今の生活に、大きな不満はない。仕事もそれなりにやってきた。家族のために精一杯生きてきた。客観的に見れば、充実した人生のはずです。
それなのになぜか、虚しい。
その感覚を、誰かに話したことがありますか。おそらく、ないのではないでしょうか。
「恵まれているのに虚しいなんて、贅沢だ」と、自分を戒めてきたかもしれません。
充足感と虚しさは、同時に存在します
人間の感情は、単純ではありません。
「やり遂げた」という満足感と、「これでよかったのか」という問いは、同じ心の中に並んで存在することができます。
矛盾ではありません。それは、真剣に生きてきた人間だけが持つ、複雑で誠実な感情です。
定年が近づいてきた。子どもが自立した。両親を見送った。長年続けてきたことが、一つ、また一つと、区切りを迎えていく。
そのたびに「よかった」と思う。そしてそのたびに、胸のどこかに小さな穴が開く。
あなたが感じているのは、そういう感覚ではないでしょうか。
なぜ、虚しくなるのか
「なぜ虚しいのか」と、自分に問いかけたことはありますか。
趣味がないから?老後の計画が立っていないから?夫婦の会話が減ったから?
どれも、関係しているかもしれません。でも、私はもう少し深いところに、その答えがあると思っています。
考えてみてください。あなたはこれまでの人生で、何のために動いてきましたか。
仕事では、誰かの期待に応えるために。家庭では、家族のしあわせのために。子育てでは、子どもの未来のために。
あなたは長い間、「誰かのために」動き続けてきた人間です。
与え続けてきた人が、与える先を失うとき
ここで、一つのことをお伝えしたい。
あなたが感じているのは、虚しさではないかもしれません。
それは与え続けてきた人間が、与える先を失ったときの、渇望です。
仕事という与え先が、定年とともに縮まっていく。子育てという与え先が、子どもの自立とともに消えていく。
長年動き続けてきたエンジンが、向かう先を失って、静かにうなりを上げている。
それが、あの「虚しさ」の正体ではないでしょうか。
もしそうだとすれば解決策は、「何か楽しいことを探す」ことではありません。「与える先」を、新しく見つけることです。
与える先は、あなたが思うより近くにあります
新しい与え先は、遠くにある必要はありません。
地域のつながり、学び直し、誰かへの貢献、形は様々です。大切なのは、「自分を必要としてくれる誰かとの関係」が、そこにあるかどうかです。
その選択肢の一つとして、里親という関わり方があります。
親のもとで暮らせない子どもたちの傍らに立ち、その子の日常の一部になる。
長年「誰かのために」動いてきたあなたの力が、静かに、しかし確かに、届く場所です。
急いで決める必要はありません。ただ、そういう場所があることを、今日は知っておいてください。
渇望は、生きている証です
最後に、一つだけ。
虚しさを感じているあなたは、まだ与えたいと思っている。まだ誰かの役に立ちたいと思っている。
まだ、燃え尽きていない。
その渇望は、弱さではありません。長く誰かのために生きてきた人間の、最も美しい部分です。
その火を、消さないでください。
向かう先は、必ずあります。
コメント
言の葉を届けるには入隊するか里に入る必要があります。