学校関係や自治会など関わりが出る場面では「里親として子どもを預かっています」とだけ伝えた

任務報告

40歳を過ぎた頃、長く続けてきた不妊治療に区切りをつけた。

年齢的にも体力的にも限界を感じ、夫婦で「これからの人生をどう過ごすか」を話し合うようになった。

そのとき初めて、子どもを育てる方法は実子だけではないのかもしれないと思った。

養子縁組について調べ始めたのが最初だった。その流れで里親制度の存在を知った。

それまで「里親」という言葉は聞いたことがあっても、実際にどういう制度なのかはほとんど知らなかった。

自治体のホームページや体験談を読みながら、「こういう形で子どもを受け入れている家庭があるんだ」と、少しずつ興味を持つようになっていった。

調べれば調べるほど、やってみたいという気持ちが強くなっていった。しかし夫はかなり慎重だった。

子どもを受け入れることは、生活も働き方も大きく変わることを意味する。責任も重い。

「中途半端な気持ちで始めるべきではない」という夫の言葉は、反論できないものだった。

自分たちに本当に務まるのか、という不安もあった。愛情だけではどうにもならない場面もあるのではないか。

途中で疲れてしまったらどうするのか。しばらくは資料を読んだり説明会の情報を眺めたりするだけで、申し込みには踏み出せなかった。

「もしやるならどういう形なら続けられるか」を、夫婦で何度も話し合いながら少しずつ考えていった。

動き出すきっかけになったのは、自治体の説明会への参加だった。

担当職員の話を聞き、すでに里親をしているご夫婦の体験を聞くうちに、インターネットで調べていた頃とは違う感覚が生まれた。

特に印象に残ったのは、「最初から完璧にできる人はいない」という話だった。

困ったことがあれば一緒に考えていく仕組みがある。「自分たちだけで全部背負うわけではないんだ」と気持ちが少し軽くなった。

帰り道、夫とこんな話をした。「無理そうなら相談しながら考えればいいし、まずは一歩だけ踏み出してみようか」。

完璧な自信があったわけではない。ただ「やらないまま後悔するより、一度向き合ってみよう」と思えた。

それが動き出したきっかけだった。

子どもが来た最初の頃、どう接していいのか分からず戸惑うことが多かった。

もっと会話があったり、少しずつ距離が縮まっていくのかなと想像していたが、実際はかなり静かな時間が続いた。

必要なことには答えてくれるが、自分から話すことはほとんどない。こちらもどこまで踏み込んでいいのか迷ってしまった。

食事の時間一つとっても、何を出せばいいのか、どこまでこちらのルールを伝えていいのかが分からなかった。

夫婦で毎日のように「これでよかったのかな」と話した。相手にとっては初めての環境かもしれないと思うと、何をするにも慎重になった。

一番戸惑ったのは、「良かれと思ってしたこと」が必ずしも相手にとって良いとは限らないと感じたことだった。

距離を縮めようとして話しかけすぎてしまったり、気を遣いすぎてよそよそしくなってしまったり、そのバランスがつかめなかった。

最初の頃は「家族になる」というより、「同じ家で生活することにお互い慣れる」だけで精一杯だったと思う。

最もしんどかったのは、生活のルールをめぐって子どもと衝突したときだった。

学校から帰ってきたあと、約束していた時間になってもゲームをやめようとしない日があった。

「そろそろ終わりにしようか」と声をかけたが無視された。何度か言ううちに、子どもが急に強い口調で反発してきた。

そのとき言われた言葉が、「どうせまた別のところに行くんでしょ」だった。

こちらはゲームの時間の話をしているつもりだったのに、子どもにとってはもっと別の不安や不信感があった。

頭では分かっていても、実際にその言葉を向けられると、かなりこたえた。

その日の夜、夫婦であとから話したときも意見が食い違ってしまった。

「どこまで厳しくしていいのか」「普通の家庭と同じように叱っていいのか」。二人とも疲れていた。

今振り返ると、その子にとっては「また居場所が変わるかもしれない」という不安がずっとあったのだと思う。

ただそのときは余裕がなく、「どうすればよかったんだろう」と悩む時間が長く続いた。

変化は、小さな場面で訪れた。

夕食の準備をしていたある日、台所に子どもがやってきて「今日のご飯なに?」と聞いてきた。

それまで必要なこと以外ほとんど話しかけてこなかっただけに、その一言が意外だった。

そのあと「手伝おうか」と言って、テーブルにお皿を並べてくれた。

特別な会話があったわけでも、感動的な場面だったわけでもない。それでも「この家の生活の中に少し入ってきてくれたのかな」と感じた。

その頃から、学校の話をしてくれたり、テレビを見ながら感想を言ったりすることが少しずつ増えていった。

関係が一気に変わったわけではなく、こういう小さな出来事が積み重なって、距離が少しずつ近づいていったのだと思う。

近所にはこちらから積極的に説明することはしなかった。子どもが周囲から特別な目で見られることを避けたかった。

ただ、学校関係や自治会など関わりが出る場面では「里親として子どもを預かっています」とだけ伝えた。

それ以上深く聞かれることはほとんどなく、「何かあれば言ってください」と声をかけてもらうこともあり、思っていたより自然に受け入れてもらえた。

職場には上司とごく近い同僚にだけ話した。

「里親制度で子どもを受け入れることになりました」とシンプルに伝えると、否定的な反応はなく落ち着いて聞いてもらえた。

今振り返ると、思っていたほど特別な説明をする必要はなかったと感じている。

子どもが家を出た日は、大きな引っ越しという感じではなかった。

荷物もそれほど多くなく、思っていたよりあっさりした一日だった。

玄関で「元気でね」と送り出したあとも、実感があまり湧かず、しばらくは普段通りに家のことをしていた。

その日の夜、静かになった家の中で「ああ、もうこの家で一緒にご飯を食べることはないのかもしれないな」と思ったとき、寂しさが少し込み上げてきた。

泣くほどではなかったが、ぽっかりと空いたような感覚があった。

「この家で過ごした時間が、少しでもあの子の中に残ってくれていたらいいな」と思いながら、静かに一日を終えた。

今振り返ると、「よかった」と言い切れる部分と、「簡単ではなかった」と感じる部分の両方がある。

悩むことも多く、夫婦でぶつかることもあった。きれいな思い出ばかりではない。

それでも、あの時間が無意味だったとはまったく思わない。

子どもと一緒に生活した日々は、楽しいことも大変なことも含めて、自分たちの人生の中でとても濃い時間だった。

自分の考え方や人との向き合い方も、あの経験を通して少し変わった気がする。

「すべてが良かった」と美談のように言うつもりはない。でも「やらなければよかった」とも思っていない。

もしあのとき何もせずに終わっていたら、きっと今とは違う後悔をしていた。

そういう意味で、あの経験は自分たちにとって大切な時間だったと思っている。

里親を考えている人に一番伝えたいのは、「最初から理想の家族になろうとしなくてもいい」ということだ。

子どもとの距離がなかなか縮まらない時期もある。「自分は向いていないのでは」と悩むこともある。

最初からうまくいく家庭ばかりではないということは、あまり知られていない気がする。

完璧にできるかどうかを考えすぎて動けなくなるより、「できる範囲で向き合っていく」という考え方でもいいのではないかと思う。

一緒にご飯を食べる、学校の話を少し聞く、テレビを見ながら笑う。そういう何気ない時間が、あとから振り返ると一番印象に残っている。

特別な家庭じゃなくても続けていくことはできる。完璧ではなかったけれど、それでも一緒に過ごした時間は確かにあった。

里親になる前の自分に一言かけるとしたら、「全部をうまくやろうとしなくていい」と伝えたい。

目の前の一日を一緒に過ごしていくこと自体に、意味があるのだから。

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