一時保護所から児童養護施設へ。みなとはそこで約一年を過ごした。
みなとが生まれたのは、大阪の下町に近いアパートだった。
築三十年を超えた建物で、廊下の端に他の部屋の自転車が積み重なっていた。
母親は当時二十代の半ば。若くして産んだことを後悔している様子はなかったが、どこか生活に疲れているような顔をしていた、と後にみなとは思い返す。
正確には、「思い返そうとしても、顔があまり浮かばない」のだけれど。父親のことは知らない。名前も、どんな人かも。
それを「かわいそう」だと感じたのは、ずっと後のことだ。小さな頃は、それが当たり前だったから。
みなとは、物心ついたときから声を出すことが少なかった。
泣いても誰も来ないことが多かったし、笑っても誰かが一緒に笑ってくれるとは限らなかった。
だから声を出すことのコスト計算が、幼いながらに体に刷り込まれていた。声を出す。誰かが反応する。
その二つが結びつかないまま育ったこどもは、言葉を道具として使うことを覚える前に、沈黙を選ぶことを覚える。
みなとがそうだった。保育園の先生は「おとなしい子」と言った。
それは間違ってはいなかったが、正確でもなかった。おとなしいのではなく、ただ、言葉を出すべき場所がどこなのか、まだ見つけられていなかっただけだ。
小学校に入ってしばらく経ったころ、担任の先生が気づいた。
お弁当を持ってこない日が続いていること。冬なのに上着が薄いこと。授業中、昼を過ぎると集中できなくなること。
先生が声をかけると、みなとは「大丈夫です」と言った。その返事があまりにも整いすぎていて、先生はかえって心配になったという。
一時保護は、その年の初夏に行われた。
母親は抵抗しなかった。疲れていたのか、それとも別の事情があったのか、みなとには分からなかった。
「また迎えに来る」という言葉が最後だった。みなとはそれを信じることも、疑うことも、しばらくはできないでいた。
一時保護所から児童養護施設へ。みなとはそこで約一年を過ごした。
施設の生活は、思ったよりも規則正しかった。起きる時間、ご飯の時間、寝る時間。
それまでの生活にはなかったリズムが、最初は不思議で、やがて少し安心するものに変わっていった。
自分のロッカーがあった。鍵がついていた。それだけのことが、なぜかとても大事に感じた。
友達と呼べる子が一人できた。同じ年の女の子で、よく折り紙を一緒に折った。
会話は少なかったけれど、並んで折り紙をしている時間は嫌いじゃなかった。
その子がある日、別の家に移っていった。みなとは泣かなかった。泣くのが正しいのかどうか、分からなかった。
里親家庭への委託が決まったのは、小学二年生になった秋のことだった。
担当の人から「新しいおうちに行く」と説明を受けたとき、みなとは「どのくらい居るんですか」と聞いた。
大人は少し間を置いてから、「しばらくの予定です」と答えた。
その「しばらく」が何日なのか何年なのか、みなとには分からなかった。
でも聞き返さなかった。聞き返しても、きっと正確な答えは返ってこないと知っていたから。
新しい家の玄関に立ったとき、石鹸と夕飯の匂いがした。
知らない匂いだった。でも不快ではなかった。「いらっしゃい」と言われて、みなとは小さく頭を下げた。
なんと返すのが正しいのか分からなかったから、頭を下げることにした。
食事のとき、みなとはいつも少ししかよそわなかった。お腹が空いていないわけではなかった。
ただ、たくさん取ることで何かが変わってしまうような気がして、いつも控えめにしていた。
「もっと食べていいよ」と言われるたびに、どう反応すればいいか分からなかった。
「ありがとうございます」と言って、それでも少ししか取らなかった。里親の人たちは何も言わなくなった。
怒っているのかと思ったが、違った。ただ待っていてくれていた、と後になって気づく。
夜になると、眠れなかった。暗い天井を見ていると、いろいろなことを考えた。
母親のこと。施設のロッカーに置いてきたもの。折り紙をよく一緒に作っていた子が、今どこにいるのか。
「大丈夫?」と声をかけられると、みなとは「大丈夫です」と答えた。それ以外の答え方を知らなかったから。
ある夜、隣に座ってただ黙っていてくれる人がいた。何も聞かなかった。何も言わなかった。
ただ、そこにいた。
みなとはその夜も「大丈夫です」と言ったけれど、その言葉の意味が、少しだけ変わっていた気がした。
休み時間に、クラスの子たちと外で遊んだ。ドッジボールで、みなとは最後の一人まで残った。
それが嬉しかった。それだけのことだったけれど、帰り道ずっとそのことを考えていた。
夕食の準備をしている背中に向かって、みなとは声をかけた。「あのさ」と言ってから、少し間があった。
「今日、ドッジボールで最後まで残った」
振り向いた顔が、ぱっと明るくなった。「すごいじゃない!」という言葉が返ってきた。
それだけのことだった。でも、みなとはその夜、いつもより早く眠れた。
見た目よりずっと多くのことを、みなとは考えていた。誰かが疲れているとき、怒っているとき、悲しんでいるとき。
それが表情のわずかな変化から分かった。だから先回りして「大丈夫です」と言い、余計なことを話さないようにしてきた。
でも里親の家で過ごすうちに、少しずつ気づいていった。ここでは、自分が話したことで誰かが疲れるわけじゃないかもしれない。
「大丈夫じゃない」と言っても、消えてしまうわけじゃないかもしれない。
それはゆっくりと、気づくか気づかないかの速さで、みなとの中に積もっていった。
みなとが次の場所へ移る日、空は晴れていた。荷物をまとめるとき、折り紙で折った小さなツルが棚に残っているのに気づいた。
施設にいたころから折り方だけ覚えていて、この家でも何度か折った。置いていこうか迷ったけれど、やっぱり持っていくことにした。
玄関で、言おうと思っていた言葉がうまく出てこなかった。「お世話になりました」は言えた。
もう一つ言いたかった言葉は、のどの奥で止まった。車が走り出してから、みなとは窓の外を見た。
家が小さくなっていく。「また来てもいいですか」と聞けばよかった、と気づいたのは、もう曲がり角を過ぎたあとだった。
でも、聞けなかったことが悔しかったということは、つまりそういうことだと、みなとは思った。
雨の日には、あの家の石鹸の匂いを思い出す気がする。まだそこにいるのかどうか、みなとには分からない。
でも、あの匂いはきっと覚えていられると思っている。
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