週末の夜、翔太から電話がかかってきた。
着信音が鳴ったとき、私は風呂上がりで髪を乾かしていた。
ドライヤーを止めて、タオルを肩にかけたまま画面を見た。
「翔太」という文字が光っていた。
三週間ぶりだった。
「もしもし」
「あ、出た。
元気?」
翔太の声は、少し低くなっていた。
東京に出てからそうなった。
実家にいたころの声より、どこか遠い場所から届くような気がした。
「元気よ。
そっちは?」
「まあまあ。
忙しかったけど、今週ちょっと落ち着いた」
それから三十分ほど、他愛のない話が続いた。
職場の先輩がどうとか、最近よく行く定食屋の話とか、東京は朝晩冷えるようになったとか。
私は相槌を打ちながら、翔太の声の奥にある生活の音を聞いていた。
食器が当たるような音、外を走る車の音。
知らない部屋の、知らない夜の音だった。
「じゃあ、また」
「うん、また電話して」
「はーい」
電話が切れた。
私はドライヤーをテーブルに置いて、ベッドの端に腰を下ろした。
タオルがまだ肩にかかっていた。
泣かなかった。
以前は違った。
翔太と電話をするたびに、切ったあとで決まって目が熱くなった。
声が聞けたうれしさと、遠さの寂しさが一度に来て、うまく処理できなかった。
でも今夜は、ただ静かだった。
泣けなかったのではなく、泣く必要がなかった。
何が変わったのだろう、と思った。
ふと、今週読んだ体験談の一節が頭に浮かんだ。
里親家庭で育った子どもが、大人になってから書いた文章だった。
「あの家を出るとき、また帰りたいと思った。
帰れる場所があると思った。
それだけで、ずいぶん遠くまで行けた」という一文だった。
私は翔太に「また電話して」と言った。
翔太は「はーい」と言った。
そのやりとりが、今夜初めて違う形に見えた。
帰れる場所を確かめる声だったのかもしれない、と思った。
翔太にとっても、私にとっても。
タオルを手に取って、髪の毛をもう一度拭いた。
誠一はもう寝室にいた。
リビングの電気だけがついていた。
私はソファに座って、スマホを開いた。
今週読んだページをもう一度探した。
あの一文が、もう一度読みたかった。
見つけて、読んだ。
二回読んだ。
それから画面を閉じて、天井を見た。
エアコンが静かに動いていた。
風が顔にかかった。
翔太を育てた二十四年間が、今夜初めて「社会とつながっている何か」として見えた気がした。
うまく言葉にできない。
でも、そういう感触だった。
里親という制度があることを、私はなぜ今まで知らなかったのだろう。
知らなかったのではなく、知ろうとしていなかったのだと思った。
自分の子育てで手一杯で、それ以外の子どものことを考える隙間が、どこにもなかった。
それは仕方のないことだったかもしれない。
でも今は、その隙間が目の前にある。
翔太の「はーい」という声が、まだ耳に残っていた。
私はスマホをテーブルに置いて、リビングの電気を消した。
暗くなった部屋の中で、窓の外の街灯だけが白く光っていた。
どこかの家の窓にも、明かりがついていた。
あの明かりの下に、今夜どんな人が座っているのだろう、とぼんやり思った。
コメント
言の葉を届けるには入隊するか里に入る必要があります。