委託が終わってから、あの子は今どこで何をしているだろうという問いが、定期的に浮かんだ。
成人した里子から連絡が来たのは、委託が終わって11年後のことだった。
SNSのメッセージだった。「元気ですか。あのときのことを、最近よく思い出します」。
それだけだった。返信を打ちながら、手が少し震えた。70文字にも満たないメッセージを読み返すのに、何分かかったか分からない。
里親をしていた頃のことを、夫婦でほとんど話さなくなっていた時期だった。
話さないのは忘れたからではなく、話すと何かが溢れてきそうで、そっとしておいた。そういう11年だった。
委託が始まったのは、自分たちが50代の頃だった。実の子どもは既に独立していて、夫婦二人の生活になっていた。
「まだ何かできることがあるかもしれない」という、定年前の静かな焦りのようなものがあった。
8歳の男の子が来た。小柄で、目が大きく、何かを確かめるようにこちらをよく見る子だった。
口数は少なかったが、観察眼が鋭かった。こちらが機嫌の悪い日は、遠くからそれを察して静かにしていた。
こちらが笑っていると、少し安心したような顔をした。
子どもが大人の感情を読むことに長けているとき、それはたいてい、読まなければならない環境にいたということだ。
その子がそういう子だと分かったとき、胸の奥で何かが動いた。
若い頃の子育てとは、明らかに違った。
小学校の運動会で一日外にいると、翌日は体が重かった。夜中に子どもが起きても、すぐに体が動かない。
気力はあっても、体がついてこない場面が想定より多かった。
それを子どもに悟られたくないと思っていた。しかし子どもはとっくに気づいていた。
ある日、重い買い物袋を黙って持ってくれた。「重そうだったから」と言った。8歳が言う言葉ではなかった。
その気遣いが、うれしいよりも切なかった。子どもに気を遣わせている、という事実が、しばらく頭から離れなかった。
年齢を重ねてから里親をすることの難しさは、体力だけではない。
自分たちが先に老いていくという現実が、子どもの将来と交差する場面がある。
「この子が成人する頃、自分たちはどうなっているのか」という問いを、50代の里親は若い里親より早く突きつけられる。
3年間の委託は、実親の状況が安定したことで終わった。
終わりが近づいてきたとき、子どもに何を伝えるべきか分からなかった。「また会えるよ」と言うべきか。
「元気でいてね」と言うべきか。何を言っても嘘になるような気がして、最後の日、結局「ご飯、ちゃんと食べるんだよ」とだけ言った。
子どもは「うん」と言った。それだけだった。
車で送り届けて、帰り道、夫婦どちらも口を開かなかった。家に帰って、子どもが使っていた部屋を見た。
布団だけが残っていた。片付ける気になれなくて、その日は閉めておいた。翌日も、その次の日も、しばらくそのままにしていた。
委託が終わってから、あの子は今どこで何をしているだろうという問いが、定期的に浮かんだ。
誕生日が近づくと思い出した。進学の時期になると思い出した。ニュースで子どもに関わる話題が出ると思い出した。
夢に出てきたこともあった。夢の中では、いつも8歳のままだった。
里親と里子の関係は、委託が終われば法的には何もない。連絡先を交換していたわけでもなく、会いに行く手段もなかった。
ただ祈るように、どこかで元気にしていることを願い続けた。それが11年間だった。
メッセージが来た日の夜、夫婦で長い時間話した。久しぶりに、あの3年間のことを声に出して話した。
あの子が今、19歳になっていること。自分たちのことを思い出してくれていたこと。
それだけで、11年間の問いが少し報われた気がした。「会いたいね」と夫が言った。自分も、そう思った。
その後、数回メッセージのやり取りをした。会うことはまだできていない。それでも、つながっていることが分かっただけで十分だと思っている。
年齢を重ねてから里親をすることには、若い頃とは違う困難がある。
体力の問題、将来の問題、子どもに気を遣わせてしまうかもしれないという問題。それは正直に認めた方がいい。
ただ、50代・60代にしか提供できないものもある。焦らない関わり方、人生経験から来る落ち着き、すでに子育てを経験した安心感。
若い里親家庭では難しい、「おじいちゃんおばあちゃんのような存在」として子どもの居場所になれることもある。
里親になる前の自分に一言かけるとしたら、「終わっても、終わらない」と伝えたい。
委託が終われば関係も終わると思っていた。しかし実際には、終わってからも子どものことを思い続ける時間が続く。
それは喪失ではなく、続いている何かだと、今は思っている。
11年後にメッセージが来た日、それが証明された。
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