待ってるわ」と返信が来た。

電車で二時間かけて、照子さんの住む町に向かった。

窓の外の景色が、都内の密集した建物から、少しずつ緑の多い景色に変わっていった。

この景色の変化を、里子だった子どものころから知っていた。

照子さんの家に向かうとき、いつもこの景色を見ていた。

最寄り駅を降りると、少し空気が違った。

広かった。

照子さんの家まで、歩いて十分だった。

道を歩きながら、今日何を話すかを考えた。

全部話す、と決めてきた。

検索したこと、一時間画面を見ていたこと、フォローできなかったこと。

全部話すと、朝に決めてきた。

でも玄関のチャイムを押す前に、少し立ち止まった。

本当に話せるか、という問いが、最後に来た。

でも今日話さなければ、また電話で「少しだけ」になる。

それを繰り返したくなかった。

チャイムを押した。

照子さんがすぐに出てきた。

「来てくれてよかった」と言って、笑った。

六十一歳の照子さんは、少し髪が白くなっていたが、目尻の笑い方は変わっていなかった。

里子だった子どものころから、ずっと同じ笑い方だった。

居間に通された。

武志さんは庭にいた。

「ことはが来たよ」と照子さんが声をかけると、武志さんが窓から手を上げた。

六十四歳の武志さんは、今日も庭にいた。

いつも庭にいる人だった。

お茶を飲みながら、最初は近況を話した。

仕事のこと、さおりとの生活のこと。

照子さんは聞き上手で、話しやすかった。

しばらくして、照子さんが「今日は、何か話したいことがあって来たんでしょ」と言った。

さすがだった。

観察力が鋭い人だった。

里子だったころも、私が何かを抱えているとき、照子さんはいつも気づいていた。

「はい」と私は言った。

「ゆっくり話して」と照子さんは言った。

急かさなかった。

私は話し始めた。

藤原さんに「お母さんに似てるね」と言われた日のこと。

その夜、検索窓に「山下恵」と打ち込んだこと。

三つのアカウントが出てきたこと。

そのうちの一つが実母かもしれないこと。

一時間、フォローボタンを前に動けなかったこと。

話しながら、照子さんの顔を見た。

照子さんは黙って聞いていた。

表情が変わらなかった。

驚く顔でも、困る顔でもなかった。

ただ、聞いていた。

全部話し終えた。

居間が静かになった。

庭で武志さんが土を掘る音が、かすかに聞こえた。

照子さがお茶を一口飲んだ。

それから、言った。

「怖かったのね」
責める言葉ではなかった。

慰める言葉でもなかった。

ただ、怖かったのね、と言った。

その瞬間、泣いた。

泣くつもりはなかった。

でも照子さんの言葉が、何かを溶かした。

怖かった、という言葉が、私が一週間抱えてきたものの正体を言い当てた気がした。

会いたいのかどうかわからないまま、フォローできないまま、画面を閉じることもできないまま、一時間動けなかったあの夜。

怖かっただけだった。

それだけのことだったのかもしれなかった。

それだけのことが、一週間言葉にならなかった。

「すみません」と私は言った。

涙を拭きながら言った。

「謝らなくていいわよ」と照子さんは言った。

「泣いていいから」
しばらく、泣いた。

声を上げずに、ただ涙が出た。

照子さんは何も言わなかった。

隣に座って、黙っていた。

里子だったころも、照子さんはこういう人だった。

泣いているとき、余計なことを言わなかった。

ただ、隣にいた。

落ち着いてから、照子さんが聞いた。

「検索したこと、私に話すのが怖かった?」
「はい」と私は正直に言った。

「照子さんが傷つくかもしれないと思って」
照子さんは少し間を置いてから言った。

「傷つかないわよ」
「でも」と私は言いかけた。

「あなたが実親のことを知りたいと思うのは、自然なことだから」と照子さんは続けた。

「私が里親としてあなたを育てたことと、あなたが実親のことを知りたいと思うことは、別のことよ。どちらかを選ばなくていい」
どちらかを選ばなくていい、という言葉が、胸に刺さった。

里子として照子さんに育ててもらった。

でも実親のことを知りたいと思う。

その二つが矛盾すると、どこかで思っていた。

照子さんへの感謝と、実親への問いを、同時に持っていいのかどうか、わからなかった。

でも照子さんは「どちらかを選ばなくていい」と言った。

「照子さんは、最初から知ってたんですか」と私は聞いた。

「私がいつか実親のことを考えるって」
「知ってたわよ」と照子さんは言った。

あっさりした口調だった。

「当然だと思ってたから。ただ、あなたが話してくれるまで待ってた」
待っていた、という言葉が、重かった。

先週の電話で「当然よ」と言ったのは、そういう意味だったのかもしれない。

待っていたから、当然よ、と言えた。

「ずっと待ってたんですか」と私は聞いた。

「そうね」と照子さんは笑った。

「でも長くなかったわよ。あなたのペースがあるから」
庭で、武志さんが立ち上がった。

窓から見えた。

土のついた手を、作業着で拭いていた。

いつもと変わらない武志さんの後ろ姿だった。

「武志さんも、知ってたんですか」と私は聞いた。

「もちろん」と照子さんは言った。

「あの人は何も言わないけど、わかってるわよ」
武志さんらしかった。

何も言わない人だった。

でもわかっている人だった。

お茶を飲み干した。

照子さんが新しいお茶を淹れてくれた。

湯気が立った。

「フォローするかどうか、まだ決めなくていいのよ」と照子さんが言った。

「決めたくなったときに、決めればいい」
「そうします」と私は言った。

今日、全部話せた。

話せたことで、答えが出たわけではなかった。

実親のアカウントをフォローするかどうかも、会いたいのかどうかも、まだわからなかった。

でも今日、里親の照子さんに全部話せた。

それだけで、今日は十分だと思った。

帰り際、玄関で照子さんが「また来てね」と言った。

「来ます」と私は言った。

今度は近いうちに来ようと思った。

用事がなくても。

整理がついていなくても。

武志さんが庭から「気をつけて」と言った。

短い言葉だった。

でも十分だった。

駅に向かう道を歩きながら、私は少し深く息をした。

曇っていた空が、少し明るくなっていた。

雨にはならなかった。

任務報告

週末は、木工をして過ごすことが多い。

道具は康夫さんのものを幸子さんからもらった。

康夫さんが三年前に亡くなったあと、幸子さんが「誠司が使ってくれるなら一番いい」と言って、工具箱ごと譲ってくれた。

鑿も鉋も、長年使い込まれて手に馴染んだ道具だった。

私の手には少し大きかったが、今はもう慣れた。

その日の午後、私は六畳の部屋の隅に作業スペースを作って、木を削り始めた。

作るものは決まっていなかった。

ただ、手を動かしたかった。

こういうときがある。

何かを考えたくないわけではないのに、頭より先に手を動かしたい夜が。

昨日の松田の言葉が、まだどこかに引っかかっていた。

鉋を握ると、康夫さんの手を思い出す。

大きくて、節くれだって、傷だらけの手だった。

長年大工をしていた手で、指の関節が太く、爪の際にいつも木くずが残っていた。

私の手とは全然違う。

私の手は細くて、営業職らしく荒れてもいない。

並べたら、誰も同じ人間から受け継いだとは思わないだろう。

実際、受け継いでいない。

血はつながっていない。

でも、鉋の角度だけは同じになっていた。

いつからそうなったのか、わからない。

気がついたら、康夫さんと同じ角度で鉋を持っていた。

教わった記憶はない。

ただ、隣で見ていた。

見ているうちに、体が覚えた。

二年ほど前、幸子さんに電話したとき「誠司、康夫さんに似てきたね」と言われたことがある。

「どこがですか」と聞いたら、「なんとなく」と笑われた。

なんとなく、という答えが、妙に腑に落ちた。

似ているというのは、そういうものなのかもしれない。

説明できるものではなく、なんとなく、という感覚の中にあるものなのかもしれない。

康夫さんは、私を一度も「息子」と呼ばなかった。

私も「お父さん」と呼んだことはなかった。

康夫さん、と呼んでいた。

それが自然だった。

距離があったわけではない。

ただ、私たちの間にはずっと、言葉より先に物があった。

木片、道具、削りかす。

言葉の代わりに、何かを手渡し合っていた。

里親として康夫さんが私にしてくれたことを、言葉で数えようとすると、うまくいかない。

食事をくれた、学校に行かせてくれた、そういうことは確かだ。

でも私が覚えているのは、縁側での沈黙とか、工具箱を開けるときの音とか、木のにおいとか、そういうことばかりだった。

康夫さんへの気持ちを、私は一度も「親への感情」と整理したことがなかった。

感謝はある。

尊敬もある。

康夫さんが亡くなったとき、私は葬儀で泣いた。

自分でも驚くくらい、泣いた。

でも「父親を亡くした」という感覚だったかといえば、わからない。

もっと別の何かを失った感覚だった。

言葉にならない何かを。

なぜ「父親だった」と言い切ることを避けてきたのか、自分でもよくわからない。

血がつながっていないからか。

制度の上では里親と里子だからか。

それとも、康夫さん自身が「父親」という役割を前に出さない人だったからか。

たぶんそのどれもが少しずつ、正しい気がする。

鉋を止めて、削りかすを払った。

手のひらを見た。

細くて、傷のない、私の手だった。

でも鉋の持ち方だけは、康夫さんと同じだった。

それがおかしくて、少し笑った。

声には出なかったが、笑った。

似ているとはどういうことか。

血ではなく、時間が作るものが、確かにある気がした。

そう思うことが正しいのかどうか、わからなかった。

でも少なくとも、その日の午後の私には、そう思えた。

任務報告

浩二と飲んだのは、木工をした翌週の金曜日だった。

中川浩二は三十五歳で、私と同い年だ。

吉田家の近所で育った幼馴染で、子どものころから私が里親家庭にいることを知っていた。

特別な話題にしたことはなかった。

ただ、知っている。

それだけで、私には十分だった。

待ち合わせた居酒屋は、会社から二駅の、こぢんまりした店だった。

浩二は先に来て、すでにビールを飲んでいた。

「遅い」と言いながら、笑っていた。

こういうやつだった。

最初は他愛のない話をした。

浩二の仕事のこと、共通の知人の近況、特に意味のない話。

二杯目が空いたころ、私は先週の松田の話をした。

「職場の同僚に、お母さんに似てるねって言われた」
「へえ」と浩二は言った。

「誰が来たの」
「わからない。受付に来て、すぐ帰ったらしい。幸子さんじゃなかった」

浩二は少し考えてから「実母かもな」と言った。

遠慮のない言い方だった。

でも浩二らしかった。

変に気を使われるより、こういう言い方のほうが楽だった。

「かもな」と私も言った。

「会いたいと思う?」
「わからない」
正直な答えだった。

会いたいとも、会いたくないとも、はっきり言えなかった。

三十五年間、その問いを保留にしてきた。

今日もまだ、保留のままだった。

浩二は「そっか」と言って、串焼きを一本取った。

それ以上聞いてこなかった。

三杯目に差し掛かったころ、私は松田の言葉がまだ引っかかっていることを話した。

似ているとはどういうことか。

血がつながっていない人に似ていくとはどういうことか。

うまくまとまらないまま話したが、浩二は黙って聞いていた。

「でもお前、康夫さんに雰囲気似てきたよな」
浩二が言った。

否定しようとした。

口を開いて、でも言葉が出なかった。

「鉋の角度の話じゃなくて」と浩二は続けた。

「なんか、静かな感じとか、あんまり余計なこと言わない感じとか。昔のお前はもっとうるさかったし」
「うるさかったは余計だろ」
「事実だろ」と浩二は笑った。

笑い返しながら、私は少し考えた。

康夫さんに似てきた、という言葉を、素直に受け取れなかった。

嬉しいのか、怖いのか、判断できなかった。

血がつながっていない人に似ていくことを、どう受け取ればいいのか。

里親家庭で育った人間が、育ててくれた人に似ていくことは、自然なことなのか。

誰かに教わったことがなかった。

「それって悪いことじゃないだろ」と浩二が言った。

「そうかもな」
「そうだよ」と浩二はあっさり言った。

「康夫さん、いい人だったじゃないか」
いい人だった、という言葉が、思いのほか胸に刺さった。

刺さった、というより、じんわりと染みた。

浩二は特別なことを言ったつもりはないだろう。

ただ事実を言っただけだ。

でも私には、その言葉が必要だった気がした。

康夫さんはいい人だった。

それは本当のことだった。

四杯目を頼みながら、私は窓の外の夜の街を見た。

里親として康夫さんが私にしてくれたことは、言葉より先に手で示すことだった。

木片を渡すこと、道具の使い方を隣で見せること、縁側で黙って座っていること。

そういう人だった。

その人に似てきたと言われることが、なぜ怖いのか。

怖い、という感情の正体を、その夜はまだうまく掴めなかった。

でも、怖いと感じていることだけは、初めて自分で認めた気がした。

店を出たのは、十一時過ぎだった。

浩二と駅で別れて、私は一人で帰り道を歩いた。

少し酔っていた。

夜風が冷たかった。

歩きながら、自分の手を見た。

街灯の下で、細くて傷のない、私の手だった。

この手が、康夫さんに似ているのかどうか、私にはわからない。

でも浩二には、何か見えているのかもしれない。