人生の折り返しを、意識し始めたのはいつ頃からでしょうか。
親を見送ったとき。健康診断の数字が気になり始めたとき。ふと鏡を見て、知らない顔がそこにあったとき。
「あと何年、今のように動けるだろう」と、考えたことがあるはずです。
問いは、静かにやってきます
50代とは不思議な年齢です。
まだ十分に元気で、経験もある。でも、「このまま同じことを続けていていいのか」という問いが、ふとした瞬間に浮かぶようになる。
仕事はある。生活は安定している。夫婦仲も悪くない。それでも何かが、足りない気がする。
その「何か」に、まだ名前がついていない方へ。今日は、一つの選択肢をお話しさせてください。
「与える」ことでしか、満たされないものがある
人は、受け取るだけでは満たされません。
若い頃は、学び、得て、積み上げることに夢中でいられます。でも人生の後半では、「誰かに何かを渡せたか」という問いが、静かに重みを増していきます。
これは弱さではありません。人間が本来持っている、深いところからの渇望です。
里親という選択は、その渇望に応える一つの道です。
親のもとで育てられない子どもたちの傍らに立ち、その子の人生の一部になる。
「自分がいたから、この子は今ここにいる」と、いつか思える日が来るかもしれない。
それは、お金では買えない充足です。
「何も残らなかった」という怖さについて
子どもを持たなかった人生を、後悔しているわけではない。
でも、「自分の生きた証が何も残らないかもしれない」という感覚が、ふとよぎることがある。
そう話してくださる方が、少なくありません。
私はその感覚を、弱さだとは思いません。むしろ、真剣に生きてきた人だけが持つ、誠実な問いだと思っています。
血のつながりがなくても、人は誰かの記憶の中に生き続けます。
「あの人がいてくれたから、私は大丈夫だった」と、一人の子どもが思える大人になること。
それは、確かに残るものです。
ある里親のお方が、こう話してくださいました
「定年を前にして、このまま会社人間として終わるのが怖かった。
里親になって初めて、『自分は何のために生きているか』という問いに、答えが出た気がしました。」
(58歳・男性/里親歴2年)
「子どもと過ごす時間が増えてから、夫婦の会話が変わりました。二人で同じ方向を向いている感覚が、久しぶりに戻ってきた。」
(54歳・女性/里親登録後1年目)
「生きがい」は、待っていても来ません
生きがいとは、見つけるものではなく、動いた先に生まれるものだと、私は思っています。
「自分に向いているかどうか」「本当にできるかどうか」
その答えは、動いてみるまで、誰にもわかりません。向いていないとわかることも、大切な一歩です。
でも、動かなければ、何も変わりません。
50代のあなたには、まだ時間があります。
そして、今のあなただからこそ持てる経験と、落ち着きと、愛情があります。
子どもたちは、華々しいヒーローを待っているのではありません。
ただ静かに、傍らにいてくれる大人を、待っています。
残りの時間で、誰かの人生に灯をともす。
そういう生き方が、あなたには似合うと思います。
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言の葉を届けるには入隊するか里に入る必要があります。