その言葉を、私は何度も聞いてきました。
「里親って、すごいことですよね。私たちには、とてもできません。」
そう言いながら、目を逸らす。話題を変える。でもその人の目の奥に、何かが残っていることを、私は知っています。
「無理だ」と思う気持ちは、正直な感覚です
里親という言葉を聞いたとき、「自分たちには無理だ」と感じることは、決して間違いではありません。
血のつながらない子どもを、自分の家庭に迎え入れる。その子の傷ついた過去と向き合う。いつか別れるとわかっていながら、全力で関わる。
これが簡単なことだと思える人は、おそらく、まだ何も知らない人です。
「無理かもしれない」と感じるのは、それだけ真剣に想像したからです。その想像力は、弱さではありません。
「特別な人」とは、どんな人でしょうか
少し、考えてみてください。
あなたが思い描く「里親に向いている特別な人」とは、どんな人ですか。
豊富な子育て経験がある人。心が広く、何があっても動じない人。福祉の知識がある人。経済的に余裕がある人。
そういう人を、思い浮かべていませんか。
でも、実際に里親をされている方々にお会いしてきた私が言えることは、そういう「完璧な人」には、一度も会ったことがないということです。
みなさん、不安を抱えたまま始めた人たちです。「自分に務まるのか」と今も問い続けている人たちです。
答えが出ないまま、それでも子どもの傍らに立ち続けている人たちです。
その壁は、正しい。里親は、確かに特別です。
ここで、一つのことをお伝えしたい。
「里親は特別だ」その感覚は、正しいのです。
里親は、特別な営みです。血のつながりがなくても、傷ついた子どもの傍らに立つ。その子の泣き声を夜中に聞く。うまくいかない日に、それでも諦めない。
これは、誰にでもできることではありません。
しかし「特別な人にしかできないこと」と、「特別な覚悟を持った人にしかできないこと」は、全く別のことです。
前者は、生まれながらの資質の問題です。後者は、選択の問題です。
特別さとは、資格ではなく、眼差しのことです
里親に必要な「特別さ」は、資格でも、経験でも、能力でもありません。
「この子を、ちゃんと見たい」という眼差しです。
その子が何に傷ついているのかを、知りたいと思う心。その子のペースに、付き合おうとする忍耐。
うまくできない自分を責めながらも、また明日向き合おうとする意志。
それだけです。
そしてその眼差しは「自分たちには無理かもしれない」と、真剣に考えたあなたの中に、すでにあります。
簡単に「やってみます」と言える人より、深く悩んだあなたの方が、その眼差しを持っている可能性が高い。
私は、そう思っています。
知ることと、決めることは、別のことです
「里親になる」と決めることを、今日求めているわけではありません。
ただ、「無理だ」と決めることも、今日でなくていい。
まず知ってみてください。里親制度がどういうものか。どんな子どもたちがいるのか。
どんな夫婦が関わっているのか。知った上で、やはり違うと思えば、それでいい。
扉の前に立つことと、扉を開けることは、別のことです。扉を開けることと、中に入ることも、また別のことです。
今日は、ただ扉の前に、立ってみてください。
コメント
言の葉を届けるには入隊するか里に入る必要があります。