別に、感謝してほしいわけじゃない。 そう思おうとした。 でも手の中のスポンジが、なんとなく重かった

任務報告

今日も「ありがとう」は、なかった。

夕方、玉ねぎを炒める音がキッチンに広がっていた。

油の弾ける音、醤油を入れた瞬間の甘い煙。

私はそれを聞きながら、リビングのほうを何度か確認した。

彼女はソファに座って、ランドセルも下ろさないまま、窓の外をぼんやり見ていた。

8歳の背中は小さくて、でも妙に遠かった。

「ごはん、できたよ」

返事はなかった。

少しして、ランドセルをどさっと床に置く音だけが聞こえた。

テーブルに並べた皿を、彼女はひとつひとつ確認するように見た。

嫌いなものが入っていないか、確かめるみたいに。

「いただきます」を言って、箸を持って、黙って食べ始めた。

パートナーが「おいしいね」と言うと、彼女は小さくうなずいた。

私のほうは見なかった。

食器を洗いながら、泡の立つ音を聞いていた。

別に、感謝してほしいわけじゃない。

そう思おうとした。

でも手の中のスポンジが、なんとなく重かった。

委託されて3ヶ月が経つ。

LGBTのカップルが里親になることへの周囲の視線は、想像していたよりずっとやわらかかった。

担当の支援員さんは丁寧だったし、児童相談所の対応も思っていたより温かかった。

同性愛のカップルだからといって、特別に冷たくされた記憶はない。

それでも私たちは、どこかで「ちゃんとしなければ」と思い続けていた。

里親として、LGBTとして、この子に何かを証明しなければならないような気がして。

だから余計に、頑張ってしまっているのかもしれない。

お風呂の準備をして「入れるよ」と声をかけると、彼女は無言で立ち上がってドアを閉めた。

シャワーの音が壁越しに聞こえてきた。

水音はしばらく続いて、それからぴたりと止まった。

廊下に、シャンプーの甘い匂いが漂ってきた。

「慣れてないだけだよ」
パートナーはそう言って、私の肩に手を置いた。

温かかった。

でもその温かさが、少しだけ的外れに感じた。

慣れの話じゃない、たぶん。

うまく言葉にできないまま、私は「そうだね」と返した。

夜、彼女が眠ったあと、リビングに一人で座った。

テーブルの上に、彼女が使ったコップが残っていた。

麦茶の輪染みが、白いテーブルクロスにうっすらついていた。

私はそれをじっと見ていた。

拭こうとして、やめた。

言の葉( コメント )を届ける