最もきつかったのは、子どもの「試し行動」が始まった時期だった。
数年間続けた不妊治療が、結果を出せないまま終わりを迎えようとしていた。
夫婦で今後の人生をどう歩むかを話し合っていたある日、インターネットで養子縁組や里親制度に関する記事を偶然目にした。
それまで里親という言葉を知ってはいたが、自分たちの現実的な選択肢として考えたことは一度もなかった。その記事が、扉を開く最初のきっかけになった。
不妊治療と里親制度。この二つを結びつけて考える夫婦は、実は少なくない。
治療に区切りをつけた後、「子どもを育てるという経験を諦めたくない」という思いが里親という道へと向かわせることがある。
制度を知ってからも、すぐに行動に移すことはできなかった。ためらいの理由は一つではなかった。
まず、「血の繋がらない子どもを、本当の我が子のように愛せるのか」という根本的な問いが頭から離れなかった。
愛情というものは、育てる中で生まれるとも言われる。しかしそれが本当かどうかは、やってみるまで分からない。
もし愛せなかったとき、子どもを傷つけることになるのではないか。その恐れは、軽くあしらえるものではなかった。
もう一つは、思春期を迎えたときの接し方への不安だった。
乳幼児期や小学生の頃とは異なり、思春期には自我が強く出る。
里親と子どもという関係性の中で、その時期をどう乗り越えられるのか、想像するだけで不安になった。
そして三つ目が、親族からの目線という問題だ。
里親制度はまだ社会的な認知が十分に広まっているとは言えず、「なぜ他人の子を育てるのか」「何か事情があるのか」という反応が親族から返ってくることを恐れていた。
世間体というものは、決して軽視できる問題ではない。
動き出すきっかけになったのは、自治体が主催する里親制度の説明会への参加だった。
実際に里親として活動している人の話を直接聞く機会があり、その言葉がこれまでの視点を大きく変えた。
「完璧な親である必要はない。今、助けを必要としている子の居場所になるということだ」
この考え方に、救われたという。
それまでは「里親として立派な親にならなければならない」という重圧の中にいた。
しかし里親とは、完成された親子関係を最初から提供することではない。
居場所を作ること、一緒に時間を重ねること、それが出発点なのだということを、説明会で初めて実感として受け取れた。
夫婦で話し合い、一歩踏み出す決意をしたのはその直後だった。
里親説明会は、各都道府県・政令市の児童相談所や里親支援機関が定期的に開催している。
愛知県・名古屋市でも複数の窓口が案内を行っており、参加に際して申請や登録の義務は一切ない。
「話を聞くだけ」という気持ちで参加できる場として、検討の入り口として活用できる。
子どもが家に来た最初の頃、家の中は常に張り詰めた空気だった。お互いが緊張していた。
しかし最も戸惑わせたのは、子ども自身の行動だった。
子どもは非常に「良い子」を演じようとしていた。
わがままを一切言わず、自分の感情をまったく外に出さなかった。
一見すると問題がないように見えるが、それは逆に不自然だった。
子どもらしい自己主張がない、感情の揺れがない、その静けさが、心の距離の遠さを示していた。
どうすれば心の距離を縮められるのか分からず、暗中模索の状態が続いた。
「良い子」を演じる背景には、これまでの環境の中で「感情を出すことが危険だった」という経験が潜んでいることもある。
それを理解できたのは、後になってからだった。
最もきつかったのは、子どもの「試し行動」が始まった時期だった。
試し行動とは、子どもが「この人たちは本当に自分を受け入れてくれるのか」を確かめるために起こす問題行動のことだ。
大切なものをわざと壊す、激しく泣き叫んで暴れる。そういった行動が数ヶ月にわたって続いた。
精神的にも肉体的にも限界に近い状態で迎えたある夜中、夫婦でリビングに座り、泣きながら話し合った。
「私たちの選択は、間違っていたのではないか」。
その言葉を二人で交わした夜が、この経験を通じて最も過酷な場面だったという。
試し行動は、心理的に安全な環境に慣れてきたことのサインだとも言われる。
しかし渦中にいるときに、そうした知識は気持ちを楽にはしてくれない。
こうした局面を一人で抱え込まないためにも、里親支援機関や里親会への相談窓口を事前に把握しておくことが重要だ。
関係が変わったと感じた瞬間は、特別な出来事ではなかった。
ある朝の食卓で、子どもが何気なくこう言った。「明日のおやつは何がいいかな」。
ただそれだけの言葉だ。しかしその言葉の意味は、軽くなかった。
この家での生活を「一時的なもの」ではなく、続いていく日常として認識し始めているということ。
明日もここにいる、という感覚が子どもの中に芽生えていることを、その言葉は示していた。
張り詰めていた心の糸が、少しだけ解けた瞬間だった。
関係性というのは、ある日突然変わるのではない。
一緒に食事をする、眠れない夜を隣で過ごす、何気ない会話を積み重ねる。
そういう時間の蓄積の先に、ある朝ふと気づいたら景色が変わっている、そういうものだ。
周囲への説明は、慎重に進めた。
近所の人には「親戚の子を預かることになった」とだけ伝え、詳しい説明はしなかった。
子ども自身に余計な関心や詮索が向くことを避けるためだ。
職場には、急な体調不良などで早退や欠勤が発生する可能性があることを考慮し、上司にだけ里親制度を利用していることを伝え、理解と協力を求めた。同僚には特に話さなかった。
里親であることをどこまで開示するかは、非常に個人的な判断であり、正解はない。大切なのは、周囲の反応に自分が疲弊しないよう、情報の出し方を自分でコントロールすることだ。
子どもが実親のもとへ戻る日が決まったとき、心にぽっかりと大きな穴が空いたような喪失感があった。
玄関で見送り、空になった子ども部屋を見たとき、涙が止まらなかった。
しかし同時に、もう一つの感情も確かにあった。「この子が幸せに暮らせますように」という、祈るような清々しい気持ちだ。
悲しさと清々しさが、矛盾しながら共存していた。それが里親という経験の、正直な終わり方だったという。
子どもが家を出た後の喪失感は、里親経験者の多くが語る。
この感情は「里親としての失敗」ではなく、深く関わった証だ。
こうした感情を安心して話せる場として、里親経験者同士のコミュニティや、里親支援機関のカウンセリング窓口を活用することが助けになることがある。
正直に言えば、非常に複雑な経験だった。しかし、やってよかったと確信しているという。
子育ての大変さを通じて、自分自身の未熟さを知った。
血縁を超えた深い愛情の形があることを学んだ。それは人生において、何物にも代えがたい財産になったと感じている。
里親制度は、決して美談ばかりではない。
しかし、一人の子どもの人生に寄り添い、共に過ごした時間は、たとえ短い期間であっても、その子の心に確かな温もりを残せる。そう信じている。
里親を検討している人に最も伝えたいことは、「覚悟」よりも「一人で抱え込まないこと」だという。
自治体の担当者、里親支援機関のスタッフ、里親仲間、頼れる場所をあらかじめ見つけておくこと。
自分自身が心身ともに健康でいられる余裕を持つことが、子どもを支える力になる。
里親をしながら自分が壊れてしまっては、子どもを守ることはできない。
里親になる前の自分に一言かけるとしたら、こう言いたいという。
「そんなに肩肘を張らなくて大丈夫。子どもと一緒に、少しずつ親になっていけばいいんだから」
不妊治療の末に里親という道を選んだこの経験は、「血縁」や「理想の親」という概念を何度も問い直させてくれた。
完璧な親でなくていい。ただの同居人から始めてもいい。
子どもと一緒に、少しずつ親になっていく。その時間の積み重ねの中にこそ、里親という経験の本質があるのかもしれない。
里親制度に関心を持った方は、まず地域の児童相談所または里親支援機関に問い合わせることから始めてほしい。
説明会への参加だけなら、登録や申請の義務は一切ない。「話を聞くだけ」でいい。
言の葉( コメント )を届ける
言の葉を届けるには入隊するか里に入る必要があります。