悠と会った夜は、なかなか眠れなかった。
布団の中で天井を見ながら、「いいじゃん」という言葉を何度も反芻した。
悠を責めたいわけではなかった。
ただ、あの言葉がきっかけで、中村家に来た日のことを思い出し始めていた。
思い出したくて思い出しているわけではなかった。
ただ、止められなかった。
実母は、私が三歳のときに他界した。
病気だったと、後から聞いた。
記憶にない。
顔も、声も、においも、何も残っていない。
三歳の記憶など誰にもないのかもしれないが、私には実母に関する記憶が本当に何もなかった。
空白というより、最初からそこには何もなかった、という感じだった。
実父は、私が七歳のときに蒸発した。
ある朝、起きたら家に誰もいなかった。
実母を亡くしてから四年間、二人で暮らしていた。
父のことは、少し覚えている。
背が高くて、タバコのにおいがした。
笑うと目が細くなった。
でもそれだけだった。
どんな人だったか、と聞かれると、答えられない。
児童相談所の待合室は、明るかった。
担当者の女性が優しくしてくれたが、私はほとんど黙っていた。
里親制度という言葉を、そのとき初めて聞いた。
よくわからなかった。
ただ、「新しい家で暮らすことになる」と説明されて、新しい家が怖いとも、安心とも思えなかった。
ただ、そういうことになるのだと、受け取った。
中村家に連れていかれたのは、夕方だった。
玄関を開けた房子さんは、当時五十四歳だった。
今より髪が黒くて、少し若かったはずだが、私の記憶の中の房子さんはいつも今の顔をしている。
しゃがんで目線を合わせてくれた。
「凛ちゃんね。私は房子。よろしくね」と言った。
哲夫さんは当時五十七歳で、玄関の奥に立っていた。
背が高くて、眼鏡をかけていた。
「いらっしゃい」と言った。
その声が低くて、少し怖かった。
でも後から思えば、怖い人ではなかった。
ただ、緊張していたのだと思う。
哲夫さんも、私も。
居間に通されたとき、本棚が目に入った。
壁一面の本棚だった。
こんなにたくさんの本を、一度に見たことがなかった。
七歳の私は、その本棚をしばらく見ていた。
房子さんが「好きな本を選んでいいよ」と言った。
それが、中村家での最初の安心だった。
選んでいい、という言葉だった。
どれでも、という言葉だった。
何かを制限されるのではなく、広げてもらった感じがした。
七歳の私には、そこまで言葉にする力はなかった。
ただ、本棚の前に立って、背表紙を一冊ずつ指でなぞった。
里親家庭での生活は、その夜から始まった。
悠に「いいじゃん」と言われたとき、中村家の穏やかさは本物だったと思う。
房子さんも哲夫さんも、私を傷つけるような人ではなかった。
ご飯は毎日あった。
学校にも行けた。
本をいくらでも読めた。
でも布団の中で、私は別のことも思い出していた。
中学のころ、クラスの子に「家族って何人?」と聞かれたとき、答えに詰まったこと。
運動会の家族参観で、房子さんと哲夫さんが来てくれたとき、友達に「あの人たち誰?」と聞かれて「親戚」と答えたこと。
嘘をついた理由が、自分でもよくわからなかった。
里親家庭で育ったことを、誰かに説明する言葉を、私はずっと持てないでいた。
施設出身者が語る苦しさとは、質が違う。
でも苦しくなかったわけでもない。
その違いを、悠に言えなかった。
言う言葉がなかった。
天井を見ながら、私は七歳の自分を思った。
本棚の前に立って、背表紙を指でなぞっていた子どもを。
あの子は、自分がどこに向かうのか、何も知らなかった。
里親家庭で育つとはどういうことか、二十六歳になっても、まだ言葉にできずにいる。
窓の外が、少しずつ明るくなり始めていた。
コメント
言の葉を届けるには入隊するか里に入る必要があります。