知らない家の、知らない食卓で、何かを食べるということが、うまくできなかった
あの夜のことを、私はずっと思い出さないようにしていた。
八歳の春。
児童相談所の担当者に連れられて、初めて村上家を訪れた夜のことだ。
里親制度という言葉を、私はそのころまだ知らなかった。
ただ、「しばらくここで暮らす」と説明されて、よく意味がわからないまま玄関に立っていた。
実母に置いていかれたのは、その少し前だった。
ある朝、起きたら家に誰もいなかった。
それだけだった。
泣いた記憶もない。
ただ、お腹が空いていたことだけを覚えている。
児童相談所の待合室は、明るかった。
明るすぎて、居心地が悪かった。
担当者の女性は、私に何度も話しかけてくれたが、私はほとんど答えなかった。
答える言葉が見つからなかったというより、答えることで何かが決まってしまう気がして、黙っていた。
村上家に着いたのは、夕方だった。
玄関のドアを開けた清子さんは、私の顔を見て、しゃがんだ。
目線を合わせるためだったと思う。
今の私と同じ年齢だったのか、とアルバムを見ながら初めて気がついた。
あのころの清子さんは、私には大人としか見えなかった。
「さやかちゃんね。
私は清子。
よろしくね」
それだけ言った。
「よろしく」の意味が、八歳の私にはよくわからなかった。
夕食は肉じゃがだった。
里親である清子さんが、私のために作ってくれたのだと、担当者の人が教えてくれた。
でも私は、一口も食べられなかった。
食べたくないわけではなかった。
箸を持つと、手が少し震えた。
知らない家の、知らない食卓で、何かを食べるということが、うまくできなかった。
清子さんは、何も言わなかった。
怒るかと思った。
せっかく作ったのに、と責められるかと思った。
でも清子さんはただ、私の茶碗を見て、静かに言った。
「冷めたら温め直すね」
それだけだった。
その言葉の意味を、八歳の私は正確には理解できなかった。
でも、責められなかったということだけはわかった。
それが怖かった。
責められたほうが、楽だったかもしれない。
責められることには慣れていた。
責められないことに、私は慣れていなかった。
アルバムの中に、その夜の写真はなかった。
当然だと思う。
あの夜を写真に残そうとする人間は、普通はいない。
でも私の中には、あの夜の台所の蛍光灯の白さと、肉じゃがの湯気と、清子さんの横顔が、じわりと滲むように残っていた。
思い出すのに、三十四年かかった。
正確には、思い出さないようにしていたのだと思う。
あの夜を思い出すことは、あの夜に感じたものを引き受けることだった。
怖さと、安堵と、自分でも名前のつけられない何かを。
八歳の私には重すぎた。
四十二歳の私には、ようやく、少しだけ受け取れる気がした。
段ボール箱を膝の上に置いたまま、私はしばらく動けなかった。
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