四十一歳の女が毎朝あの速さで支度を終えることを、七年間見てきてもまだ少し驚く
今日も「あの」だった。
朝、カイが起きてきて、テーブルに座った。
トーストを焼いていた私の背中に向かって「あの……」と言った。
振り返ると、カイは牛乳パックを両手で持って、私を見ていた。
「開けてほしいの?」と聞くと、小さくうなずいた。それだけだった。
名前は、出てこなかった。
ユキは今朝も早番で、六時前に家を出た。
四十一歳の女が毎朝あの速さで支度を終えることを、七年間見てきてもまだ少し驚く。
玄関が閉まる音がするたびに、この家が少し静かになる。
今朝はその静けさの中に、カイがいた。
委託から三週間が経った。
今日、カイが転んだ。近所の公園で、砂利に足を取られて膝を擦りむいた。
じわりと血が滲んで、カイは泣かなかった。泣かないように、唇をきつく結んでいた。
七歳の子どもが、泣くのをこらえる顔を、私は正面から見た。
家に戻って、救急箱を出した。
消毒液を染み込ませたコットンを当てると、カイの肩がびくりと跳ねた。それでも声を出さなかった。
絆創膏を貼り終えたとき、カイが言った。
「あの……お願いします」
もう終わったあとだった。だから「お願いします」は、たぶん処置のことじゃなかった。
何に対して言ったのか、私にはわからなかった。わからないまま「うん」と言った。
夜、日記を開いた。
今日の「あの」は、今までと少し違う重さがあった。うまく説明できない。
ただ、あの声が耳に残っている。助けを求めることに、どこかで慣れていない子どもの声が。
消毒液の匂いが、まだ指先に残っていた。
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