里子として生きてきた二十四年間、実親のことを考えないようにしてきた
照子さんに電話したのは、土曜日の朝だった。
さおりはまだ寝ていた。
私は台所でコーヒーを淹れて、窓際に座った。
外は曇っていた。
雨になるかもしれない空だった。
電話をかけようと思ったのは、昨夜ではなかった。
昨夜は、さおりと話してから布団に入ったが、やはりなかなか眠れなかった。
スマートフォンを手に取っては置いて、取っては置いてを繰り返した。
検索はしなかった。
でも眠れなかった。
朝になって、コーヒーを飲みながら、今日かけようと思った。
今日かけなければ、また先延ばしにする気がした。
さおりに「言えるときに言えばいい」と言われたが、言えるときはいつまで待っても来ないかもしれない。
来ないまま、検索だけを続けるのは、もう嫌だった。
スマートフォンを取り出して、照子さんの番号を開いた。
発信ボタンを押す前に、少し考えた。
何を話すか。
全部話すか。
全部話せるか。
答えが出ないまま、押した。
三回コールして、照子さんが出た。
「ことは、珍しい。土曜日の朝に」
照子さんの声は、いつも通りだった。
穏やかで、少しゆっくりした話し方。
六十一歳になった今も、変わっていなかった。
その声を聞いた瞬間、少し息ができた気がした。
「おはようございます」と私は言った。
「急に電話してすみません」
「いいのよ、嬉しいわ。どうかした?」
どうかした、という問いに、すぐに答えられなかった。
「特に用事があるわけじゃないんですけど」と私は言った。
「声が聞きたくて」
「そう」と照子さんは言った。
嬉しそうな声だった。
しばらく、近況を話した。
仕事のこと、さおりとの共同生活のこと、最近読んだ本のこと。
照子さんは聞き上手で、相槌が自然だった。
話しやすかった。
話しながら、今日は全部話せるかもしれないと思った。
でも、話せなかった。
「実母を検索した」という言葉が、出てこなかった。
代わりに、少しだけ近い言葉を言った。
「最近、実親のことを考えることがあって」
照子さんが、少し間を置いた。
電話口の沈黙だった。
数秒だったと思う。
でも私には長く感じた。
「そうね」と照子さんは言った。
「考えることがあって当然よ」
当然よ、という言葉が、やさしかった。
責める言葉ではなかった。
否定する言葉でもなかった。
ただ、当然だと言った。
でも「当然」という言葉が、少し重く響いた。
当然のことを、二十四年間保留にしてきた。
里子として生きてきた二十四年間、実親のことを考えないようにしてきた。
当然考えていいことを、考えないようにしていた。
それを「当然よ」と言われると、なぜ今まで保留にしてきたのかという問いが、逆に来た。
「照子さんは、嫌じゃないですか」と私は言った。
「何が?」
「私が実親のことを考えることが」
照子さんがまた、少し間を置いた。
「嫌じゃないわよ」と照子さんは言った。
「あなたが実親のことを考えるのは、自然なことだから」
自然なこと、という言葉も、やさしかった。
でも私は、「検索した」とは言えなかった。
自然なことと、実際に検索して画面を一時間見ていたこととの間に、距離があった。
考えることと、行動することは、違う。
照子さんに「自然なこと」と言われたのは、考えることについてだった。
検索したことについてではなかった。
その違いが、今日は話せなかった理由だった。
しばらくして、照子さんが「武志さんが庭にいるから、呼んでくる?」と言った。
「大丈夫です」と私は言った。
「また電話します」
「いつでもかけてきてね」と照子さんは言った。
「嬉しいから」
電話を切った。
コーヒーが冷めていた。
一口飲んだ。
冷たかった。
里親として照子さんが育ててくれた七年間、私は安全だった。
その安全の上に、今の私が立っている。
それはわかっていた。
でも今日、検索したことを話せなかった。
話せなかったことへの後悔は、あった。
でも話せなかったことへの安心も、少しあった。
その二つが同時にあることが、自分でもよくわからなかった。
照子さんの「当然よ」という言葉は、本物のやさしさだった。
でもそのやさしさを、今日の私は全部受け取れなかった。
受け取れる日が来るかどうか、わからなかった。
窓の外が、少し明るくなっていた。
雨にはならなかったらしかった。
曇ったままだったが、光が差し始めていた。
さおりが起きてきた。
「おはよう」と言いながら、目をこすった。
「おはよう」と私は言った。
「電話してた?」
「照子さんに」
「話せた?」とさおりが聞いた。
「少しだけ」と私は答えた。
それが今日の正直な答えだった。
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