任務報告

「これ以上のステップアップは難しい」と医師から告げられたのは、不妊治療を始めて5年が経った頃のことだった。

夫婦でそれぞれの気持ちを話し合う中で、「血縁にこだわらず、子どもを育てるという経験を一緒にしたい」という思いが少しずつ言葉になっていった。

そのタイミングで手にした自治体の広報誌に、里親募集の記事が載っていた。

それが、里親という選択肢を現実として意識した最初の瞬間だった。

不妊治療と里親制度。一見別々のように見えるこの二つの選択肢は、子どもを持ちたいと願う多くの夫婦の間で、実は深く結びついている。

まず、里親制度の基本を整理しておきたい。

里親制度とは、何らかの事情により家庭で暮らすことができない子どもを、一定期間または長期にわたって家庭に迎え入れ、養育する制度だ。

日本では児童福祉法に基づき、国と都道府県が制度を運営している。

里親にはいくつかの種類がある。養育里親は、一時的または中長期的に子どもを預かる最も一般的な形態だ。

専門里親は、虐待を受けた経験のある子どもや非行傾向のある子どもなど、専門的なケアを必要とする子どもを対象とする。

養子縁組里親は、将来的な特別養子縁組を前提として子どもを迎える形で、法的な親子関係の成立を目指す。

親族里親は、両親が死亡や行方不明などの場合に祖父母や叔父叔母などの親族が子どもを育てる形態だ。

里親になるには、自治体への申請・審査・研修・登録というステップが必要で、委託後も児童相談所によるフォローアップが定期的に行われる。

制度を知ってからも、すぐに動き出すことはできなかった。夫は比較的前向きだったが、自分自身の中に大きな壁があった。

「血の繋がらない子どもを、本当に心から愛せるのか」

この問いは、単純な不安ではなかった。それは、自分自身の冷酷さや器の小ささを突きつけられるような怖さだった。

愛せなかったとき、自分はどうなるのか。子どもを傷つけてしまうのではないか。そう考えるたびに、研修に申し込むことすらためらってしまった。

もう一つの不安は、実家の両親のことだった。

保守的な考えを持つ両親が、里親という選択を理解してくれるかどうか分からなかった。

「絶縁状態になるかもしれない」という恐れは、決して大げさではなかった。

里親を検討する人が「動き出せない」背景には、このような内面的な葛藤が複雑に絡み合っていることが多い。制度の情報を集めるだけでは解決できない部分だ。

転機になったのは、地域で開かれた里親の体験発表会への参加だった。現役の里親が壇上でこう言った。

「子どもを愛そうと気負わなくていい。ただの同居人から始めてもいいんだよ」

この言葉を聞いたとき、長い間肩にのしかかっていた何かが、すっと下りていった。

里親になるためには、最初から立派な親でなければならないと思い込んでいた。

聖人君子でなければできないことだと。しかしその言葉は、そうした思い込みをそっと解いてくれた。

翌週、研修への申し込みを決めた。

里親体験発表会や里親説明会は、各都道府県・政令市の児童相談所や里親支援機関が定期的に開催している。

神奈川県内でも横浜市・川崎市・相模原市などで案内がされており、参加に際して特別な条件は必要ない。

「まず話を聞くだけ」という気持ちで参加できる場として、検討の第一歩として活用できる。

子どもが来た最初の数ヶ月は、正直に言えば、可愛いと感じる余裕などまったくなかった。

家の中には常に緊張感があった。他人が同じ空間にいる、あの張り詰めた空気。

子どもがこちらの顔色をうかがいながらニコニコしているのを見るたびに、その不自然さに胸が痛んだ。

どう接していいか分からず、笑顔を返すことしかできない自分にも戸惑った。

夜、子どもが眠ったあとに寝顔を眺めながら、何度もこう自問した。

「この子を預かったのは、私のエゴだったのではないか」。その問いに、答えを出せないまま朝を迎えた日も多かった。

こうした感覚は、里親を始めた多くの人が経験することだという。

子どもも大人も、お互いに「どんな人なのか」を探っている時期であり、関係性がまだ根を張る前の、不安定な時間だ。

最もきつかったのは、子どもの「試し行動」が始まった時期だった。

試し行動とは、子どもが「この人は本当に自分を受け入れてくれるのか」を確かめるために、わざと問題行動を起こすことだ。

心理的に安全な環境に慣れてきた頃に現れることが多く、むしろ関係が深まっているサインとも言われる。

しかしその渦中にいるときは、そのような解釈をする余裕はなかった。

わざとコップをひっくり返す。突然叩いてくる。それが何日も続いた、ある日の夜、ついに限界が来た。泣き崩れてしまった。

そのとき夫に相談すると、「子どもなんだから仕方ないだろう」と一蹴された。悪意のない言葉だったかもしれない。

しかし、自分が追い詰められているときに受け取るには、あまりにも遠い言葉だった。

育児に対する温度差を夫婦間で強く感じた、あの夜が、精神的に最も苦しい時間だった。

里親家庭において、こうしたパートナーとの温度差や孤立感は珍しくない。

里親支援機関や里親会への相談、あるいは同じ経験を持つ里親同士のつながりが、こうした局面では特に重要になってくる。

委託からおよそ1年が経った頃、子どもが外で派手に転んで怪我をした。泣きながら、真っ直ぐにこちらの胸に飛び込んできた。

それまでも泣くことはあった。しかし、いつもどこかに遠慮があった。泣きながらも少し距離を置くような、そういう泣き方だった。

あの日は違った。迷わず、真っ直ぐに来た。

「この子は私を、安全な場所だと認識してくれた」

そのとき初めて、肌でそれを感じた。ようやく親子になれた気がした、と後にこう振り返る。

関係性というものは、劇的な出来事によって変わるのではない。

毎日の食事を一緒に食べること、眠れない夜を隣で過ごすこと、そういう時間の積み重ねの先に、ある日突然、何かが変わる瞬間がある。

周囲への説明については、慎重にアプローチした。

近所の人には「親戚の子どもを預かることになりました」と最初は濁して伝えた。

子ども自身に余計な関心や詮索が向くことを避けたかったからだ。

職場には、急な呼び出しや学校行事での早退などを想定し、上司にだけ詳細を話した。同僚にはあえて詳しく伝えなかった。

「周囲の反応にこちらが疲弊しないよう、情報の出し方をコントロールしていた」という言葉は、多くの里親家庭に共通する実感だろう。

里親であることを開示するかどうかは、非常に個人的な判断であり、どちらが正解ということはない。大切なのは、自分と子どもの生活を守ることだ。

里親を検討している人に、最も伝えたいことはこれだ。

「立派な親にならなくていい」

理想の親子像を追い求めると、自分も子どもも苦しくなる。

まずは同じ屋根の下で、一緒にご飯を食べて、安全に眠れる場所を提供する。

それだけで十分に価値があることだ。自分に厳しくなりすぎず、まず「それだけ」から始めていいと、自分を許してほしい。

里親になる前の自分に一言かけるとしたら、こう伝えたい。

「想像以上にしんどいけれど、想像もできなかったほど深い感情を、その子から教えてもらえる」と。

「里親制度は、制度の整備も大切だけれど、私たち当事者がしんどいと言える場所がもっと増えてほしい」

里親支援は近年少しずつ充実してきているが、里親家庭が孤立しやすい構造はまだ残っている。

支援者だけでなく、同じ経験を持つ里親同士がつながり、「しんどい」と言い合える場があること。

それが里親制度の継続性を支える上で、これからさらに重要になると思う。

5年間の不妊治療の末に里親という道を選んだこの経験は、「血の繋がり」や「理想の親子像」への問いを何度も更新させてくれるものだった。

答えはまだ出ていないかもしれない。それでも、一緒にご飯を食べ、泣きながら胸に飛び込んできたあの日を、忘れることはないだろう。

里親制度に関心を持った方は、まず地域の児童相談所または里親支援機関に問い合わせることから始めてほしい。

説明会への参加だけなら、登録や申請の義務は一切ない。「話を聞くだけ」でいい。それが、最初の一歩になる。

任務報告

不妊治療を続けるかどうか、夫婦でまだ答えを出せずにいたある日、自治体の広報誌に里親制度の記事が載っていた。

それまで「里親」という言葉は知っていたが、実際に調べてみると、養育里親や将来の養子縁組を前提とした里親など、いくつかの種類があることを初めて知った。

そのとき初めて、里親という選択肢が現実のものとして見えてきた。

里親制度を知ってからも、すぐに動き出せたわけではない。

最大のためらいは「自分たちに本当にできるのか」という不安だった。

実の子どもでも子育ては大変だと聞く。

ましてや何らかの事情を抱えた子どもを受け入れるには、相応の覚悟が必要ではないかと思うと、簡単には踏み出せなかった。

周囲に里親経験者がいなかったことも大きかった。生活がどう変わるのか、具体的に想像できる手がかりがなかった。

転機になったのは、自治体が開いた里親説明会への参加だった。

そこで実際に里親をしている人の話を聞く機会があり、理想だけではなく、悩みながら続けている様子を率直に語ってくれた。

「完璧な家庭でなくても関われる形はある」という言葉を聞いたとき、肩の力が少し抜けた。

里親を検討している段階でまず参加できる説明会は、各都道府県・市区町村の児童相談所や里親支援機関が定期的に開催している。

大阪府内でも複数の窓口が案内を行っており、参加に際して特別な条件はない。

最初に委託されたのは小学校低学年の子どもだった。

思っていたよりずっと静かで、家の中でも遠慮している様子が強く、話しかけても短い返事しか返ってこなかった。

テレビを見ていても落ち着かない様子で、この家でどう過ごしていいか分からないように見えた。

食事のときも量を少ししか取らず、好き嫌いなのか遠慮しているのか判断できず戸惑った。

「何をしてあげるのが正しいのか」が分からないまま、毎日が手探りだった。

最もきつかったのは夜の時間だ。布団に入ってもなかなか眠れない日が続き、夜中に何度も起きることがあった。

理由を聞いても「大丈夫」としか言わない。どう声をかければいいのか分からないまま、ただ隣に座って様子を見ていることも多かった。

自分自身にも余裕がなく、夫婦で対応方針が合わないこともあった。

里親家庭において夜間の不安定さはよく見られることだと後から支援者に聞いたが、その渦中にいるときは、そうした知識があっても気持ちが楽になるわけではなかった。

変化は、ある夕食のときに訪れた。その日、子どもが学校であった出来事を自分から話してくれた。

「休み時間に友達と遊んだ」という、それだけの話だ。

でも、それまでこちらが聞いても「普通だった」と短く返すだけだったから、思わず驚いた。うれしかった。

その日を境に、学校のことや好きな遊びの話を少しずつしてくれるようになった。関係が変わったと実感できた瞬間だった。

近所には「親戚の子をしばらく預かっている」と伝える程度にとどめた。

子ども自身に余計な関心が向くのを避けたかったからだ。

職場には、急な学校行事などで休む可能性があるため上司にだけ事情を説明した。

同僚には特にこちらから話すことはせず、必要な範囲だけ伝えるようにした。
どこまで話すかの正解はなく、それぞれの状況に応じた判断になる。

子どもによって事情はまったく異なり、思うように関係が築けない時期も当然ある。

自分の対応がこれでよかったのか、迷う場面は何度もあった。

それでも、特別なことをしなくても、誰かと一緒に生活する時間が子どもにとって意味を持つことがある、と感じている。

里親になる前の自分に言えるとしたら、「最初から完璧にできなくて大丈夫」ということだ。

分からないことはそのたびに里親会や児童相談所に相談すればいい。もっと早い段階から頼っていれば、気持ちが楽だった場面もあったと思う。

制度の内容や受けられる支援をよく知ったうえで、自分たちの生活の中で無理なく続けられるかを考えること。

それが、里親を検討する際の最初の一歩になると思う。

任務報告

里親という制度を知ったのは、数年前に見たテレビの特集だった。

児童養護施設の子どもたちを取り上げた番組で、「里親」という言葉が画面に出たとき、名前だけは知っていても、実際に家庭で子どもを育てる制度だとは理解していなかった。

番組のあと、なんとなく気になってインターネットで調べた。それが始まりだった。

調べながらも、すぐに動き出せたわけではない。

子育て経験もなく、事情を抱えた子どもを受け入れることの責任の重さを考えると、軽い気持ちでは踏み出せなかった。

いつか子どもが家を離れる可能性があることも、正直怖かった。

夫婦で何度も話し合ったが、「中途半端な気持ちではできないよね」という結論になり、しばらくは調べるだけで終わっていた。

背中を押してくれたのは、自治体の説明会だった。

実際に里親をしている人の話を聞く機会があり、「最初から完璧にできる人はいない」という言葉が印象に残った。

特別な人だけがやるものではなく、悩みながら続けているという話を聞いて、少し気持ちが楽になった。まずは研修だけでも受けてみようと思ったのが、動き出したきっかけだ。

子どもが来た最初の頃、距離の遠さを感じた。

こちらは「家族として迎えた」という気持ちでいても、子どもにとっては知らない大人の家に来ただけだ。会話は少なく、目もあまり合わせてくれなかった。

どう接していいのか分からず、必要以上に気を遣ってしまい、家の中にはどこかぎこちない空気が漂っていた。

一番しんどかったのは、夜の時間だった。寝る前になると急に不安定になり、布団に入ってもなかなか寝付けず、何度も起きてしまう。

理由を聞いても答えてくれないことも多く、「どうしてあげればいいんだろう」と途方に暮れた夜もあった。

疲れが積み重なって、夫婦で小さな言い合いになったこともある。

転機は、ある日の夕方に訪れた。学校であった出来事を、子どもが自分から話してくれた。

特別な内容ではなかった。「今日こんなことがあった」という、ごく普通の話だ。

それまでほとんど自分から話すことがなかっただけに、そのとき感じたうれしさは今でも覚えている。

少しずつだけど、距離が縮んでいるのかもしれないと感じた瞬間だった。

子どもが家を出た日のことは、よく覚えている。ドラマのように泣くことはできなかった。

寂しさはもちろんあった。でも同時に、「無事にここまで来られてよかった」というほっとした気持ちもあった。

静かになった家に帰ってきたとき、実感がじわじわとわいてきた。

今振り返ったとき、「やってよかった」と言い切れるかといえば、正直そう単純ではない。

大変なことも多かったし、正解が分からないまま続けていた部分も多かった。

ただ、あの時間は自分たちにとって大事な経験だったと思っている。「やらなければよかった」と思ったことは、一度もない。

里親を考えている人に伝えたいのは、最初からうまくできる人はいないということだ。

子どもとの関係も、すぐに家族のようになるわけではない。時間がかかるし、戸惑うことも多い。

それでも、少しずつ積み重なっていく時間がある。それだけは確かだと思う。