叱るべきなのか、見守るべきなのか、その判断ができないまま、毎日が緊張の連続だった。
友人の知人が養子縁組をしたという話を聞いたのは、不妊治療の辞め時を考え始めていた頃だった。
その話をきっかけに養子縁組や里親制度を詳しく調べ始め、制度の輪郭が見えてくるにつれて、自分たちにもできるかもしれないという気持ちが芽生えていった。
前向きになっていく自分とは対照的に、夫はなかなか踏み出せなかった。
血の繋がらない子どもを本当に愛せるのか、確信が持てないのだという。
家庭の平穏が崩れることへの恐れも正直に話してくれた。その気持ちは理解できた。
ただ、二人の気持ちが揃わない限り先に進めないという現実が、しばらく重くのしかかった。
夫婦間の温度差は、里親を検討する多くの家庭が経験するものだ。どちらかが引っ張り、どちらかが慎重になる。
そのバランスをどうとるか、どこで一致点を見つけるか。この時期の夫婦の対話が、その後の土台になる。
転機になったのは、児童相談所が開催した里親サロンへの参加だった。
そこで実際に子育てをしている里親から話を聞いた。
うまくいった話だけではなく、大変だったこと、思い通りにならなかったこと、それでも続けてきたこと、そういった率直な声が、不思議なほど心に届いた。
きれいな話だけを聞いていたら、逆に現実との落差に苦しんだかもしれない。
大変さを含めて聞いたからこそ、「それでもやろう」という覚悟が固まった。夫もその場にいた。
二人で同じ話を聞いたことで、ようやく気持ちが一致した。
子どもが家に来てから最初の頃、私たちは必死だった。気に入ってもらおうと、できる限りのことをしようとした。
しかし子どもの警戒心はなかなか解けなかった。目線がまったく合わない状態が続いた。
家の中の物が隠されることもあった。わざと壊されることもあった。どう対応すべきか分からなかった。
叱るべきなのか、見守るべきなのか、その判断ができないまま、毎日が緊張の連続だった。
子どもが物を隠したり壊したりするのは、不安や試し行動の表れであることが多い。
しかしその渦中にいるときは、そうした知識があっても気持ちが楽になるわけではない。
ただ一日一日をやり過ごすことで精一杯だった。
最もしんどかったのは、夜泣きが数時間続いた時期だ。
抱っこしようとしても、子どもは仰け反って拒絶した。何もできないまま、泣き声だけが続く。
寝不足と精神的な疲労が蓄積していき、夫とのあいだで「もう無理かもしれない」という言葉が何度も出た。
暗いリビングで二人で立ち尽くした夜があった。自分たちの無力さに打ちひしがれて、何も言えなかった。
今思い出しても、胸が締め付けられる。
あの夜を乗り越えられたのは、どちらかが強かったからではない。
二人とも限界に近かったが、それでもそこに一緒にいたことが、何とかつなぎとめてくれた気がする。
委託から半年ほど経ったある日、子どもが転んで膝を擦りむいた。
それまで、この子は痛みさえ我慢していた。弱みを見せることが、どこかで許されないと感じていたのかもしれない。
しかしその日は違った。泣きながら、自分から私の胸に飛び込んできて、「痛い」と言った。
壁が一つ崩れた、という手応えを確かに感じた。
言葉にするとそれだけのことだが、それまでの半年間を思えば、その一言と、真っ直ぐに向かってきたその体の重さは、何にも代えがたいものだった。
子どもがアパートへ引っ越した日、寂しさよりも「無事に送り出せた」という安堵感と誇らしい気持ちのほうが大きかった。
あの夜泣きの夜から、暗いリビングで立ち尽くした夜から、ここまで来た。それだけのことが、二人の間にあった。
血が繋がっていなくても、共に過ごした時間の積み重ねが、本当の絆を作る。その子が巣立っていく姿を見ながら、それを改めて実感した。
今振り返って、やってよかったと思う。きれいごとだけではない日々だった。
葛藤もあったし、限界を感じた夜もあった。自分自身の欠点と、何度も向き合わされた。
それでも、一人の人間の成長を間近で見守り、本当の意味での家族になれた経験は、自分の人生を豊かにしてくれた。
その過程で自分が変わったことも、確かだと思う。
里親を考えている人に伝えたいのは、完璧を目指さないでほしいということだ。
自分の心の余裕を保つことが、結果として子どもを守ることに繋がる。一人で抱え込まず、支援や仲間を頼ってほしい。
里親になる前の自分に一言かけるとしたら、こう言いたい。
「不安で震えているかもしれないけれど、信じて進めばいい。想像もできないような強さと深い愛を、その子が教えてくれるから」と。
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